社長直談判

第31話 社長直談判


 その日の夕方。


 シャイニードリームランドの事務棟前で、アオイは企画書を両手で抱えていた。


 白い紙の束。


 そこに、何度も見直した文字が並んでいる。


 妖怪けんきゅうじょ企画書。


 シバチー使用許可申請。


 検証協力員として。


 アオイは、その文字を見て、小さく息を吸った。


「緊張してる?」


 クロエが聞いた。


 アオイは少し考えてから、うなずいた。


「少し」


「少し?」


「うん。社長さんにお願いするのは、少し緊張する」


「シバチーが絡んでるから、もっと緊張してもいいと思うけど」


「そこは、大丈夫」


「何で」


「シバチーのためだから」


「その動力、怖いくらい安定してるね」


 レイカはスマホを鞄にしまった。


「大丈夫大丈夫。企画としては普通に良いし、宣伝になるし、社長もノリで許可してくれるっしょ」


「そういう時ほど、変に威厳を出すタイプに見える」


 クロエが言った。


「でも社長だよ?」


「社長だから」


「社長って大変だね」


「まだ何も始まってない」


 アオイは企画書を抱え直した。


 表紙の端が少し曲がっている。


 何度も持ち直したせいだ。


「ちゃんと、お願いする」


「うん」


 クロエは短く言った。


「ただし、変なこと言い出したら止める」


「私が?」


「社長も、アオイも」


「私も」


「アオイも」


 レイカが笑う。


「クロエ主任、頼もしい」


「呼ばない」


「今日だけ」


「今日も呼ばない」


 三人は事務棟の中へ入った。


   *


 社長室は、想像より少し広かった。


 壁にはシャイニードリームランドの古いポスターが飾られている。


 時計塔の絵。


 観覧車。


 昔のシバチー。


 今より少し丸い顔をした、初期デザインのシバチーが、赤い風船を持っていた。


 アオイは一瞬だけ、そのポスターを見つめた。


「座りたまえ」


 大きな机の向こうで、社長が言った。


 声だけは、妙に重々しい。


 アオイたちは並んで座った。


 アオイは企画書を差し出す。


「今日は、お時間をいただきありがとうございます」


「うむ」


 社長は企画書を受け取った。


 表紙を見て、少しだけ眉を上げる。


「妖怪けんきゅうじょ」


「はい」


「ひらがなか」


「怖すぎない方がいいと思って」


「なるほど」


 社長はページをめくる。


 アオイは背筋を伸ばした。


 クロエも黙っている。


 レイカも、さすがに今日は少しだけ静かだった。


 社長は企画書を読み進める。


「ふむ」


 ページをめくる。


「ふむふむ」


 さらにめくる。


「ほう」


 アオイは少しだけ身を乗り出した。


「どうでしょうか」


 社長は企画書を机に置いた。


 そして、ゆっくりと指を組む。


「つまり、君たちは」


「はい」


「我がシャイニードリームランド内にまつわる怪異の噂を調査し」


「はい」


「その様子を動画として発信し」


「はい」


「園内の魅力発信につなげたい」


「はい」


「そして、その検証協力員として」


 社長は少し間を置いた。


「シバチーを使いたい」


 アオイは真っ直ぐに頷いた。


「はい」


 クロエが小さく言う。


「使う、というより出演協力です」


「同じようなものでは?」


「言い方の問題です」


「ふむ」


 社長は深くうなずいた。


「簡単に言えば?」


 アオイは少し考えた。


「シバチーを、貸してください」


 社長は目を閉じた。


「簡単すぎるな」


「すみません」


「いや、分かりやすい」


「ありがとうございます」


「だが、これは重大な問題だ」


 社長の声が、少し重くなった。


 レイカが小さくクロエを見る。


 クロエは目だけで「来た」と返した。


「シバチーは、我がシャイニードリームランドの公式マスコットである」


「はい」


「子どもたちの夢であり、希望であり、笑顔であり、弊社の大切な資産であり」


 社長は一度、咳払いをした。


「グッズ売上の柱でもある」


 クロエが小さく言った。


「最後だけ本音ですね」


「聞こえているよ」


「聞こえるように言いました」


 社長は少しだけ姿勢を正した。


「とにかく。公式マスコットを外部動画に出演させるというのは、軽い判断ではない」


「外部と言っても、宣伝効果はありますよね」


 クロエが言った。


 社長は重々しくうなずく。


「ある」


「無料ですよね」


「ある」


「今、答え変わってません?」


「宣伝効果は、ある」


 レイカが小声で言う。


「めっちゃ乗り気じゃん」


「静かに」


 クロエが言った。


 社長は聞こえないふりをした。


「だが、宣伝になるから即許可、というわけにはいかない」


「なぜですか?」


 アオイが真面目に聞いた。


 社長は少しだけ嬉しそうにした。


 たぶん、聞いてほしかった。


