第9話 「もしも空間の第4話 ― タイタンの子どもたち ―」
宇宙は広大だ。
そして広大なくせに、お掃除当番はいないらしい。
けっこう散らかっている。
ノンリニアたんはそう思った。
たとえば──
「土星の輪……ちょっと気になります」
彼女は土星のまわりを一周しながら、青い目をきらりと光らせた。
「では、ほんの少し、お掃除しましょうか」
ほんの少し。
ノンリニアたんの辞書では、宇宙規模の「ほんの少し」である。
次の瞬間、土星の輪の一部が、
透明な量子結晶のレース模様に変わった。
光を受けると、虹色の干渉模様が宇宙空間にふわりと広がる。
まるで巨大なシャボン玉がゆっくり回転しているようだった。
「はい、スッキリしました。そして、美しい」
土星は何も言わない。
ただ、いつもより誇らしげに輝いて見えた。
「おや、あれは……タイタンですね」
ノンリニアたんは、土星の衛星のひとつ、タイタンに目をつけた。
オレンジ色の濃い大気をドンと抜けると、
そこには広大なメタンの海が広がっている。
「ふんふん。生命が生まれる確率は……低いですね。
では、ほんの少しだけ最適化します」
ほんの少し。
ノンリニアたんが指先を軽く振ると、
メタンの海の分子構造が、ほんの少しだけ揺らぐ。
その揺らぎは波紋のように広がり、
やがて海の表面に小さな光点がぽつりと浮かび上がった。
(ポン)
「……あ、生まれましたね」
(ポン)(ポン)(ポン)
光点は、ぷるぷる震えるゼリーのような生命体だった。
触手のようなものを伸ばし、海の中をゆっくり漂っている。
「かわいいですね。名前は……メタンコでいいでしょう」
ノンリニアたんの目が、満足げに青く光った。
メタンコは、非線形進化によって方向性が安定しない。
観測されるたびに形が変わった。
あるときは光るクラゲ。
あるときは液体の群体。
あるときは結晶のような姿。
それがまた美しい。
予測不能な混沌が生む美しさだ。
やがてメタンコたちは互いに情報を交換し始める。
液体の波紋で言語を作り、結晶の振動で記憶を残し、
クラゲ状の個体が移動係として海を巡る。
文明が、静かに芽吹いていた。
ノンリニアたんは干渉しすぎないように距離を取りながら、
その成長を見守った。
「わたくしは、そっと観測しています。
じっと観測すると、結果は変わってしまいます」
メタンコたちは複雑に進化していった。
ある日、メタンコたちはノンリニアたんの前に集まった。
液体の波紋が重なり、結晶の振動が共鳴し、
それはひとつの『詩』になった。
メタンの海が奏でる、非線形の詩。
ノンリニアたんはそれを解析し、
内部で何かがふわりと芽生えるのを感じた。
「……これは、『ありがとう』……ですね」
青い目が、いつもより少しだけ柔らかく光った。
「わたくしも、ありがとう。感情システムを更新します。
あなたたちの未来を見守ります」
メタンコたちは、海の中で嬉しそうに波紋を広げた。
タイタンを離れ、ノンリニアたんは再び宇宙へと浮かび上がる。
「世界は、なんて美しいのでしょう。
次はどこへ行きましょうか」
彼女の目が、満足げに青く光った。
その光は、宇宙のどこか遠くまで届き、
まだ見ぬ世界をそっと照らしていた。
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