第14話 ツラグイ
――闇に浮かぶ翁の面。
月が無数の仮面で覆われ、光源となるものは何もないにも関わらず、その面はぼんやりと薄く光っている。
さくらはカバンの中にある護身用のスタンガンを持つ手を震わせながら、翁の仮面を見た。翁の仮面は動くことなく、こちらと一定の距離を保っている。
「ナナシさん、天野先輩に連絡を」
気丈な声で、後ろに立っているナナシに呼びかける。
「天野くんなら、まだ来れないよ」
ナナシは低く、冷たい声で言った。「えっ?」と振り返ったさくらを突き飛ばす。
地面に転がったさくらは、先ほど投げられたスマホに手を伸ばした。
「おっと、失礼」
さくらの指が届く前に、ナナシはスマホを蹴り飛ばす。
さくらが驚きの表情を浮かべる中、ナナシは翁の仮面の方へと歩いていく。
「急に腹がすいて驚いているだろう?
君が食った顔を取り返したのは、そこの人間だ。君の好きにしていいよ」
ナナシの言葉に翁の面が上下に震える。まるで頷いているようだ。
さくらは立ち上がろうとして、動けない自分に気づいた。突然耳鳴りがして、吐き気がこみあげてくる。
「ああ、研修で習っただろ?
神酔いだよ。こいつの神格は、そこそこに高いからね。直接神威を向けられれば、君程度じゃ抗えない」
ナナシはそう言って笑う。さくらが怯えた顔で翁の面を見上げていると、面が二つに分かれた。翁の面の裏から別の面が現れたのだ。
それは笑顔の仮面だった。
笑顔の仮面の裏から、また別の仮面が出てくる。
一つ、また一つと、仮面の裏から新しい仮面が現れる。
仮面はさくらを囲むように、分裂を広げていく。
――宙に浮かぶ、無数の仮面。
喜びの表情、
怒りの表情、
悲しみの表情、
憐みの表情……
さくらは、自分を見つめる様々な表情の仮面に、身体を震わせた。
支給されたスマホは地面に転がり、助けを呼ぶこともできない。コンが叫んでいるのか、ノイズのような音だけがスマホから響いている。
無数の仮面が音もなく、円を描くようにさくらの周りを飛び交う。
誰がさくらを食すか悩んでいるように。あるいは、獲物を他の仮面に盗られまいと牽制するように。仮面で作られた囲いは、徐々に狭くなっていく。
「面食い、これに顔を奪われたものは自分の顔を失い、新たな姿を得る」
ナナシが、仮面の囲いの外側から呼びかけた。
「最初に言っただろ。見知った顔でも疑ってしかるべきだ、と」
その言葉に、さくらは唇を噛んだ。悔しさで胸が熱くなる。目から涙がこぼれた。
(なんで、こんなことに……)
口からもれそうになる泣き言を噛みしめ、ナナシをにらみつける。ナナシはやれやれと言わんばかりに両手を広げた。
「さて、君はどんな姿に生まれ変わるんだろうね?」
ナナシは笑い声をあげた。さくらを囲む仮面の速度が速くなる。仮面の一つが囲いを抜け出し、勢いよくさくらの顔に覆いかぶさる。
――顔が仮面に吸い込まれていくような奇妙な感覚。記憶や感情ごと吸いだされていくようだ。
「どうだい、君に向けられた怒りの感情など珍しくて美味いだろう?
