You Are My Sunshine


 退院してからのひまわりはあからさまに不自然だった。

 どれだけポーカーフェイスを装っても自分の前での心音の激しさに、何かあると気づかない方が無理な話だ。

 問い詰めたら、観念したのだろう。

 案外あっさりと吐いてくれた。

 余命のこと。

 君のせいじゃないと言われても堪えきれなくて、一晩中泣きながら謝り続けた。


 それで、覚悟を決めた。

 死ぬまでひまわりの相棒でいよう。

 安心してひまわりが死んでいけるような、自分の死後のこの世界に希望を持ってくれるような頼れる存在になってみせる。

 ……そう演じきってやろう。


 そんな見せかけの覚悟は、名探偵にはどうやらお見通しだったらしい。


「私が死んだら、君、死ぬ気だろ」「ひま姉の仇の連中も地獄に道連れにしてやろうとか思ってるだろ」


 全てが図星だった。

 ひまわりが復讐など望まないのはわかっている。

 天国ヘブンへの道を行くなら、復讐より奴らから他の吸血鬼を守ることに邁進すべきだとわかっている。

 でも、嫌だった。

 あのクソみたいな奴らは、法を破ることなんか何とも思わない。

 罪を立証できようが牢獄で高笑いするだけにちがいない。

 こっちには神がついているのだから。奴らは絶対に勝利者だ。そう信じ切っている。

 信じているから救われる。

 奴らには死後に裁きが下る。地獄に落ちる。自分たちは天国に行ける。

 そんな風には思えなかった。

 だからもう、全部台無しにしたかった。

 とにかく暴れて、竜の子ドラキュラに、悪魔ドラクルになって、悪魔共と糞味噌に混ざってしまえば楽にちがいなかった。

 そんな胸中を、大して長い付き合いでもない相棒はしっかり見抜いて、その上で叱ることもせずに言った。


「私も吸血鬼にしてよ。

 そんであいつらもみんな、吸血鬼にしてやろうぜ」


 耳を疑った。何を言ってるんだろう。

 吸血鬼にする……? 何で……?

 彼女は、ある吸血鬼の話をした。

 そいつはもともと悪魔派だったが、自分が吸血鬼にされてしまい、一転追われる身になった。

 自分の間違いを痛感し、贖罪に生きることにしたのだと。


「お仲間が何人も何十人も吸血鬼になってみんな間違いだったって手のひら返せば、心が動く奴だっていっぱい出るよ!

 私もこのまま死ぬのは御免。

 太陽、私を君と同じにして。新しい世界を作ってやろうよ」


 冗談じゃない。

 連中に、そんな風に悔い改める奴が一体何人出るだろうか。

 そして、もともと悪魔派だった奴を仲間だなんて思いたくない。

 それに何より、ひまわりには吸血鬼こっち側に来て欲しくない。

 地獄に怯えて永遠に死から逃げ回り続けるなんて。

 何度も何度も拒絶しても、彼女は引かなかった。

 ひまわりが死んでも自棄を起こさないと約束して、納得してくれたような顔をして。

 あの時、あんな行動に出た。

 空になった薬液のパック十袋を見せつけて、青ざめた汗だくの顔で。


「ホントにごめん。でも嫌なんだよ。

 私、まだまだ君と探偵でいたいんだよ。

 いや、もう探偵のすることじゃないかもだけど……。まあ今さらか。

 あいつらに負けて死ぬのなんか絶対に嫌だ。

 でも、殺したって絶対、あいつらは『天国に行ける』と思いながら死んでいくんだ。

 後悔させてやろうよ。心底ビビらせて、すみませんでした許してくださいって。

 それでこそ私たちの勝ちじゃない?

