第26話 仮の絆と、本物の執着

「……お仕置きが必要なようね、なつめ?」


 耳元で囁かれた三郷の冷徹な声に、僕の体は金縛りに遭ったように硬直した。

 三郷の指先が僕の顎を掴み、逃げ場を完全に奪っている。

 至近距離にある彼女の黒い瞳は、怒りと独占欲で妖しく歪んでいた。


 しかし、僕の肩に頭を預けていた椎名さんは、怯える様子もなく、ゆっくりと顔を上げた。

 白銀の髪を揺らし、青い瞳で三郷を静かに見つめ返す。


「三郷さん。『公式』なんて言っているけれど……それ、本当に本物の恋人なの?」


「……何かしら?」


 三郷の眉がぴくりと跳ね上がり、図書室の空気がさらに冷え込む。

 椎名さんは僕の制服の袖をぎゅっと握り直すと、淡々とした、けれど揺るぎない声で言い放った。


「私、知ってる。なつめくんと三郷さんの関係が……ただの『仮交際』だってこと」


「っ……!?」


 三郷が息を呑み、僕も驚きで目を丸くした。

 僕と三郷の『仮交際』の契約を知っているのは、当事者である僕たちと、最初に事情を明かした笹浪さんだけのはずだ。


「ど、どうしてそれを……!?」


「笹浪さんから、聞いた」


 椎名さんは僕の問いに、隠すことなく答えた。


「昨日、廊下で笹浪さんに会った。『三郷さんは仮の彼女だから、まだ諦めちゃ駄目』って。……だから、分かった。三郷さんは、嘘の恋人」


「――寿羽さん……!」


 三郷が低く呪うように笹浪さんの名前を呟いた。

 彼女の指が僕の顎からするりと離れ、代わりに僕の胸元を掴み、強く引き寄せる。


「仮であろうと何であろうと関係ないわ。なつめを助け、彼の隣に立つ権利を得たのは私が最初よ。椎名さん、あなたに割り込む余地なんてないの」


「関係ある」


 椎名さんは譲らなかった。

 彼女は座ったまま、僕の腰に細い腕を回し、自分の方へ引き寄せるように強く抱きついてきた。


「本物の恋人じゃないなら、私にもなつめくんを好きでいる権利はある。……さっき、なつめくんも言ってた。『恋人がいても、好きでいていい』って。『常識の範囲なら、奪おうとしてもいい』って」


「なつめ……あなた、この女に何を吹き込んだの……?」


「僕が言ったのは一般的な話で! 椎名さんが好きな人に告白するのを応援しようと思っただけで――!」


 僕の必死の弁明も、二人には届いていなかった。

 椎名さんは僕の胸元に顔をすり寄せ、どこか勝ち誇ったように三郷を見上げる。


「なつめくんは、私の騎士の衣装を着てくれるって言ってくれた。私と一緒にステージに立つって、約束してくれた」


「……へえ」


 三郷の口角が、すっと上がった。

 それは笑顔の形をしていたけれど、瞳の奥には一切の光がなく、完全なる絶対零度の怒りが凝縮されていた。


「約束、ね。なら……その約束ごと、私が上書きしてあげるわ」


「三郷……?」


 三郷は僕と椎名さんの間に割り込むように一歩踏み出すと、強引に僕の右腕を引っ張り上げた。

 椎名さんが僕を抱き締める腕に力を込めるが、三郷の気迫も半端ではない。


「なつめ。今すぐ生徒会室へ行くわよ。文化祭の衣装は、私が今ここで、あなたとお揃いのものに決定してあげるわ」


「ちょっと待って、三郷さん!」


「待たないわ。仮交際だろうと何だろうと、あなたが私以外の女に落ちるのを黙って見ているわけがないでしょう!?」


 いつも冷静沈着な三郷が、珍しく感情を爆発させて叫ぶ。

 椎名さんもまた、普段の無表情を崩し、必死な顔で僕の腕を引っ張り返した。


「駄目。なつめくんは、私と約束した。行かせない」


「離しなさい、椎名さん!」


「嫌。絶対に離さない」


 図書室の静寂はどこへやら、二人の才女による僕の奪い合いが最高潮に達する。

 引っ張られる僕の身体と心臓は、もう限界寸前だった。


 さ、笹浪さん……! なんて余計なことを教えてくれたんだぁぁぁぁっ!!


 僕の心の中の叫びは誰にも届かず、二人の少女の熱い執着に挟まれたまま、僕の放課後はさらなる大混乱へと巻き込まれていくのだった。




―――――――――――――――――――――――――――あとがき!!


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