奴隷の寄る辺を祈りと呼ぶ
「死ぬはずやった? もとから?
薬は……」
「効かなくなったんですよ。
腎臓が急激に弱ったため、とカルテには」
冬空すみれは、娘の余命を告げられるとしばし言葉を失う。
荒湧南署の取り調べ室。
ひまわりの母親だ。
故人の余命というのもおかしな話だが、彼女がたとえ太陽に殺されなくても、余命幾ばくもなかったのはたしかだ。
原因は事務所を襲った聖銀爆弾。
飛び散った破片が脇腹に突き刺さり、腎臓にも大きなダメージを与えたのだ。
それ自体は致命傷ではなかったものの、その後入院していた外科病棟に内科のはずのかかりつけ医が現れて告げた。
もうあの薬はほぼ効かないと思って欲しいと。
あなたの腎臓はロクに働いておらず、その状態では抑制剤の効能は十分の一以下まで低下してしまうと。
かといって十倍の量の薬を投与しても体が過剰な薬効に耐えられない。
だから、病気を止める手段はない。
保ってあと半年。
「ウチの」
「はい?」
「ウチのせいや言うんかっ!?」
すみれは唾を飛ばしながら詰め寄る。
そうだ、あんたのせいだよと言ってやりたくもなった。
彼女はヘブン探偵事務所爆破の犯人だ。
最初に疑われたのは嫌がらせを繰り返してきた銀十字や悪魔派の信徒。
その中で過去に聖銀爆弾製造の嫌疑がかかった男が取り調べ対象になった。
最初は知らないの一点張りだったが、やがて「関西支部の中年女に頼まれて作り方を伝授した」と白状した。
その中年女というのが冬空すみれだ。
箱の破片から採取した指紋が一致し、逮捕に至った。
「アレはもう生きられんってわかって、改心したんか?」
「改心、とは」
「神様を信じることに決まっとるやろっ」
すみれの言う「神様を信じる」とは悪魔派への入信だろう。
太陽を裏切って。
「恐らく、していなかったんじゃないでしょうか。
死の当日まで、爆破前と変わらない様子で事務所に出てきていたという話です」
「……せやろなあっ、あの、アホっ!
ほんで、
ざまあないわ。
…………あ、あ、あ~~~~~~!!!」
椅子に両手を拘束されたまま、すみれは上下に頭を振って泣き喚いた。
取調室にしばらく嗚咽と、それから鼻をすする音が響いた。
室内に静寂が戻ってから尋ねる。
「爆弾は神野を殺すために?
恨みですか。それとも、娘さんを取り戻せると?」
「両方に決まっとるやろ。
アレはアホやから、あのバケモノに騙されとるんよ。
もとになった子がえらいキレーな顔しとるしな。バケモンに使われてかわいそうに。
お父ちゃんの時と一緒や! ホンマにあのアホは」
お父ちゃん――天道国光。
冬空ひまわりの父親も五年前、吸血鬼にされたことがわかっている。
「あのバケモン、一緒にやり直そうゆうてきたんよ。
アレにも『父さんが間違っていた。お前が正しい』って、自分がお父ちゃんやゆうツラしてな。
気色悪うてかなわん。
ふざけんやない、近寄るなって言ってやったわ。幸いその後は近づいて来んかったけど、アレはますます調子づいて」
人間時代の天道も妻と同じく悪魔派の一員だった。
彼は関西で大手の探偵事務所に所属し腕のいい探偵と評判だった。
その調査手腕と人脈を駆使して吸血鬼の所在を調べあげ、ハンターたちに流していた。
結果、何人もの吸血鬼を葬ることに成功したが、自身がその吸血鬼にされてしまう。
国内の吸血鬼の大半を収容するクリプトにハンターを送り込めないかと、荒湧市を調査に訪れた際に襲われたのだ。
一緒にいたハンター曰く、長身で長髪、目出し帽を被っていたという。
恐らくは当時クリプトの家賃を払えず消えた男で、当日は手当たり次第に出歩いている人間を襲ったらしい。
そいつは天童に続いて仲間にも襲いかかり重傷を負わせたが、彼が着込んでいた聖銀のボディアーマーに触れてしまい、頭部を消し飛ばされて死亡した。
それでも、すでに天道の吸血鬼化は完了していた。
倒れている仲間に天道は俺だと彼は叫び、聞き入れられないと見るや逃亡した。
