第2話 息子と同じ赤毛の赤ん坊

 いつも通りの朝のはずだったのに、顔を洗いに出た庭先で、すっこ転んだ。


 幸い上手く転んだので、膝をついた程度で済んだが、手に持っていた陶器の器を落として割ってしまった。随分使い慣れた物だったのに。


「やれやれ、朝は体が強張るねえ。」

 膝に付いた泥をはたいて立ち上がり、軽く屈伸する。


 そのまま伸びをして、軽く武闘の型を取り入れながら、全身をほぐしていく。

 関節の隅々に”気”を巡らしながら、ゆっくりと可動域を広げていく。


 本来は、朝飯を食ってから行う動作を、転んだ事の気分が悪かったので、勢いで初めてしまった。


 動かし始めたら、途中で”気”の巡りを止めるのが惜しくなって、いつもの手順で軽く汗をかく程、全身の筋肉を伸ばして縮めて、いつもよりも入念にほぐしてしまった。


 いい感じに体がほぐれたかを、何度か跳躍して確認した。


『今日は久しぶりに棒でも振ってみるかな。』

 そんな風に思える程、今日は体が軽かった。

『何で転んじまったかな??』

と、不思議に思う程に。


 家の脇に湧く清水を飲み、汗をかいた体を拭いて清めた。ここに家を構えようと決めたのは、この岩から染み出す清水の旨さのせいだった。


 こんなに旨い水を飲んだ事が無い。と感激して

『この水が毎日飲みたい。』

 その為に、貯め込んでいた金をはたいて、この土地を買ったのだ。


 買った当初は、辺り一面、草に覆われた草原だった。前の持ち主は手広く畑作をしていたらしいが、買った時は、見る影も無い放置状態だった。


 まだ幼かった息子と共に、草を刈って堆肥を作り、鋤き込んで畑を作っていった。

薬草を育てて町に売りに行き、その足で、息子の手を引きながら軽めのダンジョンに潜っては、輝石や貴鉱石、魔石、硝石を採取した。

 時々、珍しい昆虫が獲れたりして、それらを売っては、生活の足しにした。


 街のギルドのオーナーは、気のいい奴で、息子の父親とは幼馴染だとかで(世間は狭い)良くしてくれた。

 子連れの女なんか、ダンジョンパーティーに入れてもらえない。子連れでもいけそうな仕事を優先して回してくれたのだ。


 息子がある程度大きくなってからは、息子と2人でパーティーを組んで、ダンジョンに潜るようになった。

 こう見えて、私は強かったから。見た目はイマイチだったけど、剣技と武闘にかけては、そこらの男には負けなかった。

『勇者パーティー』なんて、偉そうに名乗ってる奴らになんか意地でも負けなかった。

 おかげで、ランクはBになったが、それを大げさに言いふらしはしなかった。

 女だてらに ”ランクB” だと、それが気に入らないヤツは一定数いて、意味もなくイチャモンを付けて来るからだ。


 こっちは子持ちで、四六時中、子供を見てる訳じゃない。子を盾に取られちゃやられるしかない。


 実際、そういう目にも合った。

 一応、女の機能は持ってるから、見た目がどうあれ、男からみれば、ヤレる。

子の首に刃物を突き付けて、私が大人しくヤラれさえしたら、子は怪我をしないで済むぞ、なんて言って、4人の男達に手足を抑え込まれた。


 周囲には、野次馬も含めて、人垣を作って見物している奴らがいる。

『何人か相手する分には仕方がないか……。隙が出来るまで我慢しよう。』

そう思って、諦めかけた時。


 何と、ギルドマスターが、雇いの傭兵を従えて、その場に乗り込んで来た。

 怒り狂ったマスター自らが、息子を取り返してくれて、周りに居た奴らを含めて、ギッタンギッタンにのしてくれたのだ。


「お前等が今後、ギルドの仕事が出来るとは思うなよ。どの街に行っても同じだ。汚い奴らの情報は、ギルドは共有するからな。」

そう言って、奴らを街から追い出したのだ。


 私は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった息子を、無事に腕に抱く事が出来た。

 私に抱かれて初めて、やっと泣き声をあげた息子。


 この子なりに、悔しかったのだ。自分が迂闊に捕まったせいで、母親が酷い目にあいそうになったのだから。抵抗できずに押さえつけられて、服を引き裂かれる母親を見て、どんなにか心配した事だろう。


