第11話 六人目の才女!?

「あれ、芸能人じゃないか?」


「いや、女優とかモデルじゃね?」


「誰だよ、あの子。あんな可愛い一年生いたか?」


「……俺、好きになったかもしれない」


 昇降口へ足を踏み入れた途端、周囲からそんな声が次々と聞こえてきた。


 視線の中心にいるのは、僕ではない。


 僕の右腕へ体を寄せ、逃がさないように抱きついている笹浪寿羽さんだった。


 いつも好き勝手に跳ねていた茶髪は、一本一本まで丁寧に梳かされ、柔らかな艶を帯びている。長い前髪の奥へ隠れていた顔も、今日は惜しげもなく露わになっていた。


 薄く施された化粧は、彼女が本来持っていた儚げな美しさを引き立てている。


 皺の目立っていた制服も綺麗に整えられ、首元のリボンまで左右対称に結び直されていた。


 何もかもが、昨日までの笹浪さんとは違う。


 けれど、僕の腕を掴む細い指や、時折こちらの反応を窺う不安そうな瞳は、紛れもなく僕の知っている彼女のものだった。


 一晩で別人になったわけではない。


 今まで誰にも見せようとしなかった美しさを、僕へ見てほしいという一心で表へ出したのだ。


 そう考えると、驚き以上に誇らしさが込み上げてきた。


「笹浪さん、すごいね」


「……何が?」


「皆、笹浪さんを見てる」


「皆はどうでもいい」


 笹浪さんは周囲を一度も見ず、僕の腕へさらに強く抱きついた。


「なつめくんが見てくれれば、それでいいから」


 彼女は、美しい蝶のようだった。


 ただし、花から花へ自由に飛び回る蝶ではない。


 一度見つけた相手へしがみつき、二度と離れるつもりのない蝶だ。


 反対側には、三郷がいる。


 左腕を抱く三郷と、右腕を離さない笹浪さん。


 学校でも指折りの美少女二人に挟まれたこの状況は、一般的には両手に花と呼ばれるのかもしれない。


 けれど、僕には花というより、美しくも鋭い棘を持つ二輪の薔薇に思えた。


「ま、まさか、新しい才女か?」


「五人じゃなくて、六人目がいたってこと?」


「姫月さんと並んでも全然見劣りしないぞ……」


 生徒たちの囁きを聞いた笹浪さんが、ほんの少しだけ口元を緩める。


 これまで彼女は、周囲から注目を浴びることを避けていた。


 その彼女が今、三郷と比較されても怯まず、堂々と僕の隣に立っている。


 それほどまでに、僕へ見てもらいたかったのだろう。


 僕が笹浪さんへ視線を向けていると、左腕へ柔らかな圧力が加わった。


「なつめくん」


 三郷が僕の視界へ割り込むように、顔を覗き込んでくる。


「前を見て歩かないと危ないわよ」


「ごめん。笹浪さんが皆から褒められてるのが、なんだか嬉しくて」


「……そう」


 三郷は笑っていた。


 しかし、僕の腕へ絡んだ指には、明らかに力が込められている。


「私が隣にいるのに、ほかの女を見て嬉しそうにするのね」


「笹浪さんは大切な友達だから」


「その大切な友達という言葉、随分便利に使うのね」


 今度は笹浪さんが僕の右腕を引く。


「なつめくん。私を見て」


「ちゃんと見てるよ」


「三郷さんよりも?」


「どうして比べるの?」


「一番になりたいから」


 小さな声だった。


 けれど、その言葉には冗談では済まされない重さがあった。


 僕は両側から引かれながら、どうにか校舎の中へ進んでいった。


        ※ ※ ※


 一年五組の教室前へ着くと、三郷が足を止めた。


 僕の左腕から離れた彼女は、どこか不満そうに笹浪さんを一瞥してから、僕へ向き直る。


「なつめくん」


「何?」


「今日の昼休み、あなたの教室へ行ってもいいかしら?」


「もちろんいいけど、どうしたの?」


「お弁当を作ってきたの」


「本当!?」


 思わず大きな声が出た。


 今朝は身支度に手間取り、弁当を作る時間がなかった。購買へ行こうにも、最近は昼休みになると僕の周囲へ人が集まるため、買いに行く時間が取れるか分からない。


「助かるよ。今日は昼を抜こうかと思ってたから」


「食事を抜くのは許さないわ」


 三郷は少しだけ眉を寄せた。


「あなたは自分のことを後回しにしすぎよ。今後、弁当がない日は必ず私へ連絡しなさい」


「でも、毎回作ってもらうのは悪いよ」


「恋人の食事を用意するのは、悪いことではないでしょう?」


「ありがとう、三郷。楽しみにしてる」


 僕が笑うと、三郷は頬を赤く染めながらも満足そうに頷いた。


 しかし、そのやり取りを黙って見ている人物が一人いた。


「それなら」