「そこには、覚悟が必要だからだ」


「覚悟」


「シバチーを背負う覚悟だ」


 レイカが思わず言った。


「背負うのは中の人じゃね?」


 室内が一瞬止まった。


 クロエがレイカの足を軽く踏んだ。


「痛っ」


「すみません」


 クロエがすぐに頭を下げる。


「何でもありません」


 社長は咳払いした。


「比喩だよ」


「ですよね」


 レイカは小さくなった。


 アオイは企画書を見つめる。


 そして、顔を上げた。


「あります」


 社長がアオイを見る。


「シバチーを、雑に扱うつもりはありません」


 アオイの声は静かだった。


 でも、揺れていなかった。


「シバチーは、怖い場所を怖いだけで終わらせないために、いてほしいんです」


「ほう」


「怖かった、で終わる動画にはしません。変だったねって笑える。最後は、帰ってこられる。そういう動画にしたいです」


 社長の表情が、少しだけ変わった。


 アオイは続ける。


「シバチーがいたら、怖い場所も、笑って帰れる気がするから」


 クロエは、隣で黙っていた。


 レイカも、口を挟まなかった。


 社長はしばらくアオイを見ていた。


「笑って帰れる、か」


「はい」


「それは、良い言葉だ」


 社長は、ゆっくりと頷いた。


「とても良い」


 アオイの顔が少し明るくなった。


「では」


「だが」


 社長は人差し指を立てた。


「良い言葉だからこそ、簡単には許可できない」


 クロエの目が細くなった。


「今、許可する流れでしたよね」


「流れに身を任せるだけが社長ではない」


「社長って面倒ですね」


「クロエ」


 アオイが小さく止める。


 社長は、また指を組み直した。


「まず、君たちの本気を見極めなければならない」


「本気」


「そうだ」


「企画書、作ってきました」


「見た」


「安全ルールも作りました」


「見た」


「投稿前確認も入れます」


「見た」


「宣伝効果もあります」


「見た」


「無料です」


「見た」


「じゃあ何を見極めるんですか?」


 クロエの声は淡々としていた。


 社長は少しだけ黙った。


「……空気だ」


「空気」


「夢の国には、空気というものがある」


「便利な言葉ですね」


「クロエ」


 アオイがまた止める。


 レイカは笑いをこらえて肩を震わせていた。


 社長は少しだけ悔しそうだった。


「君たちは若い。勢いがある。それは良いことだ。しかし、勢いだけでは夢は守れない」


 そこだけは、少し真面目な声だった。


 アオイは姿勢を正す。


「はい」


「シバチーの隣に立つなら、夢を壊さないこと。それは最低条件だ」


「はい」


「怖がらせるだけなら、誰でもできる。驚かせるだけなら、安い仕掛けでいい」


 社長は企画書の表紙を指で軽く叩いた。


「だが、帰る時に笑顔にする。それは簡単ではない」


 アオイは頷いた。


「分かっています」


「本当に?」


「はい」


「では問おう」


 社長は重々しく言った。


「シバチーとは、君にとって何か」


 クロエが目を閉じた。


「長くなりますよ」


 レイカも小さく頷いた。


「これは長い」


 アオイは、真面目に答えようとしていた。


「シバチーは」


 その時。


 社長室のドアが、こんこん、と鳴った。


 返事を待たずに、ドアが開く。


「失礼します」


 ミクだった。


 空気が変わった。


 社長は少しだけ背筋を伸ばす。


「ミクくん」


「何してるんですか」


「社長として、公式マスコットの使用許可に関する重要な審査を」


 ミクは机の上の企画書を見た。


 手に取る。


 数秒で目を通す。


「無料宣伝ですね」


「言い方」


「許可すればいいじゃないですか」


 社長の顔が固まる。


「いや、そう簡単には」


「安全ルールもあります。投稿前確認も入っています。園内の魅力発信にもなる。シバチーの露出も増える。グッズ導線も作れる」


「うむ」


「許可すればいいじゃないですか」


「二回言った」


「二回必要でした」


 クロエが小さくつぶやいた。


「強い」


 レイカも小声で言う。


「実権」


「言わない」


 ミクはアオイたちを見た。


「あなたたち、本当にやる気?」


「はい」


 アオイはすぐに答えた。


「シバチーを使って、ふざけた動画にするつもりはありません」


「ふざける部分はあるでしょう」


 ミクは冷静に言った。


 アオイは少し止まる。


「……少しは」


「そこは否定しないのね」


「嘘はよくないので」


 ミクの口元が、ほんの少しだけ動いた。


「いいでしょう」


 社長が慌てる。


「いや、ミクくん。まだ私の審査が」


「長いです」


「長い?」


「長いです」


「威厳というものが」


「いりません」


「いるよ!?」


 レイカが下を向いた。


 肩が震えている。


 クロエは真顔で耐えていた。


 アオイだけは真剣に二人を見ていた。


