第11話 名付けの才能

 蓮の頭上に、何かの気配が集まっていた。連の額に冷汗が流れた。息を止めて周囲の音、気配に神経を集中した。


 右手に仕込んだ小刀の暗器を放てる準備をしながら、ゆっくりと視線を天井の方に向けた。

 頭上で、何かが飛んでいる。

 玖南が嬉しそうな鼻息を立てて、足をばたつかせている。


 蓮が目を凝らした先に、ぼんやりと影が舞っていた。

 その影から、時折弱い輝きが見えた。

 そして、微かな匂い。昆虫独特の微かな香りが漂っていた。


『蛾か?』 

 蛾にしては大きかった。そして、蛾の強い羽ばたきとは違う風を感じた。

『何だ? 殺気が感じられないから、大丈夫なのか?』


 蓮は右手の暗器を持ったまま、左手で ”灯の箱”(ともしびのはこ)の蓋を開けた。


 ”灯の箱” とは、中に硝石のカケラを入れて火を点けた物だ。蓋を開ければその青白いほなかな灯りで足元程度は照らす事が出来る。ダンジョンに入る際は必ず持ち込む装備品だ。腰のベルトから下げて使用する小さい箱だ。熱くはない。


 魔物が気付かない程度の明りだが、人の視覚ではこの灯りだけで十分に機能は果たせた。


 蓮と玖南は、青白い光を反射して出現した荘厳な光景に、感嘆の声を漏らした。

「おお!!」

「きゃ~💕」

 

 無数の大型の蝶が、一面に飛び交っていた。その羽は、灯の箱の光を反射して、青く輝き、そこかしこに無数の青い星をちりばめたようにきらめいていたのだ。


 よくよく目を凝らすと、その蝶は、玖南が蝶に触ろうとして上へと伸ばした指先に、細い管先をちょんちょんと付けていく。順繰りに、次々とそうしていく。

 玖南に嫌がる素振りがないので、痛くは無いようだ。


 玖南の指先に着いているのは、きっと、玖南の指しゃぶりのヨダレだ。

 どうやら、ヨダレの味見に来ているらしかった。


 蓮の頭上すれすれを飛ぶ漆黒の蝶の羽の表面の鱗粉が、間近に見え、その青い輝きの美しさは、星をちりばめたようだった。


「ダンジョンに蝶が居るなんて、聞いたことがない。」

 蓮は驚きを口にした。


 光も届かない闇より暗いダンジョン内だけに、その環境で身を隠し、黒い姿で生きてきた蝶達は臆病で、人の気配に隠れて、姿を見せる事も無かったのだろう。


 玖南のヨダレという、初めて嗅ぐ匂いに釣られて姿を現したのだろうか。


 ダンジョン内には蛾が数種類生息していて、その羽の鱗粉には皮膚をカブレさせる毒が含まれている。この蝶にもそれがあると考える方が妥当だ。


 蛾は、ダンジョン内の羽虫を捕食して食べている。通常の蝶は花の蜜を吸うが、この蝶が何を食べているのか分からない状態で、玖南の指先に口を付けさせるのは危険だと考えた。蝶の口に毒があるかも知れない。

 玖南がこの指を指しゃぶりする前に、洗わねばならない。


「玖南。指を引っ込めて。そして、お口に入れないで。洗ってからだよ。」


 蓮は引き返す道を選んだ。

 即座に灯の箱を閉じて、踵を返すと、速足で駆け始めた。


 背中の玖南は、蓮の速足に大喜びだ。きゃっきゃと歓声をあげながら笑っている。しかし蓮は気が気じゃなかった。玖南が舌を噛むかも知れない事と、いつ指を口に入れるか分からないからだ。


 ダンジョンから飛び出して、頭上を見ると、蓮の頭と同じ位に大きな蝶が、尾を引くように帯になって、玖南を追って来ていた。

 黒い胴体だが、周囲の色を反射して、羽の色が、緑の葉色や木の茶色にと、溶け込むように様々に色が変わっていく。まるで夢の中の蝶のようだった。


『だから、人に見付からなかったんだ』


 蓮は、駆ける速度を落とす事なく、入口門の門番めがけて、声を張った。


「おーい!! 網!! 蝶を見付けた!! 捕獲用の投網を投げてくれ!!」


 その声に、振り返った門番と、周囲の数人は、一瞬動きが止まった。


 しかし、守衛も兼ねた雇われ勇者の動きは早かった。即座に壁に装備されていた投網(魔物捕獲用)を引っ掴んで出てくると、その動きの勢いのままで、投網を力強く蓮の頭上をかすめるように、見事に投げた。


