地獄に落ちた勇者共

「小三の頃にね。

 妹がそこのトイレに落ちたんすよ」


 パトロールという体で派出所を出た球地たまち月生げっしょうは、二人が幼少期を過ごしたという地域を見て回る。

 児童公園の前で足を止め指さした先の公衆トイレは、言うまでもなく今も汲み取り式だ。


「うんこの底なし沼なんで。ビービー泣いて、自分も見ててこのままじゃ死んじゃうって怖くなったんすけど。

 鳴き声を聞きつけて、颯爽飛んできたのがひとりで稽古してた太陽くん。

 めっちゃ臭かったし、やっぱ怯むじゃないですか。

 でも見たら一瞬も迷わず便器を外して、縄跳びを命綱みたく腰に結んで、手を突っ張って降りてったんすよ

 そうやって妹を抱き上げてくれて」


 問題は太陽にも糞便まみれの手で便槽を登る体力が、球地たまちも引っ張り上げる体力がなかったことで、結局は大人を呼びに行くことになった。

 最初からそうすればよかった。今ならそう言える。

 それでも、その時の彼の行動には真実の輝きがあったのだろう。


「助けられた後、洗うのに水飲み場に連れてかれたんですけど。

 太陽くん一番汚れてたのに最後でいいっつーんすよ。

『ヒーローの服は汚れるもんなの』って。

 太陽くん、あれでケッコー男の子なんすよね」


 その後も球地たまちは幼い太陽の英雄譚を熱っぽく語ってくれた。


 曰く、捨て犬を飼ってくれる人を探して近所中を駆け回っていた。

 曰く、教師の差別的な言動に反抗し殴られて殴り返し、警察が来る騒ぎになっても撤回しろと喚き続けていた。

 曰く、家が貧乏な生徒が給食費を盗んだ時は自分が盗んだと言い張って庇った。


 しかし月生げっしょうが近隣住民に彼について聞こうとすると途端に止めに入る。

 いざ始めると、その顔はどんどん曇っていった。

 結果わかったのは、彼の子供の頃の評判は球地たまちの言うほど芳しくなかったということだ。

 喧嘩っ早いし、誰にでも食ってかかる。

 怒鳴られようと殴られようと納得しなければ引くことを知らない。祖父ともども度々トラブルの種になっていたと。


「でもね。

 このへんだと今も恨んでる人もいるけど、アネゴと探偵になってからはやっぱ変わりましたよ」


 取り調べを経て、球地たまちは改めて彼への信頼を口にする。

 アネゴ――冬空ひまわりとの関係は、悪名高い「クリプト」事件に遡る。


 遡ると言ってもたった一年前やそこらの話だ。

 複数の企業、それにヤクザが自治体や関係省庁と結託し、行き場のない吸血鬼を囲い込んで搾取していた。

 その違法性が暴露されると大手ゼネコン、マスコミの幹部、市長に国会議員、客からは国内外の富豪に有名人、悪魔派の司祭までもが大量検挙される事態となった。

 この摘発に最も貢献したというのがあの二人だ。


 吸血鬼の大多数は国が用意した遠方の施設へ移った中、太陽は荒湧市に残り、冬空に誘われる形で探偵を始めた。

 その後の武勇伝は、地元住民ではない月生げっしょうの耳にも届いている。


 家出した少女たちが集団で売春させられていたのを突き止める。

 空き巣の多発する地域に張り込んで犯人グループを一網打尽に。

 悪魔派と結託し、さっきの教会へ地上げ目的の嫌がらせを繰り返していた悪徳不動産屋と対決。

 

