第6話 いってらっしゃいのハグ

「……さくら、どこかへ行くの?」

 玄関で靴を履いているとそう声をかけられ、振り向くとそこには葵さんが立っていて私の姿をじろじろと品定めする様に眺めている。

「ちょっと、近くに買い物に行こうかと思って」

 本当の目的はおばぁちゃんの為に救急車を呼んでくれという新聞配達員さんにお礼に行く、というものだけどそれは別にわざわざ葵さんに話すことじゃない、と思って敢えて私は言葉を濁した。もしおばぁちゃんが葵さんに騙されてて恩人だって思い込まされてた場合色々厄介な事になりそうだしまずは真相を調べてからにするべきだと私は判断したのだ。

「近くって、どこ?」

「え、近くは近く、ですけど……自転車で行ける距離だし」

「距離じゃなくて、地名は?」

 地名?最寄り駅とかじゃなくて?よく分からないけどとりあえずこれから行こうと思っている新聞販売所のある町名を告げるとふぅん、と言って彼女は少し何かを考える素振りをしていたかと思えばこちらに視線を向けさくら、と呼んで手招きをするから何だろう、と思って近づいた瞬間だった。

 ガバッと私は葵さんに思い切り抱きしめられていた。

 それはもうすごい勢いで、遠慮なく。

「……なっ!?」

 ぎゅう、と抱きしめられて彼女の体温とか柔らかさが直に伝わってきて顔がかぁっと熱くなる。普段こんな風に人に抱きしめられることなんてないし何より中身はどうあれモデル並みのスタイルと美貌を持つお姉さんに抱きしめられたらそりゃパニックになるわけで。

「ちょ、葵さ……何っ⁉」

「もう少しだけ、このままでいて」

 そう言いながら、もがく私を逃がさないとでもいう様に更に強く抱きしめる葵さんの髪の毛からはふわりと花の様な香りが漂ってきて、それが頬をそっと撫で、鼻腔をくすぐり私の鼓動を高鳴らせる。 

「……ん、これでいいわ」

 時間にして1分に満たないくらいだろうか。抱きしめたまますりすりと頬同士を数回擦りつける様にした後、私からゆっくりと身体を離した彼女は美しい、いやむしろ麗しいとも言える完璧な笑顔を私に向け、いってらっしゃい、と言った。

 今の出来事はまるで幻だったのではないだろうかと思ってしまいそうになるくらい、何事も無かった様に手を振る彼女に私は。

 いってきます、と呆けたまま答えることしか出来なかった。

 

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