 槍のような勢いで放たれた投網は、見事に空中で開くと、大ぶりの蝶を数十匹包み込んで地面に落ちた。捕まらなかった蝶達は、驚いて方向を変えると、ダンジョンに向かって引き返して行った。


 地面に落ちた投網の周囲に、人が集まって来た。


「触るな。羽に毒があるかも知れない!!」

 蓮がそう言ったので、手を伸ばそうとした数人が慌てて手を引っ込めた。


「触れるな!! この生物は、蓮さんの物だ。勝手はこの地のギルドが許さないぞ。いいな!!」

 手を伸ばそうとして来た数人の冒険者に、老齢のギルド職員は釘を刺した。


「毒の具合を、我が身で試したいなら、今すぐ手を出して触ってみてくれ。」

 投網を見事に投げた勇者は、そう言ってニヤリと笑った。



 ダンジョンで新生物発見の報らせが、ギルドマスターの元にすぐにもたらされた。

 毒防護の装備服を準備した職員数人が、すぐにやって来た。


 大ぶりの蝶の、羽の変化に感嘆の声を発しながら、蝶達は生け捕りにされていった。その数、26羽。


 投網を投げた勇者に、分け前として取り分1羽が与えられた。新発見で生け捕りという功労で、その蝶は高額となる事が確定しており、1羽でも十分な報償となるはずだ。

 蓮の元には、この蝶の購入希望者からの購入金に、ギルドの仲介料を差し引いた金額が入って来る計算だ。


 蝶は、発見者の蓮に、名前を付ける栄誉が与えられた。

 玖南の名にちなんで、蓮が蝶に名前を付けた。


 ”クナ・フタル・オオクロヘンコウチョウ”

 玖南が賦樽(フタル)の町のダンジョンで見付けた、大きくて黒く、光によって色を変える蝶。という意味だ。


 蓮にしては、けっこう真面目に考えた名前だったのに、周囲の皆は

「そのまんまじゃん!」

 そう言って、口々に笑った。


 ダンジョン内の蝶にしては、鱗粉に毒は無く、蜜水が好きで、とにかく大きくて美しかった。周囲の色を反映して、様々な色に代わる為に、いつまでも見飽きる事無く、観ていられる蝶だったのだ。

 しかも、餌をねだって、人に甘える素振りを見せるので、とても可愛がられた。



「ところで、どうやって、あんな蝶を見付けたんだ?」

 後日、ギルドマスターからそう聞かれた蓮は、答えに困った。まさか玖南のヨダレに寄って来たなんて、言える訳が無い。


 その情報が独り歩きして、攫った赤子を連れてダンジョンに入る輩が、どこかに出るかも知れない。

 ダンジョンの管理は町毎に違うから、その危険は容易に予測できた。赤子を攫う奴らが、泣く子の面倒を見るとは思えない。きっとその子はダンジョン内に置き去りにされる。そんな未来を迎える訳にはいかない。


「さあ? 私にも訳が分からないんだよね。 きっと、このごちゃまぜの私の装備の臭いのせいかな?」


「……そうかも知れんな。……済まんが、その足の黒蛇魔獣の皮は、ギルドに入った時は外してもらってもいいかな……?」

マスターは、鼻を押さえて、そっと顔を背けた。


 奥さんの宝は、ツワリが酷くなるからと、もうずっと、蓮がダンジョンの装備のままで訪れた時は、奥から出て来なくなった。

 その代わりに、ギルドマスターが直々に出て来て対応してくれるのだが、彼は玖南の笑顔が見たいだけなのだった。


「ん? 玖南の帽子に着いてる、そのきらきらした物は、何だ?」

マスターは、玖南の帽子の元の持ち主だ。その帽子は、小型魔獣の頭蓋骨から造られた硬い帽子で、内側は柔らかい綿と兎のボアで痛くないように作られていた。


 帽子をマスターが自ら外して、明りに向けて透かし見た。


「ほら。きらきらした光る何かが、付着しているみたいだ……。」

「ホントだ……。何だろう? 何かの虫の卵……かな?」


 マスターはその一つを、強く押してみたが、びくともしなかった。

「硬いな。こんなに小さいのに……。潰れないぞ。」

「こんなに透けて綺麗な卵は見た事がない。」


「ん? 透けて、綺麗……?」

「ん?」

「この色合い。あの蝶に似てないか? あの、そのまんまの命名蝶に。」

「あ……。」


「ちょっと、これ、俺が預かる。もしかしたら、ヤバイもの食って生きるヤツかも知れんぞ。」

 ギルドマスターは、思い当たる事があるらしく、眉間にシワを寄せた。

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