見えるけど見えない凶器

 映像は真っ暗な闇から始まった。そこに何があるのか一つもわからなくなる、飲み込まれるような黒。

 しかし闇は長く続かない。強い光が闇を照らし出す。

 明るくなったとまでは言えないが、光源周りの物体が闇の中に輪郭を浮かび上がらせた。


 そこはヘブン探偵事務所の室内だった。

 光源は床に置かれた懐中電灯、ぼうっと浮かび上がった景色の中に月生げっしょうが一人佇んでいる。

 月生げっしょうは手にしていた何かで顔を覆い、ゴム紐で止める。

 有名なアニメのお面だった。

 中央には名刺サイズの真っ黒な紙が貼りつき、不自然に白んだ画面でよく目を引いた。


 お面姿の月生げっしょうはくるりとカメラに背を向けると、デスク前に跪いてちょうど祈りを捧げるようなポーズを取った。

 次の瞬間、消されていた照明が灯る。

 世界が白く切り替わる。

 事が起きたのはそれとほとんど同時だった。

 デスクの天板下からナイフが落下。

 ガムテープでぐるぐる巻きの刃は硬い音を立てて床を叩いた。

 

 月生げっしょうは姿勢をそのまま首だけカメラの方へ振り向く。

 貼り付いていた紙が舞い落ちる。

 手で剥がしたわけではない。ひとりでにだ。

 その下には縦長の裂け目。

 間の抜けた面の向こうから月生げっしょうは告げる。


『これが、アナスタシアさんを殺した手口でしょう』


「――そういうことじゃないですか、遠田さん」


 月生げっしょうは過去の自分の言葉を引き継ぎ、そう締めくくった。

 手にしたスマホの画面ではたった今、検証映像が再生を終えたところだ。


 事件現場の地下聖堂。

 悪魔像と太陽に見守られて犯人と向き合う。

 遠田はあの日と同じく長椅子に腰掛けたまま、引きつった笑みで聞いた。


「どういうことだい?」

「ナイフは刺さってなんかいないってことです。

 アナスタシアさんの毛髪を糸代わりに祭壇下の梁に結び、死角に潜ませていた。

 髪の毛が消滅すれば勝手に落ちてくるように。

 仮面の穴ももちろん、もとから空けておいたんですよ。

 それを隠し、さも彼女が刺したように演出した」

「あんな紙切れが貼ってあって気づかないわけねえだろ」

「あれは映像上わかりやすくするために紙を貼っただけです。

 実際は恐らく、あの仮面と同じ色に塗ったんじゃないですか?

 前に湊さんの部屋を訪ねた際、私の手に岩絵具が付きましたね。

 あの粉末、本来はここに散らばっていたんだ」


 あの時は部屋に溢れていたのだろうと言われて納得したが、思い返すと遠田宅に入ってからは床にも壁にも触っていない。

 覚えがあるのは、太陽の発見を確かめるべく祭壇前の床に手をついた時だ。

 しゃがみ込み、記憶を頼りに床を指でなぞる。

 やはりあの時と同じ色に汚れていた。


「これと同じ色の粉です。

 液体に溶くとあの仮面と同じ色合いになるのは想像に難くない」

「その粉が何だってんだ」

「湊さんは絵を描く際、薄め液として膠を使っていたそうですね。

 膠は元来接着剤でもある。

 膠で穴を埋め、膠に溶いた顔料で目立たないように塗装した。

 アナスタシアさんは流石に気づいていたかも知れないが、そこは割れてしまって応急処置とでも言えばいい。

 まさか自分を殺すトリックの一環とは思わない。

 彼女が死ねば髪の毛と同じく膠も消滅、溶けていた岩絵具の粉末だけが残り、床に舞い散った」


 再現映像では太陽の髪の毛、太陽の指の骨から作った膠で再現している。

 しかし問題は遠田がどうやって膠の素材、つまりアーニャの骨や皮膚を得たかだ。

 髪の毛を手に入れるのとはわけがちがう。


「恐らくあなたは、湊さんのへその緒から膠を作ったんでしょう。

 へその緒もアナスタシアさん吸血鬼の体組織にちがいないし、美容整形で使われるほどコラーゲンを豊富に含んでいる」


 祭壇から消えたへその緒は、父が母を殺す凶器として消費されたのだ。

 なるほどたしかに、自分を卑下してもしかたない。


「肝心の殺害手段は、画面に映っている通りだ」


 画面に映る明るい部屋をタップしながら言う。

 そのまま、空いた手で頭上を指さした。

 そこにある凶器は、照明。


 この、を使って」


 月生はスマホに写真を表示して見せる。

 再現映像と共に撮影しておいたものだ。

 映っているのは建物の屋上。ヘブン探偵事務所の入居するマンションのそれだ。

 そこには透明な半球状の物体が設置され、ケーブルの束が伸びている。

 束の伸びた先は一階の事務所。


「光ファイバーは極めて光を通しやすい構造のガラス繊維だ。

 一般には通信分野に用いられている印象だが、それだけじゃない。

 あなたは当然ご存知でしょう。

 自社製品ですからね」


『ご家庭に太陽を』――T社が販売している家庭用光ファイバー。

 それはだ。光ファイバー採光とも言われる。

 日向に集光器を設置、そこで受けた太陽光を、ケーブル内のガラス繊維に反射させて効率よく運ぶことができる。

 西向きの部屋や地下室といった日当たりの悪い場所での照明に。

 電気代節約やビタミン不足解消が期待でき、爬虫類飼育の愛好家にも需要があるらしい。


「動画で使ったのはホームセンターで買ってきたものです。

 あなたが自社製品を使ったかは知りませんが、取り付けは当然DIYでしょう。

 このビルの管理を長年やってきたあなたなら私よりずっと上手くできたはずだ。

 神野が見つけてきたダクトの穴もこのためのものですね?

