第12話 アーカイブの彼方へ

 ニュースの速報は、容赦なく神林次官の逮捕劇を報じていた。

 警察庁内部に激震が走り、長年積み上げられた隠蔽工作が、たった一つの音声データによって塵と化した。

 警視庁の留置所。内海薫は、鉄格子の向こうにある灰色の天井を見つめていた。

 彼女の手元には、差し入れられた一冊の本と、若い刑事からの短いメモがある。

『内海さん、あなたは組織を壊したんじゃない。警察という組織に、もう一度だけ「良心」という名の命を吹き込んだんです』

 彼女は小さく笑った。皮肉なことに、組織の人間たちに囲まれる場所で、彼女は初めて誰からも監視されていないような、奇妙な解放感を感じていた。

 罪状は、公務員機密漏洩および不正アクセス。法の裁きからは逃げられない。だが、彼女の顔には一片の曇りもなかった。

 季節が巡り、裁判の日がやってきた。

 法廷へと向かう通路で、内海はかつて自分を追った男たち、そしてあの藤堂とすれ違った。彼らはもはや組織の駒ではない。ただの囚人として、彼女の横を通り過ぎる。

 法廷の窓からは、初夏の眩しい光が差し込んでいた。

 内海は証言台に立ち、淡々と事実を語った。彼女の言葉は、飾ることも、卑下することもなく、ただ事実をそのまま伝える「記録」そのものだった。

「私が掘り起こしたのは、誰かが忘れようとしていた痛みです。それをアーカイブと呼ぶのなら、私は喜んでその管理者になります」

 裁判所を出て、護送車へと向かう僅かな時間。

 内海は空を見上げた。

 高いビルに切り取られたその空は、驚くほど澄んでいた。かつて地下の暗闇で見上げた、あの濃密なブルー。今、それは彼女の手の届く場所にあるような気がした。

 彼女は、自分自身の人生という「アーカイブ」を、ここで一度閉じる。

 だが、それは終わりではない。この記録が、誰かの手に渡り、また新しい物語が動き出す。その連鎖こそが、彼女が守りたかったものなのだから。

 護送車の扉が閉まり、遮断された視界の中で、内海は静かに目を閉じた。

 彼女の脳裏には、恩師が教えてくれたあの物理の法則が浮かんでいた。

『エネルギーは消滅しない。形を変えて、永遠に流れ続ける』

 彼女の魂もまた、真実を追い求める者たちの心の中で、形を変えて流れ続けるだろう。

 警視庁地下三階の、あの埃っぽいアーカイブから始まった物語は、今、どこまでも広いプルシアンブルーの空の下で、静かに幕を閉じた。

(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【全12話】アーカイブ 湊 マチ @minatomachi

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