第36話 鳥海山 *純*
いい仕事をした。
体力はまだまだあるが、二十キロは走れたくらいの疲労は得られた。
風呂も用意してもらい、上がったら絞った牛乳を出してもらえた。
「久しぶりに絞ったままのを飲みました」
戦時中によく飲ませてもらったっけ。
腹の弱いヤツは下していたが、オレの胃は丈夫だったお陰でゴクゴク飲めたよ。冷えていたら最高だったんだがな。吉沢家に電気冷蔵庫があってなによりだ。まだ氷を使った氷蔵器が多いのに。
吉沢家の方々とご対面。吉子さん家族の他に弟さん家族も一緒に住んでおり、十人以上の大家族だった。
宏子さんはその輪には入らず、離れで一人で食べているようだ。
「これ、お土産です。皆で飲んでください」
日本酒とラムネを出した。
どこにあった? とかの疑問は飛んでこなかったのが幸い。大家族に囲まれての夕食をいただいた。
農業と同じなのように、いや、牛を扱っているところはさらに早く、五時くらいから起きて仕事を始めた。
吉子さんの旦那さんについてエサやりから朝の搾乳。今は器機を使って搾乳になっていることに驚いた。近代化の波が山形の奥まで押し寄せているんだな~。
朝の仕事が終われば交代で朝食。こういうことを毎日やっているんだから凄いものだ。農業、畜産をやっている方々に感謝です。
「宏子さんと鳥海山に行って来ますね」
吉子さんには昨日のうちに言ってあり、了承は得ている。むしろ、宏子さんの相手をしてくれて感謝されてしまった。
「今日は、よろしくお願いします」
心なしか幽気度が抑えられているような? 狂気度は昨日と変わりがない。
「わかった」
「その格好で行くんですか?」
白い着物に下駄。さらに片手に斧。山で会いたくない格好第一位を取ってそうだ。
「これしかない」
マジか!? もんぺくらいもらえただろう。着物のほうが高価だよ。
「それならこの長靴を履いてください。男物ですが、自動調整されるので。素足で履いても蒸れたりはしない優れものです」
収納の指輪から三月作の長靴を出した。
「どこから?」
「指輪の中からです」
真面目に答えたが、反応はなかった。
「まあ、履いてみてください」
少し、躊躇いを見せてから下駄から長靴に履き換えた。
「ゆるくないですか?」
「ゆるくない」
前髪で目は見えないが、口角がちょっと上がっていた。悪くはない、って感じかな?
「ズボンと上着、いや、いっそのこと着替えません? 男性用のですが、伸縮性のあるものなので宏子さんも着れると思うので」
………………。
…………。
……。
ダメか?
「わかった」
ハァッ。タメが長いよ。こっちの心臓が止まるかと思ったわ!
収納の指輪から上下のインナー、ズボン、上着、手袋、靴下、小物袋を付けたベルトを渡した。
「さすがに手伝えないので、がんばって着てください」
「……わかった……」
離れに向かい、三十分くらいして戻って来た。
……着物に隠れていたが、意外と体付きはよかったんだな……。
身長も今の女性にしてはあり、背筋もよくて日本人離れした体格だった。
「着心地はどうです?」
「いい」
「それはよかった。それは宏子さんにあげますので、気兼ねなく使ってください。暑さ寒さに強いみたいなので」
三月の魔法が施され、オレも着ているのでその性能はよくわかっている。汗を発散させてく、体温を調整してくれる。もう普通の下着には戻れなくなったよ。
「あなた、名前は?」
あ、自己紹介してなかった!
「戸川純です。ただ、この名前も今年中には友人に譲ります。存在も戸籍も家族も。来年には別の名前になるので、新たな戸川純をよろしくお願いします」
学さんにすら動じない三月なら宏子さんの見た目も能力も気にしないだろう。オレなんかより上手く付き合えるはずだ。
「消える?」
「はい、消えます」
「……そう……」
「はい」
納得したのかはよくわからんが、こちらに背を向けて走り出した──って、速っ! どんな脚力してんだよ!
少し遅れてオレも走り出した。
宏子さんの全速力(だと思いたい)について行くのが精一杯。だが、ついては行けている。三月の作った靴なので、藪の中でも問題なく走れる。
しかし、斧を鉈みたいに振り回せているな。いや、どんな切れ味? 斧の切れ味って領域じゃねーぞ!
てか、オレはあの一撃を食らっていたら首ちょんぱされていたのか? 人を殺すことに躊躇いなさすぎだろう! 世が世なら立派な辻斬りになっていたんじゃないか?
速度を緩めることなく山を登って行き、小川を跳び越え、崖を猿のように登って行く。あなた人間ですか?
さすがに崖は登れないので飛翔の指輪でズルをさせてもらった。
しかし、これまで着物と下駄で登っていたのか? どんな天狗だよ? 物の怪はあんたのほうだろう。オレ、物の怪に騙されてたりするのか?
二千メートルはあるだろう鳥海山の頂上に一時間くらいで到着──いや、登頂出来た。
空気が薄いから息が整えられない。さ、酸素が薄い。なのに、宏子さんは平然としている。どんな肺活量だよ……。
クソ。オレはまだまだってことか。次は月山の頂上部を走るとしよう……。
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