『この町に来て良かった。』

 頼もしいギルドマスターが居るこの町に、私は、死ぬまで居たいと思った。


 その一件以来、私にちょっかいをかけて来る輩はいなくなった。

 ギルドの方でも、ランクを公表したくない者は、隠せるシステムになった。

 各人のランクは、ギルドが把握していれば、仕事の斡旋に問題ないとの配慮だった。


 息子の成長に合わせて、息子の身体を鍛えていった。それと並行して、潜るダンジョンの階層も変化していった。


 ある日息子が

「母ちゃん。俺、明日から一人で潜るから。」

そう宣言した。そして、実際にそうし始めた。


 軽い怪我をして戻る事もあったが、着実に金を稼げるようになった。


「明日から、パーティーに入れてもらって、色んな街に行く事になったから。」

息子は、またまた突然そう宣言して、実際に次の日に家から旅立った。


 数年に一度は、ふらりと帰って来て、一緒に酒を飲み、飯を食って、畑を耕してのんびりと過ごした。

 家を旅立った時は、まだあどけなさが残る少年だったが、戻って来る度に、逞しい男に成長していた。

「この水は、旨いなあ。」

 再び旅立つ前、息子はそう言って、岩から湧き出す清水を、喉を鳴らして飲んだ。


 そして

「じゃあ、また行って来るよ。」

 そう言って、家を後にした。もういい年齢の男になっていた。

 私の年齢から換算したら、30代。


 私が息子が腹に入って、元旦那と別れて、勇者を辞めたのがその年代だ。

 子が産まれて、身体もあちこちガタが出始めて、ダンジョンに潜るのが怖くなって、本格的に潜る事を止めた年代。

 そんな事を思いながら、その時は息子の背中を見送った。


 その日旅立ったきり、……息子は帰って来なかった。



 あれから、悠に10年は過ぎた。

 そして今。目の前には ”息子の子” だという赤子を抱いた、金髪巻き毛の派手な女が立っている。

「一月前に、ダンジョンに潜ったっきり、あの人戻って来ないのよ。もう、持ち金も無くなって。大家から家も追い出されたの。」


 女は、額の汗をぬぐいながら、赤子を揺する。

「この子連れてたら、働けないの。私まだ若いから、子連れだといい出会いも望めないでしょ。」


 赤子は、確かに息子と同じ赤毛だ。

「行く当てはもうあるから、この子だけ引き取ってくれれば、手切れ金はいいから。」

そう言うなり、赤子を差し出して来た。

「はい。あなたの孫。服は、これ。」

 思わず、赤子を受け取ってしまう。


 眠っている。

 女は、服が入ったボロ布の袋を、肩から降ろして、地面にポンと置いた。

 その袋には見覚えがあった。私が縫って持たせていた、息子の下着入れだ。


 腰まである金髪巻き毛のその女は、重い荷物を手放せてヤレヤレとの感じで、首を回した。

 豊満な胸に、くびれた腰。全体的に艶やかで色気がある。

 着ている服も鮮やかな色合いで、確かに色合わせもいい。恐らくは20代に入る前か、入ってすぐか。


「お水かなんか、ちょうだい。ここまで登って来る大変だったの。喉が渇いたわ。」

「あそこに水が湧いてるから、置いてあるひしゃくで汲んで飲んで。」


 女は、足早に歩んで、喉を鳴らして、その水を飲んだ。

「あら。美味しい。あの人が言ってたのは、この水ね。」

そう言いながら、ひしゃくを置いた。


「この子の名は?」

「あの人は、小さい子だからか、チイって呼んでたわ。正式に教会で命名した訳じゃないから、あなたが好きに付けて。」

「町から歩いて来たのかい?」

「まさか。この下まで、連れが馬車で連れて来てくれたのよ。今、下で待ってくれてるの。」


 女は、色気を漂わせながら、嬉しそうにそう言った。


「あんた、名前は?」

「もうすぐ名前も変わるから、教えても意味ないわ。私は死んだと伝えておいて。」


 自分の子なのに、それでいいようだ。

 厄介払いが出来て清々しているように見えた。


 私が引き取らなければ、その辺に捨てて行きそうだった。ここまで連れて来たのが、せめてもの親心だったのだろう。


「それじゃあ、もう二度と会う事もないでしょうけど、お元気でね。」


 そう、にっこりと笑って挨拶して、背を向けた。中々に魅力的な笑顔だった。

金髪の巻き毛に、黒味の強い暗い色の深い緑の瞳。左側にえくぼ。いい女だ。


 彼女は一度も振り向く事無く、せっせと歩いて坂道を下って行った。


 腕の中の小さな赤ん坊は、スヤスヤとまだ眠っている。ふくよかとは言い難い頬。着ている服は、擦り切れていて、これを着るのはこの子で何人目なのだろうか。

それだけでも、この子の今迄の境遇が感じられた。


「お帰り。チイ坊。

……あんまり小さくなって帰って来たから、びっくりして、誕生日を聞き損ねちまったよ。」

私は、自分の息子が小さい頃『チイ坊』と呼んでいた。


 息子に似た、赤毛。産着入れの袋。どうやら、この子は本当に息子の子らしい。

「お帰り。チイ坊。」


 私は、赤ん坊を抱きしめた。ふいに涙が溢れた。



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