第18話 文化祭!? コスプレ!?

「少し、私に付き合っていただけないでしょうか?」


 正面から向けられた穂状さんの突然の言葉に、僕は完全に言葉を失った。


 付き合う。

 あまりにも直球すぎるその言葉を聞き、僕の凡庸な脳細胞は一瞬だけ、世間一般でいうところの『男女の交際』という意味を連想してしまった。

 ドクン、と心臓が変な跳ね方をする。


 いやいや、待て。さすがにそれはない。

 会ってまだ数十分も経っていない女の子から突然告白されるなんて、そんな夢みたいなことがあるわけ――。


 ……最近の僕の周りの環境を考えると、それを完全に否定しきれない自分が少し怖い。

 しかし、赤みがかった黒髪を揺らす穂状さんの表情は、からかっている様子などなく、ひどく真剣そのものだった。


 僕は一瞬でも変な意味に受け取ったことを恥じながら、彼女の真意を確かめるように首を傾げる。


「付き合う、というのは……?」


「はい!」


 穂状さんは大きく頷いた。


「言葉の通り、今から少しだけ私についてきてほしいんです!」


「なるほど」


 やっぱりそっちか。

 安堵したような、少しだけ拍子抜けしたような。

 いや、一体何を期待していたんだ僕は。


「分かりました。それで、どこに行けばいいんですか?」


「……え?」


 僕が特に深く考えずに了承すると、今度は穂状さんが目を丸くした。


「どうしたの?」


「いやいやいや! ちょっと待ってください!」


 彼女は慌てた様子で、小柄な身体を使って大きく身振りする。


「そんなに簡単に了承しちゃうんですか!?」


「駄目だった?」


「駄目というか、普通もっと警戒しません!? 急に知らない女子から『ついてきてください』なんて言われたら、裏があるんじゃないかとか、変な場所に連れていかれるんじゃないかとか!」


