第6話 鍛錬
朝、家を出てから、夕方近くに戻るのは、久し振りだった。
家路を急ぎながら、緩やかな坂を登るのだが、
「この坂、こんなにきつかったっけ?」
確かに、荷車の荷は多かったが、今までこんなに重く感じた事はなかった。
抱き袋の中に眠る、孫の玖南の重さも、これまで背と腕で抱えて登った荷に比べると軽いものだ。
「それだけ私が年取ったって事か……。」
つい、弱音が口を付いた。
「いかんいかん。これしき。まだまだ、この子は小さい。弱音なんか吐いてる場合じゃない……。」
『そういえば、忙しさにかまけて、鍛錬をしていなかった』
『食事も不規則で、おざなりだった』
『体を洗わず寝るから、筋肉が落ちてるのに気がつかなかった』
等々、思い返すと、反省点ばかりだ。
「やばいぞ。このままじゃ、孫がいっぱしになるまで体が持たない。」
焦りが、足元から這い上ってきた。
息子を失った事の悲しみよりも、孫が路頭に迷う未来の恐ろしさが勝った。
守るべき大人が居ない子供の未来は、悲惨だ。
それは、自分が身に沁みて分かっている。
思い出すのも嫌で、封印している記憶の数々が、まざまざと蘇って来る。
「戻ったら、ちゃんと鍛錬しよう。明日からじゃない。今日からだ。」
疲れ切った手足に、”気” を巡らせて、意識して筋肉を弛緩させつつ、最後の坂道を登った。
行く手に見えた小さい我が家が、今日ほど嬉しく見えた日はなかった。
帰宅して、すぐに山羊小屋を覗くと、山羊の親子は今日も元気だった。
もう子山羊が随分大きくなったので、乳離れが近くなり、母山羊の乳の出が良くないので、数日後に山羊を入れ替えに来てくれることになっている。
日が暮れるまでの間だけでも、新しい草を食べさせたかったので小屋から出して繋いでおいた。
そこまでしておいて、慌てて家に入ったが、玖南はまだ眠っていた。
「いい子だね。玖南。私はちょっと外に居るから、目が覚めたら、泣いて知らせておくれよ。いいね。」
寝ている赤ん坊に声を掛けて、寝台の側の窓を開け放った。泣いたらすぐに分かるようにだ。 そして、外に出ると、玖南が眠る窓のすぐ外で、鍛錬を始めた。
まずは、呼吸を整える。
浅く吸い、深く吐く。それを数回繰り返してから、今度は深く吸い、ゆっくりと吐き出す。そしてまた深く吸う……。
呼吸に合わせて、両足裏から、大地の ”気” を集め、その ”気” をゆっくりと巡らしていく。足裏からふくらはぎ、太腿、尻の穴から体の中に ”気” を取り込み、腹全体に巡らせる。そこから肺、両手へと巡らし、首から頭の頂点を抜けて、皮膚表面を覆うように思い描きながら、最後は吐く呼吸と共に空気に ”気” を返すのだ。
その循環を2回繰り返してから、武の型の練習に入った。
蓮が物心付いた時には、この ”気” の取り込み方を覚えていた。誰に教えられたのかは、余りにも小さかったので覚えていない。
ただ、この鍛錬をしさえしていれば、誰かから殴られても、怪我が軽かった。腹を蹴られても、内臓を痛める程にはならずに済んでいた。
貧民街で、沢山の子供達が毎日捨てられに来て、毎日沢山死んだが、蓮はどうにか生き延びていた。
武の型は、自己流だ。喧嘩をしながら自分で考えて、自分の体に叩き込んだ。どんな攻撃でも、体が勝手に動くように。
ある時、捕まりそうになって逃げたが、投網を投げられて捕まってしまった。
売られると思っていたら、教会に連れて行かれて、全身を剥かれて洗われた。
捕まえた側は、私を男だと思って、男と一緒の場所に入れたのに、剥いてみたら女だったので、驚いたらしい。
裸のままで縛られて、袋に詰め込まれて運び出された。
大人数人でふん縛らないと、手傷を負う事になったので、袋に詰め込むしかなかったようだった。
ぐるぐる巻きで袋に詰め込めれてからは、観念して、されるがままになった。
床に転がされて、袋から出されたら、いかつい女戦士に囲まれていた。
「あんた、なかなか根性があるみたいじゃない。戦士にならない?」
手足を縛られて、床に素っ裸で転がされたまま、そう言われても、全く気分は乗らなかった。
「いやだ。戦士なんかにならない。」
「いい稼ぎになるよ。」
「いやだ。あんたらみたいな服の女が、子供をよく捨てに来てたから。」
「……。」
女戦士は黙った。何も言わずに、じっと上から見つめている。
