第5話 失礼な人
おばぁちゃんの恩人だという女性と、しばらく一緒に暮らすことになった。
初めて出会った時は男性の姿だったのに急に女性の姿になったその人は葵、というらしい。おばぁちゃんとはやけに親し気でさよこ、葵、とお互い名前で呼び合っている。
怪しい。正直すごく怪しい。昨夜は好みの見た目に絆されてついよろしく、と言った彼女の手を握り返してしまったけれど今になって少し後悔してる。
イラストレーターという職業上基本的に仕事はこっちでも出来るから問題ないしいずれはおばぁちゃんの為にこっちに戻って来るつもりではいるけれど今はまだその時期ではないと思っているしおばぁちゃんの腰の具合が良くなったら東京に帰るつもりでいるのにこの現状は、よろしくない。いくら美人でも素性も知れない相手をおばぁちゃんと二人きりになんてさせられないし私が東京に戻る前にどうにか出て行ってもらわなきゃ、なんて思いながら一階に行くと彼女は居間でおばぁちゃんと一緒に朝ドラを観ながら我が物顔でのんびりと寛いでいる。
昨日、挨拶を交わしてからしばらくして葵さんはちょっと出かけてくるわ、と言ってふらりと出て行ったきり帰って来なかったのにいつの間に帰ってきたのだろう。
「あらさくら、おはよう」
「おはようおばぁちゃん」
「さくら、おはよう」
「……おはようございます」
私が居間に入って行くとこちらを振り向き挨拶を口にする二人に挨拶を返し、台所へと向かうとおばぁちゃんがよいしょ、と言って立ち上がろうとするから座ってていいよ、と私は慌てて制止した。
「おばぁちゃん、朝ご飯は私が作るから」
まだ腰治ってないんだから無理しないで、というとこれくらい平気よ、なんて言いながらもこちらに来ようとするおばぁちゃんを葵さんがさよこ、と呼んで引き留めた。
「無理はしないで。朝食はさくらに任せましょう」
……いや、いいんだけど。そのつもりだったけど。おばぁちゃんはともかく居候なんだからあなたは手伝いくらいしてよ、と思ったけどもしかしたら料理が出来ない人なのかもしれないしよく知らない人と一緒に並んで料理、というのも気まずいから自分一人の方がいい、という結論に達した私はそれじゃあちょっと作って来る、と言って台所へと向かった。
♢
朝食を作る、と言ったものの何を作ろうか。冷蔵庫を開け、私はうーん、と考えた。
「……好き嫌いとか、あるのかな」
葵さん、という名前とおばぁちゃんの恩人でかなり親しい間柄だということ以外、何も知らない。少し悩んだ末今日のメニューは無難にお味噌汁と目玉焼き、ウインナーとおばぁちゃんが漬けたお漬物にした。
ご飯出来たよ、と声をかけるとおばぁちゃんはやってきたけれど葵さんは相変わらずテレビをじっと見つめたまま。朝ドラが終わり、番組はもうニュース番組に変わっていたけれど何か興味深いニュースでもあったのだろうか。
「……葵さん、食べないんですか?」
そう声をかけるときょとん、とした顔でこちらを見つめ葵さんは私の分もあるの?と不思議そうに小首を傾げた。
「ありますよ。簡単な物しか作ってないですけど」
いらないなら別にいいです、と言うといただくわ、と言って彼女はテレビを消して軽い足取りでこちらに向かってきて、そして予想外の言葉を口にした。
「さよこ、祠に供えてちょうだい」
……祠に供える?何言ってるのこの人?
っていうか腰痛めてるおばぁちゃんをこき使おうとしてない?