「ああ……」


 確かに、言われてみればその通りだ。

 僕自身、少し前までならもっと警戒していたかもしれない。


 誰かに声をかけられても、その裏に悪意があるのではないか。優しくされても、いつか裏切られるのではないか。

 実際、神木さんの件で、その恐怖は現実になった。


 それでも、目の前の穂状さんは、先ほど僕を浅利先輩から助けてくれた。

 初対面の僕が一方的に襲われている状況で、迷うことなく割って入ってくれたのだ。

 そんな人を、最初から疑いたくはなかった。


「でも、穂状さんは僕を助けてくれたでしょう?」


「それは、あの状況なら誰でも助けますよ!」


「そうかな」


「そうです!」


「僕は、そうは思わないけど」


 困っている人を目の前にしても、見て見ぬふりをする人はいる。自分に関係ないから、面倒だから、巻き込まれたくないから。

 それを責めるつもりはない。誰だって、自分を守ることは大切だから。

 だからこそ、実際に手を伸ばしてくれた人を、僕は大切にしたかった。


「少なくとも、僕から見た穂状さんは怪しい人じゃないよ」


「――っ」


 その瞬間、穂状さんの動きがぴたりと止まった。


「それに、僕が困っていた時に助けてくれた人だから。そんな人を、最初から疑いたくない。だから、僕にできることなら協力するよ」


 数秒の間、穂状さんは何も言わなかった。

 まるで予想外の一撃を受けたかのように僕を見つめたあと、その白い頬が徐々に赤くなっていく。

 やがて耳の裏まで赤く染まった彼女は、逃げるように顔を逸らした。


「ど、どうしたの?」


「何でもありません!」


「でも、顔が赤いけど……」


「廊下が暑いんです!」


「今日、結構涼しいよ?」


「影久くんは黙っててください!」


「ご、ごめんなさい」


 怒られてしまった。何か変なことを言ったのだろうか。

 僕が不安になっていると、穂状さんは恥ずかしさを誤魔化すように一度小さな咳払いをし、わざとらしいほど背筋を伸ばした。


「コホン! それでは改めまして! これから向かう場所は――生徒会室です!」


「……生徒会室」


 その単語が持つ独特の重みに、僕は思わず復唱した。

 学校の中枢、生徒会長、役員、重要書類。一般生徒である僕には、あまりにも縁遠い場所だ。


 嫌な予感がする。

 美術室で浅利先輩に襲われた直後なのだから、これ以上何か起きることはないと思いたい。

 けれど最近の僕は、『これ以上はない』と思った直後に、その上を行く出来事へ巻き込まれることが多いのだ。


「もしかして、行きたくなくなりました?」


 穂状さんが不安そうに僕を見上げる。


「いや、行くよ」


「本当に?」


「一度協力するって言ったから」


 僕がそう答えると、穂状さんは一瞬だけ目を見開いた。そして、今度は小さく微笑んだ。


「影久くんって、変わった人ですね」


「よく言われるようになりました」


「でしょうね」


「そこは否定してほしかったな……」


        ※ ※ ※


 穂状さんを先頭にして向かったのは、一号棟の最上階にある生徒会室だった。

 廊下を進む間も、穂状さんは先ほど浅利先輩から受け取った分厚い予算要望書を片腕に抱えている。


「重くない?」


「大丈夫です。これくらい慣れてますから」


「半分持つよ」


「え?」


 僕は彼女が返事をする前に、書類の半分を受け取った。


「ちょ、ちょっと影久くん?」


「かなり重いじゃないか」


「だから大丈夫だって言ったのに」


「腕が少し震えてたよ」


「……見てたんですか?」


「隣にいたから」


 穂状さんは黙り込んだ。また顔が赤くなっている。

 今度こそ本当に暑いのだろうか。


「穂状さん?」


「影久くん」


「はい」


「そういうこと、他の女の子にもしてます?」


「そういうこと?」


「もういいです」


「え?」


「なんでもありません」


 なぜか不機嫌そうにされた。女の子の気持ちは、やっぱり難しい。

 そんなやり取りをしながら歩き、ついに生徒会室の前へ到着する。


 重厚な木製の扉。たった一枚の扉なのに、妙な威圧感がある。

 穂状さんは姿勢を正すと、小さくノックした。


「どうぞ」


 扉の向こうから、低くよく通る男の声が聞こえた。

 それでいて威圧的ではなく、不思議と親しみやすさを感じる声だった。


「失礼します」


 穂状さんが扉を開く。僕も彼女に続いて、人生で初めて生徒会室へ足を踏み入れた。


 中は、僕が想像していたよりずっと広かった。

 窓から差し込む午後の光。棚には大量のファイルが分類ごとに並び、机の上に置かれた書類にも一切の乱れがない。堅苦しいというより、洗練された場所という表現が近い。


 正式部屋の中央、大きな机の前に、一人の男子生徒が立っていた。

 僕よりも頭一つ分ほど背が高い。整えられた黒髪に、キリッとした精悍な顔立ち。

 立っているだけで、自然と周囲の視線を集めそうな堂々とした雰囲気を持っている。


 その男子生徒は僕たちを見つけると、親しみやすい笑みを浮かべた。


「初めましてだね」


「は、はい」


「俺は桐谷吉次(きりや・よしつぐ)。この学校の現生徒会長を務めている」


「初めまして。一年二組の影久なつめです」


 僕が頭を下げると、桐谷会長は右手を差し出した。


「よろしく、影久くん」


「こちらこそ」


 差し出された手を握る。大きくて、逞しい手だった。

 僕が握り返すると、会長は満足そうに頷く。


「なるほど」


「何がですか?」


「いや。噂はかねがね聞いていたからね」


 その言葉を聞いた瞬間、嫌な予感がした。


「僕の……噂ですか?」


「ああ」


 桐谷会長は楽しそうに笑う。


「決して常人には懐かないはずの才女たちから、次々と異常なまでの興味と好意を向けられている謎の一年生。影久なつめ」


「誰ですか、そんな誇張された噂を広めたのは!?」


「誇張かな?」


「誇張です!」


 絶対に誇張だ。

 というか、もし学校中でそんな噂が流れているなら、僕が男子から敵意のある視線を向けられる理由にも納得できる。ただ静かに生きたいだけなのに。

 どうして僕は、いつの間にか『才女たちを次々に落とす男』みたいな存在になっているのだろう。


「でも、姫月三郷さんとは付き合っているんだろう?」


「一応は……」


「他にも笹浪寿羽さん、立花凛花さん、軽井沢天音さん、椎名小春さんと親しい」


「友達です」


「美術室の浅利先輩からは伴侶と呼ばれている」


「それは今すぐ誤解を解いてください!」


「ふむ」


 会長は腕を組んだ。


「噂より凄いな」


