第20話 次々と決まっていく物事

 椎名さんの静かな、けれど熱を孕んだ視線が、僕の抱えている生徒会のファイルへと注がれる。


 図書室の妖精と噂される彼女は、いつも通りの無表情。

 しかし、その指先は、抱きしめた文庫本の表紙を心持ち強く握りしめていた。


「……私も、生徒会の人に頼まれた。文化祭の余興に出てほしいと」


「あ、やっぱり椎名さんも頼まれてたんだね」


「断った。人前に出るのは、本を読むよりずっと苦手だから。でも……」


 椎名さんはそこで一度言葉を切り、ゆっくりと歩み寄ってきた。


 足音すら立たない。

 まるでおとぎ話の雪女が、こちらの温度を奪いに近づいてくるような、不思議な感覚。


「軽井沢さんは、出る。なつめくんが出るからと言っていた。なつめくんは……出るの?」


「それは……その、僕がみんなを説得できたら、僕も出ることになっちゃって」


 本日何度目か分からない白旗を上げると、椎名さんの青みがかった瞳の奥に、ぽっと小さな青い炎が灯ったような気がした。


「……出る」


「え?」


「私も、出る」


 即答だった。

 さっき「人前に出るのは苦手」と言っていた言葉との矛盾を、彼女はまったく気にする様子がない。


「なつめくんがそういう服を着るなら、私も、そういう服を着る。同じステージで、なつめくんの隣に立つ」


「いや、でも椎名さん、人前に出るの苦手なんだよね? 無理しなくても――」


「無理じゃない。なつめくんがいるなら、そこは守られた場所だから」


 椎名さんは真っ直ぐに僕を見つめ、いつもの無表情の中に、とろけるような甘い微笑みを浮かべた。


「私、どんな衣装でもいい。なつめくんが、私を一番綺麗だと思ってくれるなら」


「し、椎名さん……?」


「約束。明日、また空き教室で、衣装の話をしましょう」


 彼女はそれだけ言い残すと、白銀の髪をふわりと揺らし、満足そうに図書室の方向へと去っていった。


 天音さんに続き、まさか椎名さんまで一瞬で陥落するなんて。


 僕が手元のファイルを凝視して震えていると、不意に、背後の階段の上から冷え切った声が降ってきた。


「あら。ずいぶんと楽しそうな勧誘活動をしているのね、なつめ」


 ゆっくりと階段を下りてきたのは、腕を組み、こちらを氷のような瞳で見つめる姫月三郷だった。

 そして、そのすぐ後ろからは、心配そうに僕の顔を覗き込む笹浪さんが続いている。


「三郷……それに笹浪さんまで」


「なつめくん、さっきから色んな女の子と約束しすぎじゃない?」


 笹浪さんは頬を膨らませ、三郷は僕の目の前まで歩み寄ると、有無を言わさぬ動作で僕の腕から生徒会のファイルを抜き取った。


 そして、天音さんたちと同様に、その極秘ポスターの仮タイトルへ目を通す。


「才女のコスプレイベント……。そして、なつめのコスプレ参加が条件」


 三郷の指先が、ファイルをみしりと軋ませた。


「なつめ。私という恋人がいながら、他の女たちとそういう破廉恥なステージで衣装を合わせるつもりかしら?」


「いや、これは生徒会長に無理やり頼まれて、断れなくて!」


「なら、私も出るわ」


「ええっ!?」


 中学時代からあらゆる表舞台を拒否してきたはずの三郷が、信じられないほどの速さで手のひらを返した。


「私があなたを一番近くで監視する。他の女に、なつめの変な衣装姿を見せるわけにはいかないもの。……当然、私とあなたはペアの衣装にするわ。恋人なのだから当然よね?」


「ずるい! 三郷さんだけずるいよ!」


 すかさず笹浪さんが、僕の右腕に自分の両腕を絡めて抗議の声を上げた。


「なつめくん! 私ともお揃いの衣装にして! 週末のデートの時、一緒に衣装を選びに行こう!?」


「寿羽さん、手を離しなさい。週末の前に、今日の放課後になつめをじっくり教育する必要がありそうね」


「嫌だよ! 離さない!」


 二人の才女から両腕を引っ張られ、僕はまたしても中庭と同じ、逃げ場のない修羅場へと引き戻されていた。


 天音さんに、椎名さん、三郷、そして笹浪さん。


 まだスタートしたばかりだというのに、僕の周りのヒロインレースは、文化祭という大舞台を前にして、すでに制御不能なほど熱く、激しく燃え上がろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る