神のみぞ知る動機

「太陽くんがアネゴを殺すわけないでしょ。馬鹿っすか?」


 荒湧署内の空き室。

 球地たまち明日乃あすの巡査は未だ怒りの冷めやらぬ様子で気炎を吐く。

 三十分前、捜査本部帳場に乗り込んできた時の勢いそのままだ。


 帳場の主である管理官に詰め寄ってつまみ出され、今に至る。

 懲戒処分は確実だが何ら気落ちしていないのは呆れを超えて感心してしまう。


 根拠はと言えば太陽がやるわけないの一点張り。

 彼女は太陽と同い年の幼馴染。小中と一緒だったらしい。

 現在はヘブン探偵事務所からほど近い派出所に駐在の身だ。

 探偵と警官。

 推理小説では古くから癒着してきた両者だが、彼女は今や被疑者となった探偵に全幅の信頼を隠さない。


「何で殺すんすか? 動機は?」

「それは俺が知りたいところだが」


 襲撃を咎められてというのも冬空ひまわりへの不満も、どうも作り物臭い。

 とはいえ証拠から見て彼が犯人という線は動きそうもない。

 本当の動機があってそれを隠している。

 そんな風に思われた。


「会議での見方は自殺説が有力だな」

「自殺?」

「神野は死にたいから、死刑になりたいから殺したってことさ」

 

 自殺の代替手段。死刑になるための殺人。

 すんなり受け入れられたのは、現代の殺人のスタンダードだからだ。


 現代は人類史上最も神が信じられている。

 信じるという表現も生ぬるい。事実として共有されている。

 当然、吸血鬼の存在の裏返しとして。


 幼児洗礼は半ば親の義務と化し、政教分離なんて投げ捨てた国も多い。

 日本では事変の当時50%超まで普及していた火葬が今や文字通りの、消える寸前だ。

 年老いると教会の運営する養老修道院で生涯を終え、死してそのまま土に葬られるのが、AD時代の人生モデルと化しつつある。


 こんな世界では、宗教的タブーを避ける気持ちもかつてなく高い。

 そのタブーの一つが自殺だ。

 自殺者は地獄行きと言われているから。


 想像を絶する苦痛が無限に永遠に続く世界。

 生きるのが辛いと逃げた先がそれでは本末転倒どころじゃない。

 結果、激減した自殺に取って代わったのが死刑になるほどの罪を犯し執行までの間に改心するという自殺としての殺人。

 十八世紀ヨーロッパでも流行したというが、今やそれが殺人の王様と呼ぶべき地位にいる。遺族は犯人の地獄行きを願ってやまない。


 神野太陽はどうなのかと言えば、彼は多数のハンターの集会場へ乗り込んでいる。冬空を殺してすぐのことだ。

 その場の連中の多くは聖銀で武装していた。当然、それも予想済みだっただろう。

 命知らずというより積極的に捨てにいっているとしか思えない。

 月生に捕まらなくてもいずれ殺されていただろうし、捕まってからも敢えて自分の心象を悪くするような露悪的な供述ばかり。

 殺されるにせよ死刑にせよとにかく自分の手以外で死にたい。

 そんな見方には一定の説得力があった。



「ナンセンス! 吸血鬼が『死にたい』だなんて」


 そのアメリカ人司祭は捜査本部の見解をばっさりと切り捨てた。横で球地たまちがうんうんと頷く。

 西荒湧の地下街に居を構える教会はさながら現代のカタコンベだ。

 教会を訪ねた月生げっしょうは礼拝堂で司祭と向き合う。

 彼も二人を事件前から知っているらしい。冬空の遺体埋葬も彼が行ったという。


「吸血鬼は何より死を恐れてる。

 死にたいなんてあり得ない。死んだら地獄行きって思ってるんだから」

「それは悪魔派の考えでは」

「もちろん!