 だから、仲間に入れて。もっかい。

 一緒に戦いたいから」


 もう、やるしかないんだと思った。

 それに、たしかに全然悪い話じゃない。

 むしろ最高じゃないか。

 ひまわりが生きている限りは大丈夫って思ってたじゃないか。

 これでもう、ひまわりが死ぬことは永遠にない。永遠に大丈夫。

 彼女の首筋に牙を突き立てて――


 何で、あんなことをしてしまったんだろう。

 このまま死ねば自殺だから地獄行き。

 吸血鬼になっても地獄行き。

 何で、あんなこと思いついてしまったんだろう。


『自分が殺せば地獄行きにはならない』


 何で、素晴らしいアイディアかのように飛びついてしまったのだろう。

 何で、神様なんかロクに信じてこなかったのに。

 神様に祈る吸血鬼にも何でだよって思ってきたのに。

 何で、彼女の願いよりも神の決め事なんかに負けてしまったんだろう。

 ひまわりは、何も答えてくれなかった。

 彼女の死に顔は泣いていた。

 それが全ての答えだった。


 死のうと思った。

 最初からこうすべきだったのだ。

 悪魔派を道連れにして、糞味噌に混ざって、糞の塊として地獄へ行くのだ。

 そのはずなのに、ひまわりに背格好や髪型が似てるだけの女が死にかけていて、自分は殺しに来たっていうのに、見殺しって選択肢がリアルになった途端に腰が引けていた。

 それで死に損ねて。

 今、この月生とかいう刑事に全てを暴かれている。


 そうだ。

 死ぬのなんて簡単だ。

 集会なんか行かず、夜明けに飛び出せば一瞬だったのに。

 死にたい死にたいとほざきながら、死ぬのも地獄も怖くてダラダラ引き伸ばしてきた。

 この檻は銀でできている。ここに倒れ込むだけで、自分は消える。

 もう逃げるのに疲れた。たくさんだ。

 さあ、地獄へ行こう。


「死ぬなっ!!」


 ガシャンッ、と音が響いた。

 月生が格子を掴んで叫ぶ。

 腕が通るはずもない隙間にどうにか手をねじ込もうと、自分に手を伸ばそうとするかのように。


「死ぬんじゃないっ!!

 死ぬの怖いんだろっ!? 死ぬなよっ!!」


 必死の形相だった。一体何なのだろうかこの男は。

 あの場で撃たれそうな自分を庇った時も、上司に楯突いた時も。


「何なの、あんた?」

「俺は、お前が死んだら嫌だよ」

「……何で? 警察って僕らのこと嫌いだろ?

 刑事さんの家族とか恋人とか助けた?」

「いや、全然関係ない。

 お前たちのことは新聞でしか知らなかった。

 ただ、ファンになったんだよ、お前の」

「はぁっ?」


 クリプト時代のキモい客みたいな連中か。

 自分に媚びを売っていい目を見ようっていうのか。

 でも、心のどこかでちがうと言っている。

 そんな奴は、自分まで撃たれる危険を冒して吸血鬼を庇ったりしない。


「……俺はな、人生がずっとつまらないんだよ。

 警官になったのは親父が死んで大学に行けなくなったからだ。

 社会を守る仕事に就いておいて、俺は社会そのものがあまり好きじゃない。

 家庭を持つとか趣味に生きるとか、そんなのにも興味が持てない。

 最後の審判ってものがあるならさっさと来て、みんな地獄に落ちればいいとさえ時々思うよ」


 似たようなことを言う奴がクリプトにもいた。

 でも、そんな奴がなぜ自分に死ぬななんて言うのだ。


「それでも、本当にそんなことになったら困るし、人並みに死ぬのは怖い。

 しかたなく生きてるんだが、虚しいんだこれが。

 だから社会が嫌いとか言っておいて、社会正義に貢献してるんだと自分を誤魔化してる」


 太陽にはよくわからない話だった。

 人生で辛いことも、虚しくなる瞬間もいくらでもあったが、それでもこの男の言うことはよくわからない。

 太陽の殺人を名推理ですっかり暴いてみせたのも今は昔、ピンとこないことをまくしたてる、檻の向こうの変な男でしかない。

 だけど。


「お前みたいな奴に出会った瞬間だけ、俺は嫌々生きてるだけの人生に本物の価値がある気がする。

 俺自身には価値がないから、価値のある奴のおこぼれがなきゃ生きられない。

 俺みたいなのにとって、お前みたいなのは希望なんだ。

 俺は正義を全然信じてないが、正義のヒーローが実在してて欲しい

 お前がそうだよ。神野太陽。

 だから生きてくれ。とりあえず今は死なないでくれたらそれでいい。

 人生長いんだ。お前は特に」


 そう語る彼の瞳の輝きは、紛れもない。

 つらつら語っていた理屈を跳ね除けて、その一点だけで彼に魅せられていた。

 

「お前みたいな奴に死なれると、俺も死ななきゃいけない気になる。

 死なないでくれ」


 輝かしい表情から一転、惨めったらしく哀願する。

 気づけば、何でもいいという、全部壊れろという、糞味噌な気持ちが失せていた。

 彼の話が聞きたかった。反論したかった。死んでしまってはきっと叶わないことがしたくなっていた。

 ……ごめん。ひま姉。


「死にたくない、死刑になりたくない」


 この時点ではまだ、刑事と被疑者でしかない。

 後に二代目ヘブン探偵事務所を設立する二人の、はじまりの事件だった。

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