「あの、おばぁちゃんは腰を痛めてるんで」
「いいのよさくら、これは私の日課でもあるから気にしないで」
これくらい大丈夫、そう言っておばぁちゃんは朝食の載ったお盆を持って縁側から庭へと向かって行く。付き添う様にその隣を歩く葵さんはおばぁちゃんの身体を気遣ってはいるみたいだけどそれなら最初から自分で持って行けばいいじゃない。
「……っていうか、何で祠に?」
なんだか少し気になって様子を見に行くと庭に出たおばぁちゃんと葵さんは桜の樹の脇にある小さな祠の前にお盆を置き、しゃがんで手を合わせている。ただし手を合わせているのはおばぁちゃんだけで、葵さんはその様子をじっと見ているだけ。
昔からよくおばぁちゃんは祠にお供え物をしていたけれど大概果物とか和菓子とかそういうものが多く朝ご飯を供えているのを見たことはない。私が東京に行った後、何かそういうルールがおばぁちゃんの中に出来たのだろうか。
「さ、じゃあいただきましょうか。さくら、ありがとうね」
「あ、うん」
「前は料理なんて出来なかったのに成長したのねぇ」
「まぁ私も一人暮らしして結構経つからね。おばぁちゃんみたいに手の込んだ料理はまだ作れないけど」
じゃあこっちにいる間作り方教えてあげないとねぇ、なんて穏やかに笑うおばぁちゃんの為に慣れた様子で椅子を引いてあげてる葵さんはこうしてみるとやっぱりおばぁちゃんの身体の事をすごく気にかけてくれている様なのに、なんで祠にお供え物をしに行かせたんだろう。おばぁちゃんのことを思うなら自分だけで行けばよかったのに。
「……なぁに?」
私の視線に気づいたのか葵さんはふと顔を上げ、これが漫画なら背景に花が咲き乱れる演出でもされそうな綺麗な笑みをこちらに向けてくるから別に、と言って私は素っ気なく顔を背けたけれど頬が熱い。変な人だと思うし怪しいとは思う、だけどあのビジュアルはずるい。あんな綺麗な顔で優しく微笑まれたら誰だってドキドキしてまともに会話なんて出来ない。おばぁちゃんは平然としてるけど、数日一緒にいたら私も少しは慣れるのかな。
「それじゃあいただきます」
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
綺麗な動作で手を合わせるおばぁちゃんをちらりと見た葵さんは同じ様に手を合わせ、そして箸とお椀を手にし、お味噌汁に口をつけた。
静かな、だけどどこか温かい食卓。数年前まではここでおばぁちゃんと一緒に食事をするのが当たり前だった。この空気懐かしいな、人と一緒に朝食を食べるなんていつぶりだろう、なんて感慨に耽っていた時だった。
「……しょっぱい」
お椀から口を離し開口一番葵さんはそう言って眉間に皺を寄せ、うぇっ、とでも言いそうな顔で舌を出している。
……ものすごく美人だけど。ものすごくタイプの顔とスタイルだけど。
やっぱり私、この人とは仲良くなれない気がする。
「嫌なら無理して食べなくてもいいですよ」
渋い顔でお椀を見つめていた葵さんは、私のその言葉を聞いて嫌ではないわ、と首を横に振った。
「嫌ではないし、食べられなくもないから全部いただくわ」
食べられなくもないって、やっぱりこの人失礼過ぎない?