 ミクは企画書を机に置く。


「許可自体は出せます。ただし、条件があります」


 アオイは背筋を伸ばした。


「はい」


「一つ。撮影は指定された時間と場所だけ」


「はい」


「二つ。一般客の顔を映さない」


「はい」


「三つ。立ち入り禁止区域に入らない」


「はい」


「四つ。シバチーのイメージを壊さない」


「はい」


「五つ。中の人を詮索しない」


 アオイの返事が、ほんの少しだけ遅れた。


「……はい」


 クロエが横目で見た。


 レイカも見た。


 アオイは真剣な顔で頷いていた。


 ミクは続ける。


「六つ。危険行為禁止。怪異だろうが演出だろうが、勝手に突っ込まない」


「はい」


「七つ。投稿前に必ず運営確認を入れる」


「はい」


「八つ。シバチーは検証協力員。盾ではありません」


 アオイはすぐに答えた。


「はい。前衛でもありません」


 クロエが小さく頷いた。


「よし」


 ミクはアオイを見る。


「守れますか」


「守ります」


「本当に?」


「はい」


 アオイは企画書を両手で持った。


「私は、シバチーに救われました」


 部屋が静かになった。


 社長も、ミクも、何も言わなかった。


「だから、シバチーを雑に扱う動画にはしません。シバチーを怖い場所に連れていくなら、ちゃんと笑って帰れるようにします」


 アオイの声は、静かだった。


「それができないなら、やりません」


 クロエは少しだけ目を伏せた。


 レイカも、静かにアオイを見ていた。


 ミクは、アオイをじっと見た。


 数秒。


 それから、短く言った。


「分かりました」


 社長が椅子の上で姿勢を正す。


「では、私が特別に許可しよう」


「今、私が許可しました」


「社長は私だよ!?」


 ミクは無視した。


「条件付きで、シバチーの出演を許可します。正式な撮影日は後日調整。初回は短時間。必ずスタッフ立ち会い。いいですね」


「はい」


 アオイは深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 レイカも頭を下げる。


「ありがとうございます!」


 クロエも続いた。


「ありがとうございます。ちゃんと守らせます」


「そこは頼みます」


 ミクはクロエを見た。


「あなたが一番現実を見ていそうだから」


「巻き込まれています」


「でしょうね」


 レイカが小声で言う。


「クロエ主任、公式認定じゃん」


「黙って」


 社長はまだ少し不満そうだった。


「しかし、私の威厳が」


 ミクが振り返る。


「威厳は、結果で出してください」


「厳しい」


「社長でしょう」


「そうだけど」


 ミクはアオイに企画書を返した。


「シバチーを使うなら、夢を壊さないこと。そこだけは絶対です」


 アオイは受け取った。


「はい」


 その返事だけは、はっきりしていた。


   *


 社長室を出ると、廊下は少しだけ薄暗くなっていた。


 窓の外には、夕方のシャイニードリームランドが見える。


 時計塔。


 広場。


 遠くに、赤い帽子の黒柴が歩いていた。


 シバチーだった。


 アオイの足が止まる。


「あ」


 シバチーが、こちらに気づいた。


 小さく手を振る。


 アオイは企画書を胸に抱えたまま、早足で近づいた。


 クロエとレイカも後を追う。


「シバチー」


 シバチーは首を傾げた。


 アオイは企画書を見せる。


「許可、もらえたよ」


 シバチーは、もう一度首を傾げる。


「これから、怪異研究に協力してもらえることになったの」


 シバチーの動きが止まった。


 クロエが小さく言う。


「今、固まった」


 レイカも言う。


「理解したっぽい」


 アオイは少し嬉しそうに続ける。


「検証協力員シバチーです」


 シバチーは、一歩下がった。


 クロエが言った。


「逃げた」


「違うよ」


 アオイは即答した。


「協力姿勢の確認中」


 シバチーはもう一歩下がった。


 レイカが言う。


「だいぶ逃げ腰の姿勢じゃね?」


 アオイはにこっと笑った。


「よろしくね、シバチー」


 シバチーは無表情のまま、小さく両手を上げた。


 降参にも見える。


 挨拶にも見える。


 助けを求めているようにも見える。


 クロエはそれを見て、ため息をついた。


「始まる前から閉園の気配がする」


 レイカは笑った。


「でも、面白くなりそうじゃん」


 アオイは企画書を大事に抱えた。


 夕方の光の中で、シバチーの赤い帽子が少し揺れる。


 まだ何も撮っていない。


 まだ怪異にも会っていない。


 でも、シバチーはもう、巻き込まれていた。


 アオイは小さく言った。


「研究開始です」


 シバチーは、無言で空を見上げた。


 その背中は、少しだけ遠い目をしているように見えた。

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