「どうしてそうなるんですか!?」


 隣を見ると、穂状さんまで「なるほど……」と何か納得したような顔をしている。


「穂状さんまで信じないで!」


「いや、さっき浅利先輩に押し倒されてましたし」


「あれは僕が被害者だったでしょう!?」


「分かってます。分かってますから」


 絶対に面白がっている。この人、思っていたよりずっと楽しそうな性格なのかもしれない。


「それより会長!」


 穂状さんが一歩前へ出た。


「約束通り、美術室から影久くんを無事に連れてきました!」


「よくやってくれた、穂状。さすがは我が生徒会の期待の新星だ」


「えへへ……」


 褒められた穂状さんが、少しだけ嬉しそうに頬を緩める。

 先ほど浅利先輩へ容赦なくツッコミを入れていた姿とは違い、こうして見るとやはり僕と同学年の女の子らしい。


 などと微笑ましく思っていると、桐谷会長が突然、僕の前へ一歩踏み込んだ。


「影久なつめくん!」


「は、はい!」


 両肩を、がっしりと掴まれた。

 近い。顔が近い。というか圧がすごい。


「君に!」


「はい!」


「我が生徒会から!」


「はい!」


「一生に一度かもしれない、極めて重大なお願いがある!」


「一生に一度なんですか!?」


 嫌な予感が、急激に膨らんでいく。


「ええと……それは、僕みたいな一般生徒にもできることなんでしょうか?」


「違う」


「え?」


「君だからこそ頼みたい」


 桐谷会長の瞳が鋭く光る。

 先ほどまでの親しみやすい雰囲気は消え、一瞬だけ、本物の生徒会長としての顔が見えた。


「君にしかできないことだ」


 その言葉に、僕も自然と表情を引き締める。

 そこまで真剣に言われるということは、相当重大な問題なのだろう。

 もしかすると生徒同士の深刻なトラブル、学校全体に関わる問題、あるいは三郷たちに何かがあったのかもしれない。


「分かりました」


 僕は会長を真っ直ぐ見る。


「僕にできることなら、話を聞かせてください」


「ありがとう」


 桐谷会長は深く頷いた。


「単刀直入に言う」


「はい」


「君の手で、この学校が誇る才女たちを説得してほしい」


「……才女たちを?」


「ああ」


 心臓が嫌な音を立てた。

 三郷、笹浪さん、凛花さん、天音さん、椎名さん、浅利先輩。彼女たちに何かあったのだろうか。


「どういうことですか?」


「実はな」


 桐谷会長は大きく息を吸う。そして、机の上に置かれていた巨大なポスターを両手で掴んだ。


「今年の文化祭――」


 バッ!

 派手な音を立て、ポスターが僕の目の前で広げられる。


「我が校最大の目玉企画として!」


「はい……」


「コスプレした才女たちを勢揃いさせたいんだ!!」


「…………」


 沈黙。数秒。

 僕の脳が、会長の言葉を理解するまで時間がかかった。


「へ?」


「だから、才女たちにコスプレをしてもらい、文化祭の特別イベントへ全員揃って出演してもらう!」


「…………」


 僕はもう一度、ポスターを見る。

 そこには華やかな衣装を着た女子生徒たちのイラストと共に、

『奇跡の共演! 我が校が誇る才女たち、夢の勢揃い!』

 という、何とも気合いの入った仮タイトルが書かれていた。


 なるほど。つまり、僕が今頼まれているのは――。


「三郷たちに、コスプレして文化祭へ出てほしいって説得しろ、と?」


「その通りだ!」


 会長は満面の笑みで力強く頷いた。


「えぇぇぇぇぇぇっ!?」


 僕の絶叫が、生徒会室いっぱいに響き渡った。


「む、無理です! 絶対に無理です!」


「なぜだ!」


「逆になぜ僕ならできると思ったんですか!?」


「才女たち全員と親しいからだ!」


「だからって!」


「特に姫月三郷は、過去の中学時代、文化祭の表舞台へ一度も出たことがない」


「そうなんですか?」


「ああ。同じ学校だった時、どんな企画を提案しても一言で断られた」


「三郷らしい……」


「軽井沢天音は部活動優先。椎名小春は人前に出たがらない。立花凛花は仕事との兼ね合いがある。浅利は……まぁ。そして――彼女たちが、揃って君には心を許している」


「……僕に?」


「ああ」


 冗談を言っているようには見えなかった。


「だから頼みたい」


 大体、桐谷会長の手が、再び僕の肩へ置かれる。


「影久なつめくん」


「は、はい」


「学校の歴史を変えてくれ」


「話が大きくなってません!?」


 僕の叫びに、穂状さんが耐えきれず吹き出した。


「ふふっ……」


「穂状さん、笑わないでよ!」


「ご、ごめんなさい。でも影久くん、本当に大変そうで」


「誰のせいでここに来たと思ってるの?」


「私です!」


「そこで胸を張らないで!」


 また笑われた。

 僕は頭を抱える。ただ先生に頼まれて、美術室へ資料を取りに行っただけだった。

 それなのに浅利先輩には押し倒され、生徒会へ連行され、今度は学校中の注目を集める才女たちをコスプレさせろと言われている。


 どうして僕の日常は、いつもこうなるのだろう。


「それで」


 恐る恐る、僕は会長へ尋ねる。


「ちなみに、三郷たちにはもう直接頼んだんですか?」


「ああ」


「結果は?」


 桐谷会長は真顔になった。


「全滅だ」


「でしょうね!」


「姫月三郷には『興味ありません』」


「はい」


「椎名小春には無言で去られ」


「はい」


「軽井沢天音には『部活があるから無理!』」


「はい」


「浅利は……まぁ」


「はい?」

「立花凛花には笑顔で『仕事のスケジュール次第ですね』と保留され」


「それはまだ可能性があるんじゃ?」


「そして全員に最後、同じ質問をされた」


「同じ質問?」


 嫌な予感がした。

 桐谷会長は、真剣な顔のまま僕を見つめる。


「『なつめくんは出るの?』とな」


「…………」


 僕は固まった。

 隣の穂状さんも、ゆっくり僕を見る。桐谷会長も、僕を見る。

 部屋の空気が妙に静かになる。


「まさか……」


「ああ」


 会長の口元が、ゆっくりと上がった。


「だから君にも、コスプレしてもらう」


「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 僕の絶叫は、今度こそ一号棟最上階の廊下にまで響き渡った。


 こうして。僕はまだ知らなかった。

 この文化祭をきっかけに、三郷たちとの関係がこれまで以上に大きく動き始めることを。

 

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