第35話 宏子 *純*

 九月も終わりかけの秋の夕暮れ。道の先に幽鬼が立っていた。


 白い着物に白い髪。手に斧。三月という超常の存在を知っていなければ逃げていたことだろう。


 幽鬼にして狂気。これは子供が見たら泣いて失禁すること間違いなし。鬼婆が出たと騒ぎ立てることだろう。安達ヶ原の鬼婆ってこんな感じだったんだろうか? 


「……宏子(ひろこ)さんでしょうか?」


 まさか月光川に掛かる橋の上でばったり会うとは。なんの偶然だろうか? いや、なんて格好で道を歩いてんだ、この人は? わざとか? 天然か? それとも趣味か? 絶対に騒ぎになる格好だろう!


「なに?」


 お、意外と普通に反応してくれた。見た目はアレだが。


「仁井章子さんが心配していたので宏子さんの様子を見に来ました」


「そう」


 普通に反応はしてくれたが、対話が完全に終わってそうだ。


「山に入っているそうですが、修業ですか?」


 なんか気配が変わった。幽鬼、いや、幽気か? なんかそんなものが見えるのは気のせいだろうか?


「だから?」


「オレも山を走って修業してたもので。最近では山形から月山制覇を目指しています」


 さすがに野伏みたいに道なき道を走っているわけじゃないがな。登山をしているわけじゃないんで。


「鳥海山の頂上までは何度も行ったわ」


 視線を聳え立つ鳥海山に目を向けた。月山ほど険しくはないが、女性の足で行けるものなのか? なんか行ってそうな雰囲気は感じるが……。


「もしよければ案内してもらえますか? オレも山頂からの景色を見たいので」


 さすがに鳥海山まで走るのは出来ないが、要石を置けば三月は来れるだろうよ。


「おばさんがいいと言ったらわたしは構わない」


 あ、ちゃんと言葉は話せるんだ。よかった。


「こっち」

 

 案内してくれるようなので宏子さんの後に続いた。少し距離を取って。


「静かに歩くんですね」


 下駄を履いているのにまったく音がしない。本当に人間だよな? オレ、幽霊に話し掛けているわけじゃないよな?


「クセ」


 クセで音を出せなく出来るんだ。それは知らなかった。


「宏子さんは、熊は倒せますか?」


「練習相手にしてたら姿を見せなくなったわ」


 金太郎かな? 


「オレの友人は熊を拳一つで挽肉に出来るそうですよ。鉈でオレの胴くらいの木を一振りで伐ったこともありました」


 と、宏子さんが振り返った──瞬間、オレはその場から跳び退いた。よ、よかった、警戒してて……。


「意気なりは止めてください」


 今までいたところに斧があった。絶対に首を斬ろうとしていただろう! 容赦ねー!


「……本当のようね……」


 いや、三月の話であってオレの話じゃないよ! 内容通じてなかった?!


「オ、オレはまだまだですよ。学さんに習っていますが、一度も当てられてませんから」


「学叔父さん? 病気だと聞いてる」


「オレの友人が持っていた薬で回復しました。今は、仁井家に新子さんと来ています。オレは宏子さんのことを聞いてやって来ました」


「あなた、物の怪?」


 物の怪みたいな人から物の怪扱いされるってなんだよ? オレとあなたなら百人中百人、そっちが物の怪だと言うよ!


「正真正銘、人です。両親を泣かしたぼんくらですが」


 人と誇れるようなことはして来なかった。誇って人だとは主張出来んな……。


「そう」


 振り戻って、先を進んだ。なんなんだ、いったい?


 それから会話もなく、吉沢家へとやって来た。


 牛を飼っていると言っていたので牛糞の臭いがする。乳牛かな? そう言えば、うちの集落も乳牛を飼っていたっけ。今も下に卸しているんだろうか?


「おばさん。お客さん」


 外にいた女性に声を掛けた。この人が吉子さんか?


「初めまして。能己学さんの使いの者です。これ、章子さんからの紹介状です」


「姉さんから?」


 肩掛け鞄(収納の鞄)から紹介状を出して辰子さんに渡した。


「……確かに、姉さんの文字だわ……」


「能己家のほうに宏子さんのことを相談され、今、学さんと新子さんが仁井家に来ています。オレは、あ、戸川純と申します。今は、学さんに剣を教えてもらっています」


「病気だとは聞いていたけど、治ったのね」


 そこまでは書いてないようなので、漢方治療でよくなったことを伝えた。


「宏子さんに、鳥海山の山頂まで案内してもらいたいので、よろしいでしょうか? 仕事があるなら手伝いますので。力仕事は任せてください」


 乳牛の世話は子供の頃やった。今も出来るかはわからんが。


「そ、そうかい。なにで来たんだい?」


「駅から歩いて来ました」


「じゃあ、今から帰るのは大変だね。泊まって行くといいよ」


「なら、夜まで仕事を手伝わせてください。掃除ならしたことあるので。あ、服は貸していただけると助かります」


「本当にいいのかい?」


「全然大丈夫です。今日はまったく体を動かしてないので体力はあり余っていますんで」


 疲れてないと逆に眠れなくなっている。三十キロくらい走ったくらいの運動をしないとな。


「若いね~。宏子。純さんに服を出してやっておくれ」


「わかった」


 素直に聞くんだ。見た目から雰囲気から話など聞かなそうなのに。いや、その格好で手伝っているのだろうか? 汚れなど付いてないが?


 いろいろ不思議で疑問だらけだが、まずは手伝いだ。やったりますか!

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