検証協力員シバチー

第30話 検証協力員シバチー


 翌日の放課後。


 アオイの机の上には、昨日より少し整った企画書が置かれていた。


 ノートではなく、紙。


 白い紙に、丁寧な文字。


 妖怪けんきゅうじょ企画書。


 クロエはそれを見て、少しだけ目を細めた。


「清書したんだ」


「うん」


「何時までやってたの」


「そんなには」


「何時」


「……一時」


「寝な」


 レイカが横から覗き込む。


「でもすごいじゃん。ちゃんと企画書っぽい」


「ぽい、じゃ駄目」


 クロエが言った。


「社長に見せるなら、変なところを削る」


「変なところ」


 アオイは少し不安そうにする。


「まず、シバチーのかわいさを正しく記録する、は目的から外す」


「でも」


「外す」


「大事なのに」


「別紙資料にしな」


「別紙ならいいの?」


「よくないけど、今は譲歩してる」


 アオイは企画書の端に、小さく書いた。


 別紙資料。


 クロエはそれを見逃したが、レイカは見た。


「別紙、絶対作るじゃん」


「作るね」


「レイカ」


「言ってない言ってない」


 クロエは椅子に座り、ペンを持った。


「今日は安全ルールを詰める」


 アオイはすぐに頷いた。


「お願いします」


「まず一つ。撮影場所は許可された範囲だけ」


「うん」


「二つ。一般客の顔や声は勝手に入れない。映ったら編集で消す」


「うん」


「三つ。立ち入り禁止区域には絶対に入らない」


「うん」


「四つ。夜間撮影は大人の許可と同伴がない限り禁止」


「うん」


「五つ。怪しいものを見つけても一人で近づかない」


 アオイの返事が少し遅れた。


「……うん」


「今、遅かった」


「考えてた」


「考えなくていい。近づかない」


「観察距離は?」


「三メートル以上」


「怪異によっては遠いかも」


「怪異に合わせない」


 レイカが笑う。


「怪異ファーストじゃないんだ」


「人命ファースト」


 クロエはさらに書く。


「六つ。シバチーを盾にしない」


 アオイが顔を上げた。


「しないよ」


「ほんとに?」


「シバチーは守る対象だから」


「ならよし」


「でも、検証協力員だから、前には出てもらうかも」


「盾じゃん」


「前衛」


「言い方を変えても盾」


 アオイは少し考えた。


「じゃあ、シバチーの意思を尊重する」


 クロエは目を細めた。


「シバチー喋らないけど」


「ジェスチャーで確認する」


「逃げたら?」


「一時撤退」


「よし」


 レイカが感心したように言った。


「クロエ、シバチーの人権を守ってる」


「人じゃないけど、夢だから」


 クロエはさらっと言った。


 アオイの手が、少しだけ止まった。


「夢」


「何」


「ううん」


 アオイは小さく笑った。


「ちゃんと守る」


 クロエは何も言わなかった。


 そのかわり、ルールの下に大きく線を引いた。


「七つ。投稿前に必ず確認。できればパーク側にも見せる」


「社長に?」


「社長か、現場責任者」


「ミクさん?」


「たぶん、その方が現実的」


 レイカが小声で言った。


「実権ミクさんっぽいもんね」


「言わない」


「言ってない言ってない」


「今言った」


 アオイは企画書に丁寧に書き写していく。


 その字はいつもより少し速かった。


 でも、雑ではなかった。


 クロエはそれを見ていた。


 アオイは本気だ。


 シバチーに会いたいだけではない。


 グッズ代が欲しいだけでもない。


 怪異が本物かもしれない、という言葉に、アオイは確かに反応していた。


 怖がっていない。


 むしろ、会いたがっている。


 クロエは、その理由をなんとなく分かっていた。


 でも、今は口にしなかった。


「アオイ」


「何?」


「本当にやるなら、もう一つ約束して」


 アオイは顔を上げた。


「期待しすぎないこと」


 レイカも、少しだけ黙った。


 クロエは続ける。


「本物かもしれないって思って、違った時に傷つくなら、そこも分かった上でやりな」


 アオイは少し黙った。


 教室の外から、部活へ向かう生徒の声が聞こえる。


 アオイはペン先を見た。


「うん」


 小さく言った。


「分かってる」


 その声は、少しだけ静かだった。


「本物かどうかは、分からない。でも」


 アオイは企画書に視線を落とした。


「もし本当にいるなら、ちゃんと知りたい」


 クロエは何も言わなかった。


 レイカも、少しだけ黙った。


 アオイは続ける。


「怖いからじゃなくて。会えるかもしれないものを、最初からいないって決めたくないから」


 クロエは小さく息を吐いた。


「……分かった」


「いいの?」


「止めてもやるでしょ」


「たぶん」


「たぶんじゃない」


 レイカが笑った。


