Case.0 祈りのためのワイダニット

落日の歌

『地獄に落ちろ』


 神野太陽の吸血鬼人生はその言葉からはじまった。

 十五歳の冬の話だ。


 襲われたのは中学の帰り。

 当時の荒湧市はだった。

 夜に出歩くなと口酸っぱく言われた。

 それでもこの日は外に出なきゃならなかった。

 学校から帰ると祖母がいなかった。徘徊する老人が犠牲になるのは事変後の世界では間々あることだった。 

 見つけてやらなきゃならない。

 祖父に殴られるのを覚悟で探し回っていると、目の前に一羽のコウモリが舞い降りて、次の瞬間には人間態へと変わっていた。

 目出し帽から長髪が覗いていた。多分男だった。記憶はそれくらいだ。

 戦おうと構えた。

 太陽には武術の心得がある。体は小さいが他流の大人に比べても強い方だ。。

 しかし人間の技術なんて吸血鬼相手じゃ何の意味もない。

 暴れる子犬みたく片手で捕まって。

 血を注がれて。

 ほんの一瞬で、太陽は人間じゃなくなった。


 うるさい、が最初に思ったことだ。

 音だけじゃない。

 全部の感覚が。

 見えすぎるし聞こえすぎる。

 臭いしうるさいし重いし痒いし気持ち悪い。

 世界の情報が勝手に雪崩込んできて、何も見えないかのように自分を見失う。

 そんな中であの声を聞いた。


『地獄に落ちろ』


 雑音ノイズの嵐が吹き荒れる中、底冷えするような響きとその後に遠ざかる羽音だけがあまりにもクリアだった。

 しばらく経って脳が情報量に慣れてくる。

 すっげ。

 そう思った。

 月明かりしか光源のない道で100メートル先の塀の落書きが見える。

 ジャンプすれば電柱を楽々跳び超せる。

 拾った石は少し力を入れただけで煎餅みたいに砕けた。

 超人になったという歓喜に奴が残した呪詛なんか完全に頭から消えていた。

 僕は今日からスーパーマンだ。

 日光を浴びると死ぬ?

 夜の生き物なんてかっこいい。学校にも行かなくてよくなる。ラッキー。

 頭のおかしい連中に狙われる? 

