第4話 人情の有難さ
当初の予想はしっかり外れて、あの金髪巻き毛の母親は、やって来なかった。
30年振りの赤ん坊の世話は、とんでもなかった。
まずは、授乳から挫折の連続。
そりゃそうよだよ。母親の乳房から飲む訳じゃないから。
山羊の乳は、難なく絞れた。
母山羊も協力的で、絞る間はじっとしていてくれた。
絞った山羊の乳を、一度しっかり温めてから人肌に冷ます。
昔、誰かが赤ん坊にしていた方法を思い出して、真似てみる。
器に入れたその乳に煮沸した布端を浸して、その布を咥えさせるのだが……。
まず、口に咥えてくれない。
首を左右に振って嫌がり、大泣きする。
器の乳は零れるし、布端は吹っ飛ばすし。
更にお腹を空かせて泣き叫ぶし。
やむなく、葦で作ったの管に少しづつ取っては、口の中に流し込んだら、これは飲んでくれた。
それがもう、途方もない時間がかかる。
その合間に、おしっこはするし、うんちはするし。
ゲロゲロ吐くし。着替えさせなきゃだし。
洗濯はしないといけないし。
用意したおむつは40枚。全然足りなかった。
1日で使い切った。
とりあえずで用意した産着は6枚。全く足りなかった。
半日で使い切った。
夜も、お腹が空いてるからか、すぐに起きて泣き叫ぶから、こっちは寝ていられない。
どうにか山羊の乳の味には慣れてほしいのだが、なかなか飲んでくれない。
預かった時にはおむつカブレが既にあったが、それが痛いからか、排尿する度に
火が点いたように泣くので、毎回ぬるい湯ですすいでから、おむつを当てた。
とにかく、自分の食事もままならない。
洗濯するので手一杯。
眠る時間も無い。
困った。ほんとに困った。
孫を預かってから3日目に、訪問客があった。
あの山羊を貸してくれた老夫婦が、様子を見に尋ねて来たのだ。
私はフラフラしながら赤ん坊を抱いて、出迎えた。
「蓮さん。大丈夫かい?!」
開口一番、奥さんにそう言われた。
「あんまり、大丈夫じゃなさそう。」
「あんたが弱音を吐くなんて、よっぽどだねぇ。手伝いに来たよ!」
外が眩しいからかも知れないが、私にはこの奥さんの頭から後光がさしているように見えた。
「さあさあ、産着を持って来たよ。息子達の所にあったお下がりだけどね。」
「ううう……有難い~。もう着せる物がなくて……。」
私は泣きそうになった。
実は、産着が乾かないので、裸の赤ん坊を、すっぽりと毛布を掛けて抱いて、自分の体温で温めていた状態だったのだ。
乳の出る山羊を借りに来た顛末を、そこの家の奥さんが、長年の連れ合いの旦那から聞いて、心配してくれていたのだ。
「そりゃ、大変だよ!! 蓮さんが倒れちまうよ!」
たいそう驚いて、必要な物をかき集めに、息子達の所に走った。
産着や、赤ん坊に必要なアレコレをかき集め、取る物もとりあえず、ロバに荷物を積み込んで、旦那に引かせて、蓮の所に届けに来てくれたのだった。
「一人だけで子育てしようなんて、土台無理なんだよ。蓮さんに助けてもらった恩を返せる機会がやっと巡って来たんだ。私しゃ嬉しいねえ。どんどん頼っておくれよ!!」
奥さんがそんな事を言ってくれる。
「え?私、助けたりしたっけ??」
「ほら。こうだよ。」
ロバから荷物を降ろしながら、旦那が笑いながら、奥さんを見た。
「蓮さんが忘れてたって、私や旦那や息子達は覚えてるよ。」
奥さんに同調して、旦那も言い添える。
「儂が出稼ぎに出て留守してる時に、変な輩がうちの嫁に目を付けたのを、いつもコテンパンにやっつけて守ってくれてたろう。」
「そうだよ! うちだけじゃないよ。町の女や子供達を、いつでも守ってくれてたじゃないか。蓮さんには皆、感謝してるんだよ。」
そんな風に熱く語ってくれるのだ。
