グッバイサニーデイズ
いわゆる「普通」が憎かった。
命を狙ってくるハンター。
背後にいる悪魔派の信者たち。
そいつらはいつだって憎い。殺してやりたい。
だけど危機から遠ざかっている時、もっと大きなモノが憎くくなる。
世の中というか社会全体というか、そんなものが。
同情するようなことを言いながら傍観するだけの周囲。
吸血鬼が殺されても遺体がないと難しいからとロクに捜査しない警察。
自分たちを助けることに全力になってくれない社会が、彼らの掲げる正義が憎くてたまらなかった。
こいつらは神とかいうヤツに守られてる。
そいつは僕らを守ってくれない。
吸血鬼にして、襲われるのを黙って見てる。
教会を見かけるたびに火をつけたくなる。
聖書を手に勧誘する信者を見ると奪い取って引き裂いてやりたくなる。
神から遠く離れても、安心しきった、自分の人生が地獄と無縁だと思っている人々を見るたびに何で僕だけと叫びたくなった。
クリプトで出会った
これは人間への試練なんだと。
我々のことをちゃんと人間扱いする者、吸血鬼となっても人間時代の道徳を腐らず保っていられる者だけが天国に行ける。
この世で最初の預言者は息子を生贄に捧げろと命じられた。
ある敬虔な男は貧困に喘ぎ皮膚病に冒され、妻からも信仰の放棄を説かれた。
かの救世主も砂漠で悪魔の誘惑を受けた。
彼らは皆それに打ち勝ったんだ。
吸血鬼にされた者も、その周りの者も正しく生きられるか試されているんだと。
太陽は納得できなかった。
何が試練だよ。
みんなその試練を受けさせられて死んでいったのか。
吸血鬼にされて悪魔だと言われて命を狙われる側と、人間のままでいられる側。
何で僕らだけがこんなにも苦しい試練なんだ。
憤る太陽に天道は言い聞かせた。
神が理不尽に見えるのは、我々が幼すぎるからだ。
子供には大人のすることが納得できないことばかりなのと同じだ。
それでも、神はどんな大人よりも賢く正しい。
だから最後には、絶対に救われるはずだ。
君は私に血を分けてくれた、傷つけられる仲間をいつも庇ってあげていた。
そんな子が地獄に落ちるわけがないと。
ある時、天道が聖母の像に祈りを捧げているのを見た。
お願いします。
助けてください。助けてください。助けてください。
泣きながら懇願する。
信じる、の響きからはほど遠い姿だった。
死んだらどうなるのだろう。
スーパーマンも黄金バットも金持ちも首相も大統領も、死者には何もできない。
死の向こうを知っているのは神様だけだ。
こんなにもムカつく神様に、どうか助けてくださいとお願いしなきゃいけないのか。
アンデスマッチの先代チャンプは無頼を絵に描いたような男だった。
死後なんか考えるだけ無駄と酒色に耽り、人間の女を何人も金で奴隷扱いしていたのだが、その女の一人が文字通り牙を剝いた。
口腔内に聖銀を忍ばせ、死の接吻を食らわせたのだ。
閃光と共に彼は鼻から下を、牙ごとごっそり喪う。
女はその場で首をねじ切られたが、復讐はこの時点で果たされていた。
聖銀で喪った部位は絶対に再生できない。
そして吸血鬼は、牙を通してしか吸血できない。
輸血しようと、牙の根元に血を注ぎこもうと無意味だ。
だから牙をなくした吸血鬼は「餓死」が確定する。
翌日、彼は試練派へ入信し、最期の数日を信徒として過ごした。
見苦しいと嘲り、罵る仲間もいた。
それでも死の間際、十字架をぎゅっと握りしめ、傍らでは天道が福音書を諳んじる。その光景を見ると怒る気になれなかった。
俺達が神に縋るなんて奴隷と同じ、信仰を棄てろと皆に勧めていた奴は周りに煽られてクリプトを抜け出し、そのまま行方不明になった。
アイツは生前言っていた通りに地獄に落ちたのだろうか。
嫌な奴だったが、主張には少しだけそうなのかもと思ってしまうところがあった。
こんな虚しい世界で自分たちはどう生きたらいいんだろうか。
『神様なんてクソだよ』
お姉さん試練派ってヤツなのと聞かれて、冬空ひまわりはそう答えた。
『クソだけどね。
だからって自分もクソに合わせた生き方するのも馬鹿でしょ。
私はクソとはちがう。クソじゃない生き方をするよ。この世界で』
正論なのだと思う。
でも何ができるというのか。自分たちは悪魔呼ばわりされて、死んでも気にされなくて、実験材料か見世物としてしか存在を許されないのに。
『最悪がもうちょっとマシな悪になるだけで、前よりは助かる人が出る。
その人たちの中からきっと、味方してくれる人は出てくるよ。