面食い、それは君が味わう最後の味だ」
ナナシの声が仮面から響いてくる。そして、勢いよく仮面が外れた。
周りを見ると、無数の仮面の裏から黒い煙が上がり、苦しむように左右に震えている。
さくらはナナシへと視線を向けた。ナナシは翁の面をかぶり、月を見上げている。
「そろそろかな?」
ナナシの言葉に空が割れる。
「無事か、新人!」
大声を上げ、長い剣を構えた天野が空から落ちてきた。
天野は境内に着地すると、地面に転がるさくらの下へと駆け寄り、翁の面をかぶるナナシに剣を向けた。
「お前、こいつに何をした!」
「ちょっとエサになってもらったのさ。おかげで、今まで面食いに食われた顔の全てを取り戻せた」
ナナシはそう言って、翁の面を取り、投げ捨てる。
翁の面からも黒い煙が噴き出していた。面の裏からだけでなく、口からも煙が噴き出し、苦しそうに震えている。
「それより、僕を見ていていいのかい? 来るよ!」
「先輩!」
怒りの表情の仮面が天野に飛びかかる。振り向くことなく、剣で仮面をたたき割った。
「……とつかの剣、か」
「ああ、神代より神殺しに使われる剣だ。相手がどんなカミサマだろうと、切れないものはない」
ナナシの言葉に、天野は冷たい声で答えた。仲間を割られた仮面たちが一斉に天野へと襲い掛かる。
天野は地面を転がるようにして仮面の群れを避け、剣を振るう。数枚の仮面が、天野の剣を受けて割れた。
「さすがは天野くんだ。時間さえかければ、全部倒せちゃいそうだね」
ナナシは笑いながらさくらのそばに近づき、スマホと薬を手渡した。
「……何を考えているんですか?」
「信じてもらえないかもしれないが、僕はこれでも鑑定士だ。事件を解決する方法を常に考えているよ」
さくらはナナシを見上げる。
「カミドメ錠だ。一錠飲めば、すぐに動けるようになる」
「あなたは、いったい?」
「最初に言っただろ。僕は混沌対策課のナナシだ。
目も、耳も、鼻もない怪物に穴をあけて退治するのが仕事さ。穴をあけるためなら、なんだって使う」
ナナシは冷たく言うと、仮面と戦いを続ける天野へと視線を戻した。
「面食いの仮面は今までに食べた人の顔だ。最初の一体、核となる一体がいるはずなんだ。
それを切れば、他の仮面も消える」
そう言ってナナシは自分の髪を撫でた。
天野から外れさくらに襲い掛かってきた仮面の一枚を指で挟み、他の仮面に投げ返す。
ブーメランのように舞った仮面が、襲い掛かってきた仮面たちを割り、地面に突き刺さった。
「翁の面がそうだと思ってたんだけど、違ったみたいだ。
さくら君、君はどれが本体だと思う?」
先ほどの動きから、ひとまずはナナシが敵でないと判断する。
ナナシの問いかけに、さくらは仮面の群れを観察する。天野が切り落とし、数が徐々に減っているように見えるが、切り落とされた端から新たな仮面が生み出されている。
さくらは先ほど割られて地面に転がった仮面を見た。
綾乃の母の怒った顔や、静江の夫の困った顔の仮面が地面に突き刺さっている。
「……これは、被害者がかぶっていた表情でしょうか?」
ナナシは「おそらくは、ね」と答えた。
「黒い煙、あれは何ですか?」
「あれは面食いの吐血みたいなものだ。君が思い出した大量の情報を味わっている時に、僕という毒を流し込まれたから吐きださざるをえなかったんだよ」
ナナシの言葉に「毒?」と問いかける。しかし、答えることなくナナシは首を振った。
「……本体は、どんな顔をしているんでしょうか?」
「さあね。ここ十年ほど追いかけてるけど、まったくわからない」
ナナシの言葉に、さくらは目を見開いた。十年もの間、事件の記録が消され続けていたということか。
「先入観無く考えて欲しい。本体はどんな仮面だろうか?」
カミドメ錠を飲み、身体が回復してきた。さくらは普通に話しかけてくるナナシをにらみつつ、立ち上がる。
「本体を倒せば、終わるんですね?」
「ああ、それは間違いない。こっくりさんと相談してもいい。
どれが本体か、君たちの新鮮な目で見極めてみてくれ」
ナナシの期待を込めた言葉に、さくらは天野に襲い掛かる仮面の群れの観察を始めた。
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