 笹浪さんが、静かな声で割り込んでくる。


「三郷さんのお弁当だけもらって、お昼は私となつめくんで食べます」


「どうしてそうなるの?」


 三郷の声が一瞬で冷える。


「私は、なつめくんと一緒に食べるために作ったの。お弁当だけ渡すのなら、私が朝早く起きた意味がないでしょう?」


「いつもの空き教室は、私となつめくんの場所だから」


「場所に所有権はないわ」


「なつめくんとの時間にはある」


「ありません」


「ある」


 二人が僕を挟んで睨み合う。


 先ほどまで笹浪さんを眺めていた生徒たちも、危険を感じたのか徐々に距離を取り始めた。


「なつめくんは、どちらと食べたいの?」


 三郷が僕を見る。


「私だよね?」


 笹浪さんも、光の薄い瞳を向けてくる。


「三人で食べればいいんじゃないかな?」


「駄目」


「嫌よ」


 返事だけは息が合っていた。


 どう説得するべきか悩んでいると、一年五組の教室から軽井沢天音さんが姿を現した。


「三人とも、朝から何してるの?」


 天音さんは僕たちの間に漂う険悪な空気を感じ取ったのか、呆れたように腰へ手を当てる。


「そんな廊下の真ん中で睨み合ってたら、周りが怖がるって」


「天音には関係ないわ」


 三郷が冷たく言い放つ。


「またそういう顔する。せっかく可愛いんだから、もっと笑えばいいのに」


 天音さんは三郷の腕を掴みかけたものの、その視界へ笹浪さんが入った瞬間、動きを止めた。


「……え?」


 瞬きを一度。


 二度。


 三度。


 そのあと、目を見開いたまま笹浪さんへ顔を近づける。


「ちょっと待って。誰、この子!?」


「天音、声が大きいわ」


「女優さん? モデル? めちゃくちゃ可愛いんだけど!」


 天音さんは笹浪さんの両手を包み込むように握った。


「ねえ、名前は? 何組? 私と友達にならない?」


「天音さん」


「しかも私の好きな感じ! 大人しそうなのに、目が強いっていうか――」


「天音さん。この人は笹浪さんだよ」


「え?」


 天音さんが僕を見る。


 続いて、目の前の少女をもう一度確認した。


「笹浪寿羽さんです」


「……えええええっ!?」


 廊下へ、今日一番の大声が響いた。


「嘘でしょ!? あの笹浪さん!?」


「そうだけど」


「めちゃくちゃイメチェンしてるじゃん! こんなに可愛かったの!?」


「なつめくんは、最初から可愛いって言ってくれた」


 笹浪さんは僅かに胸を張る。


 天音さんの視線が、ゆっくり僕へ向けられた。


「影久くん、前から気づいてたの?」


「気づいていたというか、笹浪さんは元々可愛い人ですよ」


「……また、そういうことを真顔で」


 天音さんの頬まで赤くなる。


 それを見た三郷は、心底不機嫌そうに眉を寄せた。


「天音。いつまで笹浪さんの手を握っているの?」


「いいじゃん、女の子同士なんだから」


「よくないわ。話が余計に拗れる」


 三郷は天音さんの腕を掴み、そのまま教室へ引きずっていく。


「ちょっ、三郷! 自分で歩けるから!」


「なら早く歩きなさい」


「影久くん! 笹浪さん! あとでまた話そうね!」


 天音さんの声が教室内へ消えていく。


 取り残された僕と笹浪さんは、顔を見合わせた。


「僕たちも行こうか」


「うん」


 笹浪さんは再び僕の腕へ抱きつく。


 先ほど天音さんに握られた手を、上書きするように僕の手へ指を絡ませた。


        ※ ※ ※


 一年二組へ向かう道中でも、僕たちは目立っていた。


 正確には、注目されているのはほとんど笹浪さんだ。


 すれ違う生徒たちは必ず振り返り、中には友人同士で彼女が誰なのかを話し合う者までいた。


「落ち着かない?」


 僕が尋ねると、笹浪さんは首を横へ振る。


「平気」


「皆に見られてるよ」


「なつめくんが隣にいるから」


 僕の腕へ頬を寄せ、彼女は小さく微笑んだ。


「それに、皆が見れば見るほど、なつめくんも私を見てくれる」


「僕は周りが見なくても、笹浪さんを見るよ」


「……そういうこと、もっと言って」


「え?」


「毎日。何回でも」


 冗談だと思ったものの、笹浪さんの瞳は真剣だった。


 一年二組の教室へ入った瞬間、それまで響いていた会話がぴたりと止まった。


 教室中の視線が、一斉に僕たちへ向けられる。


 男子たちは言葉を失い、女子たちは目を丸くしている。


「誰だ、あの子……」


「うちの制服だよな?」


「影久と腕組んでるぞ」