 僕ら試練派ペイラスモスはそんなこと言わない」


 吸血鬼はヘルシングが説いた通りに人間の身体を乗っ取った悪魔なのか。

 それとも彼ら自身が訴える通りに体を変えられただけの人間なのか。

 歴史上の宗派対立がつまらない諍いに見えるほど事変後の教会は激しく対立し、大きく分けると二つの派閥にまとまった。


 聖銀の効力を証拠に悪魔だと信じる派閥。銀十字などのハンターは当然こちら側。

 一方で人間だと信じるのが試練派だ。

 なぜ「人間派」でなく「試練派」なのか。

 吸血鬼が日光と聖銀で滅びる理由を「試練だから」と答えたためだ。

 聖書には苦難や誘惑で信仰を試されるエピソードが度々描かれる。

 今、試練を受けているのは吸血鬼のみならず全人類だ。

 そこで問われるのは、神の説く正しさを理解できているか。


 曰く、吸血鬼が悪魔に見えるのは表面的な現象に過ぎない。

 彼ら自身の振る舞いは人間時代と変わらない。

 時に騙しも盗みもするが、それは迷える子羊が境遇に負けただけ。

 我々も犯す過ちだ。我々は同じなのだ。

 神の前の子羊同士、手を取り合えるかを神は見ていると。


「神は吸血鬼というだけで地獄へ送ったりはしない。

 だけどねMr.ゲッショウ。

 やっぱり怖いのさ。彼らは自分で体験するんだから。

 理屈じゃない。疑ってしまう。

『天国に行けるってホントか?』『結局地獄行きなんじゃないか?』『人間のお前らに何がわかる』ってね。

 だから吸血鬼はみんな敬虔だ。不安が強いから信じるんだ」

「二人も信徒だったんですか?」

「タイヨーはね。Ms.ヒマワリはちがう。彼女はアレらしい。スニアラー派」

「スニアラー」


 事変後の全人類が悪魔派か試練派かに分かれたわけじゃない。

 無神論者なんてのはほとんど絶滅したが、吸血鬼を生み出した神の意図の解釈は、この両派以外の立場も少数ながら存在する。


 例えば月生げっしょうは不可知論者だ。

 そこでいう不可知はかつて「神が存在するかしないかは不可知わからない」という意味だった。

 神の実在が明らかとなった今では「神の意図」について不可知の立場だ。

 神は善か悪かわからない、と言い換えてもいい。


 対して冷笑家の神スニアラー派というのは、神を明確に悪だと捉えている。

 彼らの考える神はまるで巨大な子供だ。

 それも虫を殺したり積み木の城を壊したりして喜ぶタイプの。


 なぜ、預言者たちの時代には軽率なほど気安く天罰を下し地上に介入していた神が、二千年近くもだんまりなのか。

 なぜ、それが急に吸血鬼なんてものを地上に産み落としたのか。


 神学者なら、気宇壮大な神の計画は人間には伺い知れないのだ、とでも答えるだろう。

 スニアラー派はそんなものは言い訳と一笑に付す。

 彼らの答えは「人類を弄んでいるから」。

 飽きて忘れていたのを思い出した。

 放置してから構って反応を楽しんでいる。

 ともかくそんな悪趣味の一環で放り込んだコマが吸血鬼だと。

 何ならこの世界丸ごと、次の瞬間には神の鼻息で消し飛んでもおかしくないと。

 それがスニアラー派の考えだ。彼らこそ一番の冷笑家にも思える。

 冬空ひまわりという女に、初めて興味が湧いた気がした。


「彼女からすれば、試練派も悪魔派も奴隷根性にしか見えないんだろうね」

「神野はちがうんですね?」

「タイヨーは、そんな頻繁じゃあないけど来る時は真剣に祈ってたよ。

 死んでいった吸血鬼も天国にって」


 地獄なんか怖くない――そう宣言する顔が浮かんだ。

 司祭の話が本当ならあまりにも突然の宗旨変えだ。切なる祈りを全て投げ出すような絶望が、彼を襲ったのだろうか。



「太陽くん、やっぱ犯人じゃないですよ!」


 教会を出て球地たまちの勤務先の交番へ移動、それからしばらく経ってのことだ。

 引き続き二人の話を聞くつもりだったのだが交換条件に捜査資料を見せろとしつこくせがまれ、根負けして見せてしまったのが間違いだった。

 地元住民への対応を月生げっしょうに丸投げし、交番所長ハコ長が巡回から帰ってきたのも構わず資料とにらめっこを続けた球地たまちは、外に聞こえかねない声で言い放った。

 すぐに所長から怒声が飛ぶが、球地たまちは「ここここ」と捜査資料を開いて見せつけてくる。

 検視官が撮った遺体の写真の並ぶページ。球地たまちは内一枚を指差す。

 遺体の左腕、前腕下部には小さな点が散らばっている。

 注射痕だ。数は全部で五つ。

 全てが真新しく、恐らくは死の直前に注射されたものだろうと書き記されている。


「これは彼女が自分で――」

「知ってるっす。病気だったんでしょ?」


 球地たまちの言う通り、冬空には持病があった。

