第二章 梅の文箱 届かなかった手紙

 六月に入ると、店の空気は一変した。湿気が全ての隙間に入り込み、木の棚は微かに膨らみ、引き出しが重くなった。古い紙の匂いが濃くなった。黴の匂いではなく、紙そのものの匂いだ。繊維が時間を含んで膨潤ぼうじゅんしていくような匂いで、何かが溶けながら同時に何かが固まっているような気がした。


 遠方に住む女性から電話があったのは、そういう朝だった。


「祖父の遺品を整理していたら、古い文箱が出てきたのです。中に手紙が入っていて。宛名が知らない人で、開けていいものか分からなくて……」


 声は細かった。

 岡山だと名乗った。


「送っていただけますか。見てから判断します」


 文箱は三日後に届いた。


 蓋に梅の蒔絵がある桐の文箱だった。縦二十センチほど。時代は大正から昭和初期と見た。蓋の裏側に、墨で薄く何かが書いてあった。掠れていて読めなかった。


 中に白い封筒が一通。封は開いていなかった。宛名は達筆で、「三田村節子様」と書かれていた。消印はなかった。出されなかったか、あるいは出す前に思いとどまった手紙だった。


 六兵衛がそっと文箱に触れた。


 皿の水が、少し揺れた。


「この文箱は長い間、何かを待っていました。そしてそれは届きませんでした。待つことを知っている道具です」


 杏子は六兵衛の皿を見た。水の揺れ方が、先月の茶碗のときとは違った。あのときは静まり返っていた。今は波紋が広がっている。


 怒っているのかもしれない、と杏子は思った。

 きっと待ち続けたことへの怒りだ。


 その判断を、杏子は心のどこかにそっと置いた。


 その夜、杏子は文箱と手紙を机の上に置き、民俗学者として向き合った。


 封筒の紙質を確認した。戦前の輸入紙に近い質感があった。墨の成分を分析するには機材が必要だったが、にじみ方と乾燥の具合から、昭和十年代初頭と推定できた。宛名の「三田村節子」という名前を、父の残した郷土史資料と照合した。父は京都の業者だったが、岡山の骨董商とのやりとりがあり、その関係で郷土史の資料が何冊かあった。


 調査には三日かかった。


 三田村節子という人物の記録が、昭和十一年の岡山市の名士録に一件だけあった。家族の欄に「節子(旧姓三田村)」と記載されていた。結婚後の名前は橘節子。死亡年は昭和十二年だった。


 節子が死んだ昭和十二年。

 杏子は手紙の書かれた時期を再考した。


 昭和十一年か十二年初頭。日中戦争が始まる直前。岡山で節子という女性が死んだ。その前後に、誰かが彼女に手紙を書いた。しかし出さなかった。あるいは出せなかった。


 出せなかった理由として、一つの可能性があった。


 その時代、。思想的に危険とみなされた人物との接触は、差出人を巻き込んだ。届けることで、書いた人間が危険になる可能性があった。


 もし節子がそういう状況にあったなら、手紙を出した祖父が特定されることで、祖父自身が危険にさらされる。届けないことが、手紙を書いた人間にとっての唯一の守り方だったかもしれない。


 杏子は岡山の女性に電話した。


「受取人の方はすでに亡くなっています。昭和十二年に。ただ、届けなかったことには理由があった可能性があります。届けることで、お祖父さまが巻き込まれる恐れがあったかもしれません」


 沈黙があった。長い沈黙だった。


「では祖父は……」


 声が少し変わった。


「守ろうとして、届けなかったのかもしれない」


 電話を切った後、杏子は文箱の前に戻った。沈黙は空虚ではなかった。届かなかった言葉も、届けなかった選択も、そこにある。重さとして、形として、この文箱の中に。


「六兵衛」


「はい」


「皿の水が揺れていたのは怒りでしたか」


 六兵衛は少し考えた。考えるとき、六兵衛は皿を傾けるような姿勢をとる。水面が斜めになるが、こぼれない。どういう原理なのだろう。


「怒りではありません。待っていた、ということの重さです。待ち続けるということは、道具にとって特別な状態です。使われることを目的として作られたものが、使われないまま時間を過ごす。その重さが、揺れとして出たのかもしれません。私には怒りと悲しみの区別が


 杏子は黙った。


 六兵衛が「まだ」と言ったことを、杏子は後になってから気づいた。


 まだ分からないということは、いつかは分かるかもしれないということだ。あるいは、分かろうとしているということかもしれない。怒りと悲しみの区別がつかないというのは、案外人間も同じだ、と杏子は思った。身体の奥で何かが動いているが、それが何かを言葉にしようとすると、二つの言葉がどちらも等しく当てはまってしまう場合がある。


 届けなかった手紙は、岡山に返した。封を開けるかどうかは、依頼人に任せた。


「それでよかったですか」


 六兵衛が珍しく聞いてきた。


「よかったと思います。封の中身は、私が知るべきことではなかった。来歴が分かれば、それで十分でした」


「来歴とは」


「道具が経てきた時間の文脈です。何のためにそこにあったか、なぜそこにあり続けたか。物には物の理由があります。私の仕事はそれを記述することです」


「記述することで、何かが変わりますか」


 杏子は少し考えた。


「変わらないかもしれません。でも記述することで、その時間が存在したことになります。誰かが知っていることと、誰も知らないことは、少し違います。言葉にならなかったものが消えるわけではない。でも言葉になったとき、はじめて誰かと共有できる。沈黙は空白ではなく、選択の重さです。しかし選択の重さには、やはり誰かが証人になった方がいい」


 六兵衛は頷いた。

 皿の水が静まっていた。


 翌日、篠塚文江という老女が店に来た。月に一度来る常連だと後で分かった。七十代で、背が低く、目が鋭かった。何も買わずに棚を丁寧に見て回り、帰り際に六兵衛に声をかけた。


「元気そうじゃないか」


「はい、文江さんも」


 六兵衛が人の名前を呼ぶのを聞いたのは初めてだった。


 女性が出ていった後、杏子は聞いた。


「あの方は?」


「先代の知り合いです。六兵衛わたしのことを知っている数少ない人です」


 杏子は窓の外を見た。文江という老女は、路地の先でゆっくり歩いていた。梅雨の光の中で、その後ろ姿が少し滲んで見えた。


 指先を見た。

 乾いていた。


 その夜、杏子は父のことを考えた。父も何か届けなかった言葉があったのだろうか。六兵衛の存在を娘に話さなかった。二年間、杏子は東京にいた。その間、父は何度か電話をかけてきた。短い電話だった。「元気か」「うん」「そうか」。それだけで終わるような。どちらも、言いたいことを言わなかった。言わないことが積み重なって、最後の電話も同じだった。


 届かなかった言葉が、文箱の中にある。

 届かなかった言葉が、電話の沈黙の中にもある。


 どちらも届かなかったが、消えてはいない。


 杏子はその夜、窓を開けたまま眠った。

 雨の匂いがした。


 梅雨にしとふる雨は傘をさすほどではないが、濡れるわけにもいかない。

 その曖昧さが、この季節の本質だと杏子は思った。

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【不思議短編小説】水無月堂おぼろ草紙 ~河童は古道具の夢を見る~ 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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