それで、次はほんの少しマシな悪を目指す。
「上手くいかない」だって「何もしない」よりは何かをよくしてるんだよ』
天道のことを思い出した。
天道の失踪は少し前のことだった。彼の部屋に、吸血鬼である自分がすんなり入ることができた。
許可を出すべき持ち主が存在しなくなった。それが示すことは明らかだった。
彼からの手紙を発見したのは翌日だ。
失踪の前日、自分に貸してくれた本の裏表紙に縫い込まれていた。
どういうルートで知ったのが、運営にまつわる情報がびっちりと書き込まれている。ひまわりに渡した情報には彼から得たものも多い。
地獄に、死に怯えていた天道も、命をかけるほどに目の前の悪を変えたかったのだろうか。
『一緒に戦おう』
クリプト運営側の一斉検挙があった日の夜、酒場の一角で彼女は手を差し伸べてくれた。
探偵事務所を開業したい。助手になってくれと。
太陽の答えは否だ。
彼女には恩があったが、だからって人間のためになんか働きたくない。
『みんな吸血鬼なんか嫌いだよ』
『まあ、うん。そうかもね』
ハンターや悪魔派に限った話じゃない。
グラスを片手に彼女は頷く。
明確な敵意でなくても、吸血鬼なんてものは自分の行動範囲にいてほしくない。
例えばこのクリプトだって、建造するときには大規模な反対運動があったらしい。
吸血鬼非難の口実はいくらでもある。
輸血用血液を大量消費される不満
圧倒的な腕力と犯罪率の高さへの不安。
不老不死が命の価値を貶めるという道徳的な嫌悪。
ひまわりは「まだまだある」と言ったうえで「だけど」と続ける。
『結局後付だよ。
こういうこと言う奴は自分や身内を同じくらい厳しく見てる?
んなわけない。
結局は、自分たちとちがう生き物が何となく気持ち悪いだけ。
ムカつく? ホントだね。
でも所詮何となくだからね。
変えられるよ。変えてこう』
いい顔で言われたが、嫌だった。
そんな奴らに、何でわざわざ好かれなきゃいけない。
『ここって、僕らを奴隷扱いした会社のおかげで儲かってたんだろ?
みんなあいつらの味方なんだろ』
『たしかに、この街の住人は加担した罪があるだろうね』
『そうだよ』
『キミのおじいさんも同罪ってことだけど、わかってる?』
何も言えなくなった。
生前の祖父は、ボケる前の祖母はどういうつもりで暮らしていたんだろうか。
『キミのおじいさんもおばあさんも悪いよ。
別に、クリプト運営の所業をはっきり容認してたとは言わない。
ただ、「何か悪いことがあるんだろうな」と思いながらぼんやり見逃した。
前の戦争だってそうやって起きたんだろうね』
彼女は残った酒を一息に呷る。
空のグラスを叩きつけるように置いて、叫ぶみたいに宣言した。
『そういうのこそが、最も戦わなきゃいけないものなんだ。
やめてもらうには彼らがぼんやり踏みにじってるものを、踏んじゃいけないものだったって思い知らせるしかない。
そのために関わるんだ。
話したことがあるってだけで、なかなか見てみぬふりはできなくなる』
言っていることはなんとなくわかった。
だけど、恐ろしくハードルの高いことに思われた。
それにやっぱり、ムカつく連中に気に入られるなんて、クリプトの客に媚びていたのでもうたくさんだった。
『嫌なヤツには文句言えばいいよ。
ちゃんと向き合うってのは、従順ってこことはちがう』
そう言われて、渋々でも彼女に付き合うことにした。
彼女の役には立ちたかったから。
地道な挨拶からはじめ、地域のイベントには積極参加し、探偵の仕事でも何でもない便利屋じみた雑務も請け負った。
付き合っていくうちにむしろひまわりこそ文句を言いまくる人間だと判明するのだが、彼女は度々衝突しながらも関わることはやめなかった。
その努力が功を奏して、遮光服姿で昼間出歩いても訝しむ者はいなくなった。
祖父の技の演舞にわっと歓声があがった時は思わず泣いてしまった。
あの日からも昼間目を覚ますと不安が忍び寄ってくる。
心の片隅に地獄が入り込む。
それでも、どうにか不安に目をつぶりながらやってこられた。
ひま姉が生きて一緒に戦ってくれる限りは、大丈夫。
ひま姉がおばあちゃんになって死ぬ時が来てもこのままでいられるかわからない。
でも大丈夫だ、何十年も先なのだ。
リアルじゃないということはないのと同じ。
ひまわりが余命を告げられるまで、そう思っていた。
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