 そうやって支持を集めていった彼らだが、支持が高まれば高まるほどに敵意を滾らせるような連中もいる。

 多くは悪魔派だったのだろう。

 事務所のドアにコウモリの死体がぶら下がっていたり、二人が爛れた関係にあると誹謗するビラが撒かれたり。

 果ては事務所に爆弾を送りつけられ、冬空が被害を受けた。

 聖銀の破片をばら撒くもので、太陽宛の小包に仕込まれていたのだ。

 こういったケースに備えて荷物は冬空が開けるようにしていたらしい。その用心が招いた悲劇だ。

 光センサー式の爆弾なんてものが存在するとは博識の彼女も想定しなかったらしい。

 そしてそれでも、彼女は退院翌日には探偵活動に復帰したというから筋金入りだ。


「太陽くんも行動力の塊なのは変わんないっすけど、昔みたいにすぐ手が出たりはしなくなりましたね。

 アネゴのおかげっすよ」


 探偵になってからの太陽は、少年時代の道へとまた戻れたのだろうか。

 しかし、その道の行き着いた先はあまりに救いがないものだった。


 ヘブン探偵事務所は、もともと太陽が祖父母と暮らした家だった。

 太陽がクリプトにいる間に祖母も亡くなり家は売りに出されたが、その家を買い戻し事務所としてリフォームした。

 窓は一つもなく日光を完璧に遮断できる作りで、冬空は近所のアパートからの通いだが太陽には自宅でもあったそうだ。

 借りてきた鍵を使い、中に踏み入る。

 荒れ果てた、なんて表現では到底追いつかない景色が広がる。


 壁、床、天井、部屋の各所、視界のほぼ全域が破壊の痕跡で埋め尽くされている。

 聖銀爆弾の被害もあるのだろうが、それなら全ての痕が一点から放射状に広がっているはずだ。     

 実際はもっと不規則で、微小な破片を浴びたとは思えない壊れ方が目についた。

 真っ二つに叩き割られたテーブル、引き裂かれて綿を撒き散らしたソファ、ぺしゃんこと言っていい箱型テレビ。

 これらはどれも神野太陽が素手で壊したのだという。


 襲撃から遡ること数時間前だ。

 近隣住民が彼の絶叫や、破砕音が絶え間なく続くのを聞いて警察に通報。

 球地たまちが駆けつけたときにはもう彼の姿はなかったと。

 そして球地たまちは、例外的に無傷だったエリアに冬空ひまわりの遺体が横たえられているのを発見した。

 見るも無惨な、楽園の崩壊だ。


「太陽くん、死刑になったりしません、よね……?」


 遺体の発見場所を撫でて球地たまちが言う。


「量刑は何とも。ただ動機が大きな判断材料なのも事実だ。このままでは」

「そんな」

「俺も……そうなったら嫌だな」


 月生げっしょうは神の正義を信じない。

 悪魔派にせよ試練派にせよ、気に入らなかった。

 何故、世界をこんな風にした存在が善きものであるかのように考えているのか。

 スニアラー派が神を悪と見なすのはこの憤りが高まった結果なのだろう。


 しかし、そのスニアラー派の冬空は太陽を救い、探偵稼業を始めた。

 まるで19世紀の小説に出てくる自警団紛いの探偵のように、正義のために戦った。


 そういう人間を見ていると、柄にもなく祈ってしまう。

 彼らには本物であって欲しい。

 姿の見えない神なんかに依らない、自由な善がこの世に存在していて欲しい。

 脳裏に蘇るのはあの襲撃の時の記憶だった。


 あの集会は、明らかに

 夜は決まって屋内に引きこもる連中が、あの時は屋外に集まっていた。

 大々的に場所を告知するチラシを町中に貼り出していたくらいだ。

 吸血鬼に来てくれと言っているようなものだ。 

 これ見よがしに武器をぶら下げたハンターが大勢いたし、機械仕掛けで大量の矢を放つ兵器と呼べそうな域のトラップがいくつも用意されていた。

 表に出ていないだけで、きっと同じ手口で仕留めたことが何度もあるのだろう。

 彼らにとっての吸血鬼は、常夜灯に飛び込む蚊のようなものだったにちがいない。


 しかし実際にその場へ現れたのは竜だった。

 あの場での神野太陽は、まるで竜巻だった。

 目にも止まらない速さで、付随して巻き上げられる砂煙や弾け飛ぶ人や物で動きを確認するしかないような。

 凄まじい俊敏さと変身で襲い来る銀の雨を回避し、人知を超えた暴威を撒き散らす。

 まさに竜の子ドラキュラだった。

 しかしその小さな暴竜は唐突に鎮まった。

 そばにはブラウスを真っ赤に染めた女が倒れていた。後からわかったことだが太陽の仕業ではない。

 自分に向かって放たれた銀弾を躱して、結果そばにいた彼女に命中したのだ。

 巻き添えになった女を前に彼はしばし固まった後、応急処置をしようとした。

 その場にかがみ込んで。必死に止血しようと。  

 殺し合いの最中だった周囲の悪魔派に救急車を呼びに行けと訴えた。

 悪魔派は戸惑っていたが、構わずに銃を向け、チャンスとばかりにニヤついて引き金を引こうとする男に、月生が銃を向けていた。

 月生が駆け寄り、応急処置を代わると言った。

 大きく見開かれた、潤んだ瞳が月光に煌めいていた。


 司祭はああ言ったが、きっと太陽は死にたかったのだろう。

 憎き悪魔派を道連れにしたかったのだろう。

 ただ、あんな目ができる奴が同志を殺したと素直に受け入れたくなかった。

 月生は神を信じない。

 それでも神野太陽のことはもう少し信じたかった。

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