 発症は幼い頃。発見当時は死の病だったが医学の進歩で病気はコントロール可能になった。

 それで、病院から処方される薬を毎日決まった時間に自己注射していたらしい。

 彼女のかかりつけ医曰く、二週間おきに検査を受け、毎回二週間分の薬をまとめてもらっていたとのことだ。

 事実、彼女の自宅から薬局の袋と処方箋、一緒にもらう注射針が発見されている。

 衛生上の理由から針は一回ごとの使い捨てで、未使用の針は十本。

 最後の検査が死の四日前だから針の本数については辻褄が合う。

 ただ問題は薬の方だった。

 針と同じく十日分あるはずの未使用薬が見当たらないのだ。


「自分も初動捜査の手伝いに引っ張り出されたんすけど、その後も見つかってないんですよね?」

「ああ。自宅からも事務所からも出てきてない」

「普通なら針と一緒に仕舞っとくもんじゃないっすか?」

「その『普通』を語れるほど俺は詳しくないが、……それで?」

「なくなってた薬、犯人がぶち込んだんじゃないですか?

 全部一気に。

 死ぬでしょ。そんな打ったら」


 たしかに、どんな薬にも服用する量とペースは決められている。

 大量の風邪薬や睡眠薬で死亡する例がある。薬効も過剰になれば毒でしかない。

 医師にたしかめたわけではないが、冬空の薬も十日分を一度に打てば死に至るというのはない話ではないだろう。


「馬鹿か貴様。それなら解剖で検出されてるだろ。

 これだから婦警は」

「はぁ〜〜っ……これだから男は」


 球地たまちは堂々と煽り返す。所長の手が出ないかとヒヤヒヤした。


「されないっすよ。

 


 小説の名探偵さながらの癪に触る語り口だった。


「根拠はもいっこあります! 

 何で死ぬ直前に打った注射痕がいくつもあるんすか? 

 注射は毎日一回なのに」

「んなもん打ち間違えただけだろ。女は注射が下手なんだよ」

「アネゴはね。自分の手に何千回と注射してきてるんすよ? 

 血管の場所も全部わかりきってるんすよ。

 今さら何度も失敗するわけないじゃないすか。

 ……つまり、あの注射は下手くそな誰かが打ったものなんすよ。そいつが犯人っす」

「何で真犯人とやらは女所長の薬をわざわざ使うんだ。

 十日分の注射を打つくらいなら農薬や殺鼠剤のがすぐだろう」

「それは……そうだっ! 自殺に見せかけたんすよ!

 アネゴ本人の薬と注射器で死んでるんですから。太陽くんが隠蔽しなきゃ、自殺だと思われてたんじゃないですかね?」


 名探偵の推理さながら、反論されればされるほど球地たまちの説は強度を増していく。

 自信のほどは顔にもありありと表れ、対する所長はまさかこいつがという表情。

 しかし悲しいかな、根本的な穴に気づいていない。

 少しばかり申し訳ない気持ちになりながら月生げっしょうは口を挟んだ。


「その説だと神野は隠蔽までして真犯人を庇ったことになる。

 なぜ庇う? 相棒を自殺に見せかけてまで殺した奴だぞ?」

「それは……これからっすよ。

 太陽くんは事情があれば庇っちゃいますよ。そういう子なんで」


 神野太陽への見方だけは、信用に値するのかも知れない。

 ただ。


「残念ながら、というのもなんだが、ない」

「何で」

「君の言う通り薬液を血ごと回収したとしよう。

 それでも薬物中毒が死因なら、死体に中毒症状の痕跡が残らないわけがない。

 解剖医の認定する死因は間違いなく失血性ショック、つまり吸殺だ」


 部下の推理が外れたことに、所長はわかりやすくやにさがった様子を見せた。

 球地たまちはそれでも無実を諦めきれない様子でしばし考え込んだ末、またも「そうだ」と手を叩いた。


「こういうのはどうっすか?

 犯人も吸血鬼なんすよ! クリプトにいた頃の仲間とかで。

 本当はそいつが吸殺きゅうさつしたのを、太陽くんが自分の牙を刺して上書きしたんす」

「薬殺にせよ吸殺にせよ同じ理由で否定できる。

 生活反応、というものがあるからな」


 生きた人間が負傷すると、周りの細胞は血を止める、傷を塞ごうとするといった反応を見せる。 

 これらは生きているからこそ起きるものだ。

 法医学においてこの生活反応の痕跡は、遺体の傷が生前の怪我か死後の損壊かを見分ける重大な指標となる。


「あの牙痕には生活反応が見られた。生きた状態でつけられたものってことだ」


 つまり、彼女の生前、最期に刺さっていたのは太陽の牙に間違いない。

 信じられない、受け入れられない。

 そんな表情の球地たまちに言う。


「それはそうと、球地たまち巡査」

「……なんすか」

「被疑者と被害者の話は、もっと詳しく聞きたい」



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