私がムッとしているのに気付いたおばぁちゃんがそんなこと言ったらせっかく作ってくれたさくらに失礼よ、なんて葵さんに注意しているけれどだってしょっぱいんだもの、と葵さんは悪びれもしない。
結局しょっぱい、と文句を言いながらも葵さんは完食したし、おばぁちゃんも綺麗に食べてくれた。美味しかったわありがとう、とお礼を言ってくれたおばぁちゃんに対し葵さんはごちそうさまだけを言って片づけを手伝いもせず、ふらりと庭に出て行った。
「……あぁいうの、残念美人っていうのかな」
見た目もスタイルも、声すらも美しいのに、何もしない。
おばぁちゃんを気遣ってる様子から悪い人ではないんだろうとは思うけれどそれにしたって……。
「……結婚して、って言ったくせに何もしないじゃない」
普通結婚して欲しいなら相手に良く見せようと積極的に家事を手伝ったりするものじゃないの?私だったら絶対そうするのにあの人はそういった素振りは全く見せず、自由気ままに過ごしているだけ。
せめて掃除くらいしてくれたらいいのに、なんて思いながら洗い物を済ませ、一休みしていた時だった。
玄関のチャイムが鳴り、三塚さーん、という呼び声が聞こえてきたのではーい、と返事をして玄関先へ向かいドアを開ければそこには白石さんが立っていた。
「あら、さくらちゃん久しぶりね」
「白石さん。お久しぶりです。先日は祖母の件、連絡ありがとうございました」
おばぁちゃんが救急車で運ばれたと連絡をくれたのは白石さんだ。おばぁちゃんが入院している時にお見舞いにも来てくれたらしいけれど私とはすれ違いだったらしくその時は挨拶もお礼も出来ていなかったので改めてお礼を言うと気にしないでいいのよ、と彼女はにっこりと笑った。
「さよこさん、腰の方はどう?」
「おかげさまでそれなりです。まだあまり無理はさせられないので治るまでは私もこっちにいようかと」
「そうね、それがいいわ。さよこさん一人じゃまた何かあった時困るものね」
あ、そういえばね、と思い出したように白石さんはおばぁちゃんが救急車で運ばれた時、その救急車を呼んでくれたのは新聞配達の人だったということを教えてくれたのだけど。
「……新聞配達の人、ですか?それって黒髪の女性?」
「いいえ?40代の男の人よ。桜井さんって言ってほら、いつも新聞配達してくれる人。あぁでもさよこさんのとこは新聞取ってないから知らないのも無理はないわね」
さくらちゃんも見かけたことくらいはあると思うわよ、と言われてもすぐに思い浮かぶ人はいないしそもそも救急車を呼んだのがその人だと言うのなら葵さんは?あの人がおばぁちゃんの恩人なんじゃないの?
葵さんという人物に対して謎は深まっていくばかり。色々聞きたいことはあるけれど本人はふらりと庭に行ったきり戻って来る気配はなくて。
「あ、おばぁちゃん部屋にいるんで呼んできます。居間で少し待っててもらえますか?」
頭の中は疑問でいっぱいだったけどここでずっと立ち話をしているのは白石さんに失礼だと気づいた私はそう彼女に声をかけたがあぁいいのいいの、と言って彼女は首を横に振った。腰が悪いのに無理させちゃ申し訳ないわ。それにこの後私予定があってついでにこれ渡しに寄っただけだから。
はいこれお裾分け、そう言って渡されたのはビニール袋いっぱいの野菜たち。ありがとうございます、と言って受け取ると今年のトマトはすごく甘いからそのままでも美味しいわよ、と白石さんは笑顔を見せる。
白石さんは家から少し離れたところで農家をやっていてこうしてよく自分の家で採れた野菜をお裾分けに来てくれる。そんな昔から付き合いの長い白石さんにふと葵って女性知ってますか、と聞くと隣町の和菓子屋さんの奥さんがそういう名前だった気がしたけどと言われたので葵さんに関する手がかり発見!と思ったけれど詳しく聞いてみればその和菓子屋の奥さんというのはもう60近い女性だそうで私の知っている葵さん、とは別人の様だった。
結局他には思い当たる人はいない、とのことで葵さんに関する情報は何も得られなかったのだけれどおばぁちゃんは葵さんと随分親し気で、それこそ昔からの知り合いの様な空気があった。それなのにおばぁちゃんと長年の付き合いがある白石さんも知らない、なんてことあるのだろうか。
袋いっぱいの野菜を私に託し白石さんは今度また改めてさよこさんのお見舞いに来るわね、と言って帰って行ったけれど。
私の中の葵さんに対する疑問は増えていく一方だった。
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