 あなたは地上に集光器を設置。

 ダクトを通して光ファイバーをこの地下まで引き込み、天井の照明の一つを放光部に付け替えた」

 

 遠田は自分が空けた穴だと正直に語った。しかしやはり、嘘をついていたのだ。  

 何のために空けた穴なのか。


 この技術はかつて世界的に注目を浴びたことがあり、その特需で遠田家は成り上がった。

 地球全土を、夜でも構わず日光で照らし出せる吸血鬼殲滅兵器として。

 俗に言うオール・ハシェム神の光作戦だ。

 この計画は幸いと言うべきか頓挫している。

 吸血鬼保護の建前から各国が敷設を禁止した他、数千km先まで届けるには日光の減衰が大きすぎるからだ。

 しかしこのビルなら、地上から地下聖堂までケーブルの長さは20メートルもない。

 

「あなたはいわゆるIOTのような形で、スイッチひとつで照明をオンオフできる仕組みを整えた。

 犯行時、オンになっていた時間はコンマ数秒でしょうね。

 天井の高さは見たところ五メートル弱、秒速三十万kmの日光が真下の被害者の頭部に達するまでは約一億分の一秒。

 次の瞬間、強烈な喪光アポリュケに全員の目が眩む。

 照明はその間に落としてしまえばいい。

 人間の時間感覚では二つの発光の時間差を区別などできない。

 祭壇下や仮面からの喪光アポリュケも、被害者自身のものに呑まれて一つの光に見えてしまう」


 それがトリックの全てだった。

 最初から凶器は見えていた。目の前にあったのだ。 

 日光が吸血鬼の弱点というのは常識だ。

 しかし、当たり前のようにそこにあるものに誰も注意を払わず、隠されていたナイフを凶器と見て疑わなかった。

 そうして、誰もが自殺と思い込んだ。


 当日、儀式が始まる直前になって遠田は点けていた照明を落としたという。

 信徒は演出と思っただろうが、これもトリックに必須の工程だった。

 正体が太陽光である以上、最初から点けていたらドアを開けた瞬間にアーニャは消滅、トリックは一発で露見する。


「密かに光ファイバーケーブルを引くのも犯行後に撤去するのも、あなた以外がバレずにやるのは不可能だ。

 このトリックである限り、犯人はあなただ」

「………………証拠は?」


 しばし黙って俯いてから、遠田はそう返した。


「たしかにそのやり方ならよ、犯人があたしっつうのはわかったよ。

 だが、それは殺してんならの話だろ。

 女房が自殺じゃねえ証拠はどこにあるんだ?」

「これ」

「あ?」


 黙って聞いていた太陽が、祭壇に歩み寄り、書見台の経典を手に取った。

 遠田からもよく見えるように、両手で大きく広げパラパラとめくって見せる。


「この本って、虫干しとかしてるの?」

「虫干し? やんねえよそんなこと。

 あたしも女房も本を大事に扱う人間じゃねえ」

「この本は、ずーっと地下?」

「そうだよ、だから何だってんだ」

「この本のページ、真っ白だよね。

 紙は傷んでるし古い本なのに、手垢とか全然なくて綺麗。

 前に見た時は汚れてたのに……虫干ししてないなら、事件の時、日光に当たったんじゃない?」

「はあっ?」


 遠田は鼻で笑う。ようやく質問の意図が掴めた。だが話にならないと。


「旦那の推理聞いてなかったのか

 あんただって吸血鬼だろ!? 体から出たものは死んだら全部消えちまうんだよ。

 女房が死んだから消えた。それだけだろ」

「アーニャさんは、そうかもね」

「は?」


 太陽の言葉に、再び遠田はぽかんとする。

 丁重に本を抱えたたおやかな手首は、どちらも白い手袋で覆われている。


「私も神野も、前に来た時は指紋をつけないために手袋をしていました。

 捜査だから当然ですが」

「でもその前、湊が死んだ後で来た時はしなかったよ。

 普通に素手で触った」

「……あ」


 遠田はしばらく目を泳がせた後、ついには諦めへと至る。


「紙には年単位で指紋が残る。

 当時の神野の指紋が一つも残っていないなんてあり得ません。

 あなたが言った通りこの本がずっと地下から持ち出されず、日光が注ぐこともなかったなら、神野の指紋が大量に検出されるはずだ。

 指紋を採取する用意はしてきました。

 これから調べさせてもらえますか?」

「……あたしが……殺したよ」


 遠田が白旗をあげる。

 実際のところ、言い逃れしようと思えばできたはずだ。

 当時の太陽が素手で触った証拠はないし、紙に残りやすいというのも所詮は確率的な問題だ。

 だから、なりふり構わなければ言い逃れるのは簡単だ。

 それでも、彼は逃げるのをやめた。


「何で殺したんだよ」


 太陽が詰め寄る。遠田の妻殺しの真相について。

 知ることが探偵の本分なら、ようやくスタートラインに立ったのかも知れない。


「我々は、あなたの殺人を立証できない。

 だからせめて、理由くらいは話してもらえませんか?」


 二人からの問いに、遠田は長い溜息を吐いてから語りだした。


「このままじゃ『伯爵の世界』になったかも知れねえからだよ」


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