その目は、悲しみも怒りも……何も写してはいなかった。
そのまま、女戦士は何も言わず、縛られたままの私を湯に優しくつけると、丁寧に洗ってくれた。
「髪の毛の中のシラミが凄いから、髪を剃るよ。じっとしてないと怪我するから。」
そう声を掛けてから、小刀で、私の髪を剃った。
シラミまみれの赤茶けた髪の毛が、すっかり無くなってから、再び丁寧に洗ってくれた。がしがし洗って、痒い所がないかまで聞いてくれて、気持ちが良かった。
全身を洗われて、さっぱりしたところで
「さて。あんたに服を着る気があるなら、紐を解いてやるから、大人しくしな。
もし暴れたら、男衆の宿舎に縛ったまま、放り込んでやるからね。そうしたら、奴らは大喜びでお前に群がるだろうよ。その時は、お前は明日の朝日は拝めないだろうね。……さあ、どうする?」
そう聞いて来た。
「わかった。服を着る。」
清潔な新しい女物の服を、私は産まれて初めて着た。
肌触りが心地よくて、びっくりした。
「馬子にも衣裳とは、この事だね。似合ってるよ。」
女戦士の一人が、そう言った。
「髪は、やがて伸びるよ。きれいな珍しい赤毛だから、もうシラミなんか付けるんじゃないよ。」
「あんたは、今日から教会の子だよ。まずは、名前を付けてもらいな。そして、札をもらうんだ。」
「ふだ??」
「そう。1人に一つ、お前の札があるんだ。」
何の事かは分からなかったが、名前を貰えるのは嬉しかった。
「洗ってくれて、髪を誉めてくれてありがとう。」
私は、素直にお礼を言った。
「いいんだよ。……あんたにいい名前が付いて、札を貰ったら、イイ男と出逢えるように、願ってるよ。」
「幸せにおなり。」
「女は愛嬌だよ。顔の造りは、笑ってりゃ分からんからね。」
「……なにそれ。」
女戦士達は大笑いした。
教会で、教主から『蓮』という名前を貰った。そしてそのまま、札も貰った。
あの時の教主の顔は覚えていない。ただ、深い深い濃くて青い瞳に見据えられた時に、何かに引っ張られるような、頭の中を空っぽにされたような感覚になったことだけは覚えている。
普通なら、赤ん坊の頃に札を貰うのだが、私が貰ったのは8才になってからだった。産まれた日は分からないが、年はだいたい分かるそうだった。
教会の暮らしが性に合わなくて、12才の時に飛び出した。
そのまま、各地を放浪しながら、色々やって、最終的にダンジョンの入口周囲で小銭稼ぎをしていたら、どっかのパーティーに声を掛けられて、そのままいきなりダンジョンに潜ったのだった。
あの時は、最悪だった。私は魔獣のエサになる予定だったらしい。
よく分からない階層で、置き去りにされて、上か下かも分からない層の中で、右も左も魔獣だらけの場所で、一人切りになった。無我夢中で走った。
素手に近い小刀しか持っていなかったから、その辺に落ちていた、誰かの剣を掴んで夢中で振り回した。
どうやって外に出たのかも分からない。
真っ暗な中で、天井に瞬く光が、吸血魔獣の目だと思って、飛び掛かられる前に走り抜けようと必死に走っていたら、林の木に頭から激突して、気を失ったのだった。
知らないうちに、ダンジョンの外に出ていて、夜空の星を、吸血魔獣の青い目だと思い込んで、逃げていたのだ。
その時、気を失って倒れていた私を助けてくれた爺さんが、町まで連れ帰ってくれて、医者に診せてくれた。
体中にある、魔獣から受けた傷を見て、色々察した医者が、その町のギルドに報告してくれた。
近々でそのダンジョンに潜ったパーティーを調べ上げ、戦利品と階層、魔物と魔獣の種類を照らし出し、私の傷と照合。
犯人のパーティーを割り出して、吊るし上げてくれていた。
私がどうにか生き返って、目を覚ました時には、そのパーティーが持ち帰ったダンジョンの戦利品の対価が、私の枕元に積まれていた。
そんな、古い昔の事を思い出しながら、大地からの ”気” を意識した鍛錬は、滝のように流れる汗と共に、終わりの一呼吸を吐き出して、終わった。
玖南の泣き声はしなかった。
ただ、窓辺で、私をじっと見つめる目と目があった。
「あら。玖南。起きてたのかい。……今日からお前は、『玖南(くな)』だよ。」
そう声を掛けたら、満面の笑みが返ってきた。
口から、たら~っと、よだれが垂れた。
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