「クロエ、結局付き合うんだ」


「監視」


「言い方」


「安全管理」


「かっこいい」


「うるさい」


 アオイは企画書の中央に、少し大きめに書いた。


 検証協力員。


 その下に。


 シバチー。


 クロエは黙って見た。


 レイカも、少しだけ笑うのをやめた。


「シバチーには、ちゃんとお願いする」


 アオイは静かに言った。


「怖いことをさせたいわけじゃないから」


「怪異研究に連れていく時点で、ちょっと怖いけどね」


 クロエが言う。


「うん。でも」


 アオイはペン先を止めた。


「シバチーがいたら、怖い場所も、笑って帰れる気がするから」


 クロエは返事をしなかった。


 レイカも黙った。


 アオイは続ける。


「そういう場所にしたい。動画も」


「……動画を?」


「うん」


 アオイは企画書を見たまま言った。


「怖かった、で終わらせない。変だった、で笑える。最後は、帰ってこられる。そういうのがいい」


 クロエは、少しだけ目を伏せた。


 レイカが小さく言った。


「それ、いいじゃん」


「うん」


 アオイは顔を上げた。


「だから、シバチーに協力してほしい」


 その言い方は、いつもの推し活より少しだけ真面目だった。


 クロエは息を吐いた。


「じゃあ、なおさら許可がいる」


「うん」


「シバチーは公式マスコット。勝手に動画に出せない。制服よりまずい」


「制服より?」


「学校にバレたら面倒でしょ。パークに無断で出したらもっと面倒」


 アオイは真剣に頷いた。


「社長に、お願いする」


「普通に緊張するとこだよ」


「うん」


「アオイ、顔が全然緊張してない」


「シバチーのためなら、行ける気がする」


「その動力、ほんと強いね」


 レイカはスマホをしまった。


「じゃ、次は社長室突撃?」


「突撃はしない」


 クロエがすぐに言った。


「アポイントを取る」


「アポイント」


 アオイが少し緊張した顔になる。


「取れるかな」


「普通は先生か、パークの窓口を通す」


「ミクさんに聞く?」


「そっちの方が早いかも」


「でも、社長にお願いしたい」


 アオイは企画書を両手で持った。


「シバチーを使う話だから、ちゃんと一番上の人に言いたい」


「一番上が一番話通じるとは限らないけど」


「クロエ」


「事実」


 レイカが笑う。


「社長、絶対ノリいいって。宣伝になるし」


「そういう時ほど、変に威厳出してきそう」


 クロエが言った。


「想像つく」


「威厳?」


 アオイが首を傾げる。


「社長として重大な判断だ、とか言いそう」


「言いそう!」


 レイカが机を叩いた。


「無料宣伝なのに?」


「だからこそ、偉そうにしたがるタイプ」


 アオイは少し考えた。


「じゃあ、失礼のないようにしないと」


「アオイはそこ真面目だよね」


「シバチーのことだから」


「結局そこ」


 クロエは企画書を指で軽く叩いた。


「企画書、今日中に最終確認。私がルール確認。レイカは動画として見た時に変なところがないか見る」


「了解、クロエ主任」


「呼ばない」


「主任、明日の作戦名は?」


「作戦名はいらない」


 アオイが小さく手を上げた。


「社長直談判」


「そのまんま」


 レイカが笑う。


「でもいいじゃん。アオイらしい」


 アオイは企画書を胸に抱えた。


「うん」


 少しだけ緊張している。


 でも、それ以上に、目が前を向いていた。


 クロエはその顔を見て、もう一度だけため息をつく。


「ほんとに始まったね」


「始まったね」


 レイカが言う。


 アオイは、企画書を抱えたまま頷いた。


「うん」


 そして、静かに言った。


「ちゃんと、お願いしてくる」


 その声は小さかった。


 でも、迷ってはいなかった。


 放課後の教室に、三人の声が残る。


 まだ許可はない。


 撮影もしていない。


 怪異がいるかどうかも、分からない。


 それでも、企画書の最後にはもう、次の一行が書かれていた。


 シバチー使用許可申請。


 その下に、小さく括弧で付け足されている。


 検証協力員として。


 クロエはそれを見て、深く息を吐いた。


「……シバチー、逃げた方がいいかも」


 レイカが笑う。


「もう遅いっしょ」


 アオイは首を傾げた。


「逃げないよ」


「何で分かるの」


「シバチーは、優しいから」


 クロエは少し黙った。


 それから、小さく言った。


「そこにつけ込まない」


「つけ込まないよ」


 アオイは真面目に答えた。


「ちゃんと、大事に巻き込む」


「巻き込むのは確定なんだ」


「うん」


 アオイは企画書を閉じる。


「検証協力員だから」


 クロエは、もう何も言わなかった。

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