 次の瞬間、数人の男子が僕のもとへ詰め寄ってきた。


「おい、影久! どういうことだ!」


「え?」


「お前には姫月さんがいるだろ!」


「まさか二股か!?」


「ち、違います!」


 予想していたとはいえ、ここまで真っ向から疑われるとは思わなかった。


「この人は笹浪さんです!」


「は?」


「笹浪寿羽さん。昨日まで一緒の教室にいたでしょう?」


 教室内に、再び沈黙が落ちる。


 全員の視線が笹浪さんへ集中した。


「……笹浪?」


「嘘だろ?」


「あの、いつも前髪で顔を隠してた?」


 笹浪さんは周囲に興味を示さず、僕の腕を抱いたまま淡々と答えた。


「なつめくんに見てもらうために、整えてきた」


 その一言が、教室へ新たな衝撃を与えた。


「影久のため!?」


「それ、もう告白じゃん!」


「やっぱり二股だろ!」


「違いますって!」


 僕が必死に誤解を解いている間、教室の後方では神木さんたちのグループがこちらを見ていた。


 一人は驚き、もう一人は面白くなさそうに唇を歪めている。


「影久、急に調子乗ってない?」


 神木さんの友人が、聞こえるように呟いた。


「髪切っただけで姫月さんと付き合って、今度は笹浪さんまで連れてきてさ」


 以前なら、その言葉へ同調する者もいたのかもしれない。


 けれど今日は、近くにいた女子生徒が不思議そうに首を傾げた。


「でも、影久くんから連れてきたわけじゃないでしょ?」


「え?」


「笹浪さんが影久くんに見てもらいたくて変わったって、自分で言ってたじゃん」


 別の男子も続ける。


「影久、別に自慢してないしな。むしろずっと困ってるだけだろ」


「それに、影久くんって普通に優しいよ。昨日、私がプリント落とした時も全部拾ってくれたし」


「姫月さんや笹浪さんが好きになるのも、何となく分かるかも」


 神木さんの友人は言い返せず、気まずそうに口を閉ざした。


 神木さん自身も、周囲から僕を評価する声が上がるたびに表情を強張らせている。


 僕と目が合った瞬間、彼女は逃げるように視線を逸らした。


 けれど、その耳には、教室の会話が嫌でも届いていた。


「神木さんって、影久くんと前は仲よかったよね?」


 一人の女子が、悪気なく尋ねる。


「最近、全然話してないけど。どうして?」


「それは……」


 神木さんの言葉が詰まる。


「もったいないよね。影久くん、あんなにいい人なのに」


「……そうだね」


 神木さんは笑おうとした。


 しかし、その笑顔は引きつっている。


 この前まで、自分へ好意を向けていた僕。


 少し優しくすれば簡単に夢を見る、身の程知らずの陰気な男子。


 そう決めつけて切り捨てた相手が、今では学校中から注目され、才女たちに囲まれている。


 しかも、周囲は僕を嘲るどころか、少しずつ認め始めていた。


 神木さんが僕を切り捨てた行為そのものが、見る目のなさを示す結果になりつつある。


「おい、また新しい才女が増えたぞ!」


 一人の男子が声を上げた。


「六人目の才女、笹浪寿羽!」


「勝手に増やすなよ!」


 教室が笑い声と歓声に包まれる。


 僕は苦笑するしかなかった。


 その隣で、笹浪さんだけは周囲を見ていなかった。


 誰に褒められても、誰から注目されても、その瞳に映っているのは僕だけだった。


「ねえ、なつめくん」


「どうしたの?」


 笹浪さんは僕の袖を引き、耳元へ唇を寄せる。


「三郷さんの次は、私の番だから」


「番?」


「デート」


 彼女の瞳には、昨日までの頼りなさなど残っていなかった。


 勝負を挑む者のような強い光と、その奥へ隠しきれない執着が宿っている。


「私も、なつめくんを私だけの色に染める」


「笹浪さん?」


「断らないでね」


 柔らかく笑っているのに、逃げ道は最初から用意されていない。


「私、なつめくんに見てもらうためなら、何にだってなれるから」


 彼女が一晩で変えたのは、髪や服装だけではなかった。


 影へ隠れて僕を見つめていた少女はもういない。


 これからは自分の手で僕を奪い取る。


 そんな覚悟を纏った笹浪寿羽が、僕のすぐ隣に立っていた。



―――――――――――――――――――――――――――あとがき!!


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


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