第5話 名前札

 赤ん坊が、声をたてて笑うようになった。

 首が据わって、扱いが格段に楽になった。

 周囲の温かい人達のおかげで、やっとどうにか、赤ん坊の居る生活に慣れて来た。


 約30年振りに赤ん坊を抱えることになった私(祖母)は、若い新米の母親にちょっと毛が生えた程度で、おっかなびっくりだ。


 それでも今日は、数ヶ月振りに、やっと町に買い出しに出掛ける事が出来た。


 町に出る目的の一つは、町に一つしかない教会に、この子の名を記載しに行く事だ。これは、子を持った親が行う、最も大切な仕事といえる。

 あの金髪巻き毛の母親はまだしていなかったようなので、遅くなったが、今日行う事にした。


 子供が産まれたら、生まれた町にある教会に、子の名前を届け出て、教主から名前の札を貰うのだ。

 その名前札は、一生涯、身に着けておくものだ。

 不思議な事に、落としても必ず持ち主の元に戻って来る。

 その ”術” を習得出来た僧が、教主になれるのだ。


 札の持ち主が、どこかで亡くなった時は、札だけが教主の元に戻って来る。

 教主が亡くなっていたら、教主の墓に札が届くそうだ。

 息子の札は、別の町で別の教主に出してもらったので、そこに息子の札が戻っていないかを聞く為にも、蓮は教会に早く行きたかったのだ。



 町の教会の教主は、私を見ると、笑顔で迎えてくれた。


「息子さんから、手紙が届いていますよ。」

私は嬉しくなった。私は字が読めないので、教主が手紙を読んでくれるのだ。


しかし

「息子さんの札が、首都に近い教会に届いたそうです。」

教主は、目を伏せながら、静かにそう告げた。


「そうですか……。」


 やはり、息子は亡くなっていた。あの金髪巻き毛の女が言ったように、ダンジョンに潜って、何かがあって、命を落としたのだ。

 覚悟はしていた。一月もダンジョンから戻らなかったならば。

 自分も元勇者だったから。


 それでも、もしかしたら……。そんな希望を持っていた。

 その希望が、崩れた。

 胸に鋭い痛みが走る。


「手紙を、お読みします。今、持ってこさせますので、こちらでお待ちください。」

優しく教主は言って、近くの椅子に私を座らせた。

 赤ん坊は、キョロキョロしながらご機嫌だ。



 教主の穏やかな声が、教会の中に響いている。


 息子が、母に宛てた、手紙だ。

 もう居ない息子が、母に語りかける。

【かあちゃん 元気ですか。

 俺に、子供が産まれました。男の子です。

 やっと、かあちゃんに、孫の顔を見せてやれます。

 こちらで、名前の登録を行ってから、妻と一緒に帰ります。

 待っていてください。


 息子の名前は、玖南(くな)です。瞳の色の輝きがとても美しかったので、黒の宝玉を意味する字にしました。南の地で生まれたので、南の黒い宝玉です。

 俺にやっと授かった子です。親ばかですが、名前に宝物の想いを込めました。】


 読み終えた教主が、静かに目尻を押さえた。

 そして、手紙に息子の札を添えて、手渡してくれた。


 息子の札はあちこちが擦れて、傷だらけになっていた。だが、銀色に輝く光はそのままだった。掘り込まれた息子の名前を、指でなぞった。


 この札は、確かに息子の物だ。あの子の肌に着いていた物。

 命が尽きるその瞬間まで身に着けていた物。


 手紙を握りしめて、札に口付けをした。

 そして、札を教主に返した。


「もう、いいのですか?」

教主は、優しく聞いて来た。


「はい。札を確認しました。……早く、輪廻の輪に帰してやらねば……。」

私は、流れる涙を止めないまま、願った。


「この赤ん坊は、息子の子です。私の元にこの子が戻って来た。……今は、その事が有難い。どこかの教会に預けられていたら、探し出せなかった……。

 息子を、輪廻の輪に載せてやってください。そして、この子と繋がる縁を受けられるように、願います。」


 教主は頷いた。

「分かりました。私もそう願いましょう。そして、一緒に、この子の名も、本日、札に刻みましょう。深い縁を得られると願って。」


 教主は、赤子を腕に抱いた。

 玖南は、その黒茶に緑の縁取りのある瞳で、真っすぐに教主を見つめた。

 教主は、そのどこまでも深く濃い黒曜石のような瞳で、赤子の瞳を見つめた。


 教主に抱かれた赤子が泣く事はないと知ってはいても、その瞳と瞳の視線の交感は視ている者に不思議な感情を沸き上がらせる。


 教主が教主たるその由縁は、この瞳の交感にある。瞳の奥の奥深くに語りかけながら、その子が本来持っている札を、手元に引き寄せるのだ。


 やがて、教主の右手に、淡い光が集まり、その手に札が出現した。赤銅色に輝く札だった。光の加減で金色にも見えるその札には、赤ん坊の名前が彫り込まれているはずだ。


 玖南は眠り始めた。札を得た子どもは、半日程深い眠りにつくのだ。


「ありがとうございます。」

 私は、玖南を腕に引き取った。

 教主が札を玖南の首に掛けた。札が胸に喰い込むように納まった。

 

 息子の札は、消えていた。無事に輪廻の輪に乘れたのだ。


「良い子です。玖南の未来が幸多いものである事を願います。」


 私は、教主に敬意を込めて、深く頭を下げた。



 午後の買い物の間中、玖南はぐっすりと眠っていてくれた。

 

 荷車に荷物を乗せて、玖南をギルド長に合わせる為に、町のギルドに顔を出した。何度か手伝いに来てくれていた、ギルド長の奥さんがすぐにやって来てくれた。


 そして、玖南の名前の付いた札をみて、目を丸くした。

 だが、何も言わなかった。


「『玖南』というのね。いい名前だわ。でも、この札は、人に見せない方がいい。」

 そう、そっと耳打ちして、すぐに玖南の胸元を隠し、その上から、自分のスカーフを外して更に巻いてくれた。

「この子の未来に、幸多い事を願います。」


「ありがとう。私もそう願う。」



 ギルド長がやって来ると、更に賑やかになった。

「あんたの息子にそっくりじゃないか!! 札を貰ったって! おめでとう。

 これでこの子も、この町の子だ!!」


 やがてどんちゃん騒ぎになったが、玖南が起きる事は無かった。


 私は、目が覚める前に帰りたいからと、静かにギルドを後にして家路を急いだ。

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