かつての同志から一転追われる身となった彼は家族からも見放され、荒湧市のクリプトに行き着くもそこで失踪している。
悪魔派の考えでは、吸血鬼の血を注がれた時点でもとの人間の魂は滅びるはずだ。
なのに、完全に自分のまま。
ただ吸血鬼の肉体になっただけ。
間違っていたと我が身で実証した瞬間、一体どんな気持ちだったのか。
「結局バケモンに騙されて、バケモンに殺されとるんや」
「天道さんが本当に彼のままだったらと考えたことは?」
「あん?」
一瞬怪訝な顔をするが、すぐ馬鹿にした笑みへと変わる。
こいつもそっち側か、と。
「アホ抜かせ。試練派ゆうんは悪魔の考えや。
試練ゆうのはな、苦しい目におうたり悪魔に褒美やる言われても信じられるか試すもんや。
やのにアイツラは神様の力を疑うのが正しい言いよる。おかしいやろ」
一理あるかも知れない。
すみれは
だが
吸血鬼を人間と見なしつつ、彼らの味わう理不尽を試練とこじつけようとする。
悪魔派が「悪魔だから」で片付けるのに比べて、人間扱いしている分だけよけい、神に阿る態度が腹立たしくなる。
あの司祭が言った通りの奴隷根性だ。
「刑事さん、あんたもアレと同じ手合やろ。
うちらのこと馬鹿にして、何も信じてへん自分を賢いと思うとるんや。
お高くとまったまま地獄に落ちたらよろしいわ」
翌日、取り調べの続きのためにすみれを留置所に迎えに行った時のことだ。
そこには意外な姿があった。
部屋の片隅に跪き、手を組んで祈りを捧げている。
耳を澄ますと何やら唱えているのが聞こえてくる。
「頼んます。
アホな娘のこと、堪忍したってください。
ウチが
煉獄。天国と地獄の間にある、罪を浄化して天国に行くための世界。
提唱されたのは十二世紀頃で、元来の教義には存在しなかった。
一応は聖典内に根拠があって唱えられたのだが、当時の神学者からの批判も数多く残されている。
それでも定着したのは多くの人が、完璧な善人とは言えなくても救いたいと願ったからだろう。
宗教の歴史は神への疑義の歴史でもある。
教えに出会う機会もなく死んでいった人々は地獄行きなのか。
洗礼前に死んだ子供は地獄行きなのか。
苦しみに耐えきれず命を絶ったら地獄行きなのか。
そんなのはおかしい。
お願いだから、彼らにも天国の門を開いて欲しい。
そんな祈りで人類は聖典から都合のいい記述を引っ張り出し、時に自分たちの願望を教えにねじ込んできた。
あらゆる時代で、あらゆる場所で、あらゆる宗教で。
祈りとはきっとそういう身勝手なものだった。
神の実在が知れ渡った今もそれは変わらない。
留置所係曰く、彼女は毎日多くの時間をああして祈りに費やしているという。
さらにこう続けた。
「私もね、誰も彼も神様に祈りだしたのを若い頃は馬鹿にしてた。
けど子供が生まれたらわかったの。幼児洗礼も迷わず行かせた。
何があろうと子供が地獄に落ちるのなんか嫌じゃない。
あの母親も気持ちはわかるのよ。それが親ってもんでしょ」
そんな親ばかりでもない、という言葉は呑み込む。
間違っているのは自分なんじゃないか。
信仰とその背後の思いに、引け目を感じることは少なくない。
今の世界で信仰は預金より、健康診断より、軍事力より重要な安全保障だ。
気に入らないとか信用ならないとか、そんな贅沢は言ってられない。
是が非でも守りたいものがあるから。
大切なものがあるからこそ神に縋るのではないか。
抗い得ない
せめて善き支配者である可能性に賭けるしかない。
│そうありますように《アーメン》。
神に帰依したことがないのは、人生も世界も大事じゃないからか。
虚しい人生を賢さの表れと思っているだけじゃないのか。
だとしても、冬空ひまわりは神を信じず戦っていた。
自分にも、とりあえず今はできることがある。
神野太陽をこの世界に留め置く鍵は
謎が解けていた。
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