 来るなら来い。望むところだ。


『爺ちゃんも婆ちゃんも僕が守るよ』


 臭いを頼りに発見した祖母を連れ帰り、唖然としている祖父に宣言する。

 返ってきたのは拳骨だった。全然痛くない。


 数日後、本当にハンターたちがやってきた時、太陽は何もさせてもらえなかった。

 応戦する気は満々だったが連中は卑怯なことに昼間を狙う。

 コウモリの姿で金庫に隠れ、祖父が追い返してくれるのをしかなかった。

 祖父は元軍人で戦後は警官をやっていた。

 定年後には道場で教えていて、太陽は手も足も出ない。

 だからチンピラ同然のハンターたちなどあっさりのしてしまったわけだが、それでも普通の人間だ。

 買い物に出たところを車に撥ねられて死んだ。死体には銀が付着していた。

 殺してやると息巻いたところで隠れていた太陽には連中の顔も居所もわからず、あきらめる他なかった。

 それに祖母はどうなる。誰かが面倒を見なきゃならない。

 中学を出たら働くと決めたが、吸血鬼にどんな仕事があるのだろうか。


 祖母は老人ホームに、太陽は同じ荒湧市内の吸血鬼専用団地「クリプト」に入ることになった。  

 棺という意味だ。

 明治から続く炭鉱が事変と重なる時期に閉鎖され、残った坑内に建造された。

 何層もの隔壁で日光は遮断され、警備も厳重。 

 ハンターたちも街で吸血鬼死すべしとデモをやるくらいが関の山。

 あいつらがウチに来たのはクリプトに手を出せない鬱憤晴らしだったのかもと思うと複雑だが、とはいえ太陽は居場所を手に入れた。


 問題はそのショバ代がべらぼうだったこと。

 国は吸血鬼に住居の世話まではしてくれない。

 家族に見放され、家も貸してもらえない。

 よしんば借りられてもハンターの襲撃から身を守る術がない。

 ここを追い出されたら死ぬしかない。

 死にたくない。地獄に堕ちたくない。稼がなきゃならない。


 荒湧市はそんな吸血鬼を歯車に稼働する街だった。

 様々な企業の工場や研究所がひしめき合い、吸血鬼たちは日が沈むとクリプトを出て夜明け前までそこで働く。

 生身の人間じゃ堪えられない労働条件。

 死なないのをいいことに兵器や医薬品の実験台。

 時に金持ちのオモチャにされる。

 

 どの仕事にも共通して言えるのは、激しい運動に体の再生と、どれも不死性の損耗を速めるということだ。

 すると吸血は頻繁になって、配給の血液はあっという間に尽きてしまう。

 すると血を買うために金が必要になって、今度は家賃を払えなくなって、また働く。

 荒湧市はそんな吸血鬼を歯車に稼働する街だった。


 その中で太陽は例外的な、綺麗でピカピカの歯車だった。

 太陽の仕事はデスマッチの選手。

 吸血鬼同士で、相手の頭を砕くまで戦う見世物だ。

 人間とは比べ物にならないスピードとパワー、そして凄惨さ。

 これを見たら世間の格闘技やスポーツなんか眠たくて見ていられない。

 謳い文句に釣られてかスタジアムは連日満員。  

 勝敗予想のギャンブルも毎日何億という金が動いた。

 太陽は強かった。

 祖父仕込みの武術に加え、小柄を補って余りあるほど吸血鬼の体を操るセンスに長け、ほとんど再生もしないまま安定して勝ち続けた。

 気にしていた男らしくない見た目も客にはウケたらしい。

 髪を伸ばして扇情的な衣装にしただけで客からのおひねりは数倍に増えた。

 金に留まらず直に血を貢ごうとする奴もけっこうな数がいた。

 家賃と祖母のホームの金を払い、余りで仲間に血を買う。

 安定した生活を手にしたが、いつまでこんなことを続けるんだろうと思った。


 小さい頃、ヒーローになりたかった。

 近所に来た紙芝居の主人公、小説の名探偵や漫画の剣豪や外国映画のエージェントやテレビドラマの刑事。

 中学に上がると夢は具体的な職業になった。

 祖父のような警官になりたかったし、道場を立て直したかった。

 スパイにもレーサーにもなりたい。服が好きだからデザイナーにも憧れがある。


 今やっていることはそのどれからも程遠い。

 こいつらは、絶対に悪いことをしている。

 自分の前でペラペラ喋っていたこともある。

 あの加賀美ライラのような真似をいずれさせられるかも知れない。

 いつまで、こんなことを続けるんだろう。

 答えは永遠。

吸血鬼は永遠の存在だから。

まともさは望めないから。

 みんな死ぬことが何より怖いから。


 ヒーローへの道を示してくれたのが、冬空ひまわりだった。

 太陽より五つ上の若い女。

 職業は私立探偵。

 奴らを摘発するための情報が欲しい。協力してくれないか。

 そう声をかけてきたのだ。

 太陽は無垢な少年を演じて油断しきった連中から見事に情報を聞き出してみせた。

 運営している金持ちと背後にいたヤクザが大勢捕まって、施設は解体された。

 その後、彼女に言われた。

 私と組まないか、と。

 太陽は探偵になった。

 十九の春のことだ。

 

 それからの一年ちょっとの間、彼女は太陽の指針だった。

 彼女のパートナーでいることは紛れもなくヒーローたる生き方だった。

 それが全部、台無しになった。

 他ならぬ太陽の手で。


 枯れて萎れたひまわりが太陽の手の中にいる。

 血の一滴も流れていない、青ざめた遺体。

 首筋には牙痕。


 冬空ひまわりを殺して、太陽は地獄に落ちることにした。

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