「そんな事、してたっけ? 全然覚えてないよ。確かに、気に入らない野郎共を、コテンパンに伸してたけど、助けてた事になってるんだ……。へええ。」
その物言いに、老夫婦は声を立てて笑う。
「蓮さんらしいよ。あんたはそういう人だよねぇ。」
私は、久し振りに赤子を抱く手を休めて、暖かい食事を食べる事が出来た。
「儂が見てるから、ゆっくり眠りな。洗濯やなんかは、うちのがしてるよ。」
爺さんが、そう言ってくれた時には、私の瞼はもう下りかけていた。
「ありがとう。恩に着るよ。」
それだけ言うのがやっとだった。
『これなら、ダンジョンに潜ってた方が、よっぽど気楽だったよ。』
そんな事を思ったが、口には出来なかった。
数日振りに、深く眠った。
赤ん坊が泣く声で目が覚めた。
窓の外を見ると、瓶に入った乳を、奥さんが抱いて赤ん坊に含ませている所だった。
瓶の中身がグイグイ減っていく。
『あの瓶、何??』
私は起き出して、外に出た。
外は、青い空が視界一面広がって、いい天気だ。
庭の木には、何本ものロープが渡されて、それぞれに洗濯物が旗めいている。
数日振りに、しっかり眠って余裕が出たのか、周囲を眺めて、景色が美しいと思えた。空の青さも、草の緑も、風さえ心地良い。
奥さんに抱かれた赤ん坊は、しっかり乳を飲んで満足したようで、キョロキョロと瞳を動かしては、なにやら声を出している。
「奥さん、その瓶は、何?」
「これ? これは、哺乳瓶って言うんだよ。」
「ほにゅうびん?」
「そう。うちの子が使っていたやつだけどね。」
「へええ。そんな便利な物があるんだね。」
「私は乳が出なかったから……。3人の息子は、皆、貰い子だったからさ。」
言いにくそうに、奥さんはそう言った。
「へえ。そうなんだ。いい子達だから、そんな事気にしてなかったよ。
すごいね。あんなにいい息子に育て上げてさ。皆、母さんが大好きじゃないか。」
私が、思ったままを言うと、奥さんは何故か涙ぐんだ。
「え? 何か、気に障ったのかい? ごめんよ。気が回らなくて……。」
奥さんは、バシッと私の腕を叩いた。
「違うよ。嬉しかったんだよ!」
そう言って、涙を拭きながら、哺乳瓶の使い方を教えてくれた。
乳を飲めるようになった赤ん坊は、目に見えて機嫌が良くなった。
夕方、日が暮れる前に、老夫婦は帰って行った。
「赤ん坊は、一人で育てるもんじゃないよ。明日は、息子の嫁が見に来るからね。」
そう言い置いて、赤ん坊のほっぺに頬ずりしてから帰って行った。
山の様にあった洗濯も、綺麗に洗われて畳まれている。
鍋の中には暖かいスープ、炊き立ての飯に、菜野菜の煮つけ。
その全てに、感謝して、手を合わせた。
次の日にやって来た、老夫婦の長男の嫁は、彼女が小さかった時に、攫われそうになっていた所を、助けたらしかった。
その後も、町で合った時に、何くれとなく、飴や菓子を貰ったとか……。
まあ、子供達に、飴玉や菓子をあげるのは、私の育った故郷では普通の事だったので、
『そこまで覚えていてもらわなくても……。』
とは思った。
彼女の手助けも大したもので、家の中が綺麗に掃除されて、茶碗の一つ一つが輝いて見える。
『すごい!』
と心底感心した。
帰り際には、料理を作っていってくれて、これまた有難く頂いた。
翌日は、町の八百屋の奥さんが手助けに来てくれた。
その次の日は、パン屋の女将さん。
その次の日は、ギルドのマスターの奥さん。
その次の日は、肉屋の婆さん。
という具合に、毎日入れ替わりで、誰かが手助けに来てくれる。
その度に、いついつ、助けてもらった、と告げられて、
『そんな事したっけ??』
と記憶を辿るが、覚えていない事はしょうがない。
『この町の皆は、義理堅いなあ。』
そう思うばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます