クトゥヴァルニーリェ・聖《セント》デュラハン増粘場
和田罪人(わだ・つみん)
第1話
うちの増粘場は夜勤しかないから、人間の僕はいつだって身体がきついしフラフラしてるし、休みの日は寝るだけだ。専門技術で生計を立てられるのはありがたく、高級取りと言われる立場で、実際には上手い話などないという真理だけが漂う職場。
「今日はどんなお客様がいらっしゃるのかなあ……」
お客様といっても実態は囚人か罪人というのが正しいだろう。魔法陣も砂っぽい地面に直描きで、大理石とか煉瓦の床にしてあげれば良いのになあと、一雇われ人としては常々思う。
煌々と輝き始めた魔法陣を前に、担当者として居住まいを正した。手にさげた丸鋸は鈍色と錆色と地金の混じる、老いた三毛猫みたいに寂しい色をしているけれど、鋸の刃は白銀をツヤッとさせて切れ味抜群だ。
月が傾き始めた明け方寸前の真っ暗な空に、魔法陣から高々と噴き上がった光が突き立った。
「お。珍しい。女の子の重騎士か。甲冑の色と形はマヌューラの近衛騎士団……って、あそこはお姫様の護衛役だから全員女の子だった」
と、いうことは……。僕は何も知らない騎士の輪郭が落ち着くまで、夜空と山の境目を眺めた。照れくさいというか、可哀想というか、申し訳ないというか。マヌューラの近衛騎士団をデュラハンになるまで増粘するには、最後に特殊な儀式が必要だ。初めて担当する騎士団だけど、僕も専門家として理解はしている。知識も間違いはない。
「……ああ、あなたが私の首を斬るのね」
「心苦しい限りですが、その通りです」
話の早い騎士で良かった。騎士の亡霊は性格的に厄介で、もともと聖なる側の武人のくせに死を受け入れられなかった連中だ。亡霊という邪の側に属した後で、プライドを捨てられずに自棄を起こして他人を呪い殺して回ることが多い。
罪のない人も霊力のこもった亡霊騎士に斬られることで、事象を反転されてしまい、大罪を犯してから死ぬ運命に塗り替えられて、強制的に破滅の生涯をたどらされてしまう。このため僕みたいに亡霊騎士の首を斬ってデュラハン化させる技能を持った人間は、エクソシストの中でも大事に守られ高級を取る。
「お聞きしたいのですが──」
「なんなりと」
彼女は相当に剣を使う。漆黒の重い鎧と長剣を与えられた騎士ということは、王宮の中でも姫の塔を飾る守衛を引き受けてきた清廉な武闘派だ。
まだ二十歳そこそこに見える。だからこそ、鎧に見合うとされた事実が重くなる。彼女という騎士に比べて、月日の側が遅すぎたのだ。
「あなたの首を斬り落としたときは、行き場はあるの?」
「ええ、あります」
「素敵なことですね。主はあまねく生命を想っていらっしゃる。何となって、いずこへ」
「無名の死骸として地獄へでしょうね」
騎士は笑った。長い黒髪が瀟洒に揺れる。長剣を引き抜いたものだから、僕も丸鋸に霊力を流しこむ。山々が爆ぜるような音が響いた。僕と彼女にしか聞こえていない音だ。
「ミレィラといいます。無名を自認するというあなたには、礼をもって名を問いません」
「ミレィラさん。よろしくお願いします。残念ですが、『一握りのなかの誰もが通る道』なんです」
跳んでくれれば綺麗だろう。魔法陣から放たれる光芒から、高々と飛び上がって襲いくる騎士というのは、美しいし鮮烈な質量となって目に飛び込んでくる。
華奢な身体を隠したはずの重騎士は、軋むような音を立てて正面から突っ込んできた。
「あなたは人なの? まだ生きてるの?」
丸鋸で剣を受けるのは、悲しいほどに単調な防戦だ。刃渡りも間合いも異なるけれど、両手で抱えて胸の前に構える以上、刃を受けることは難しくない。
刃が噛み合い、橙の火花が噴水の軌跡で散らばった。
「さあ。どちらでも僕は驚きませんね。ミレィラさんは、死んだ自覚をお持ちなんですか」
ときには死を自覚していない騎士もいる。
「ええ、ございます。実感はありませんが、死んだという認識をしています」
「どこで、どんなふうに」
鍛え抜かれた剣線を受けながら、僕は仕掛けを探していた。騎士の動きを止める罠の場所まで引きつけてから、首を斬る。技量で上回る必要すらない。足を滑らせて殺されないよう気をつけるだけ。世界中の工場と同じ安全基準だ。
「病身で伏せていたのは覚えています」
「ご病気で。でしたら騎士として果てることができなかったのは、さぞ……」
「押し入り私を縛り上げ、全てを堪能してから首に手をかけた暴漢のことも覚えております。心と身体で」
ずいぶん、迂闊な相槌を打ったかもしれない。
連続攻撃の区切りのたびに、押し負けるまま飛び退る。押し負けたフリではいけない。押し負けて倒されても良くない。押し負けたことを身体で認めて、こだわりが剣技に無いことを忘れずにいる。
始めたばかりのころは、この本能的な負けず嫌いを和らげるのに苦労する。腕や足が負けないように抵抗し、転ばされたり転んだりと、冷や汗をかく場面が多い。考えかたを変えられなければ早めに死ぬので、一度身につければ成功率の高い技能だ。
「下手人はどうしましたか」
「どうもしません。私の眠る男子禁制の棟ですることをしたのですから、私が死んで目覚めたときには幾つかの部分に分かれておりました」
「なるほど」
「それがなにか」
デュラハンになったら気持ち良く殺しちゃってくださいなんて、月並みな営業トークが宙に浮く。僕とミレィラは噛み合わない星のもとに生まれたようだ。
何度目か、刃が深く噛み合って、僕は押し負けることができなくなった。ミレィラはすでに僕の意図と誘いを見破っている。
丸鋸の欠点は、剣を受け止めた状態で均衡を作られると詰むことだ。現実の剣なら切断できるのだろうけど、ミレィラの握る長剣は物理的な干渉力を持った霊体だから、火花は散っても刀身に傷をつけることができない。
なにより剣技・戦闘については付け焼き刃の僕だから、足を踏ん張ってしまうとフットワークを取り戻すのに時間がかかる。互いの刃の重心と重心が噛み合う霧雨の一滴のようなほんの一点──
「達人だなあ……!」
舌を巻く僕にミレィラが目を細めて笑った。
「はい。達人なんです。剣は本当にがんばってて」
素直に嬉しそうなミレィラが、年相応の──僕より二歳若いだけの──女の子に見えてしまった。胸の奥で何かが疼き始める。
「じゃあっ、デュラハンになったら楽しくたくさん斬りまくりましょうっ!」
ドキドキする。悲嘆も憎悪も見せない亡霊騎士は珍しい。
死を呑み込めないほどの想いがあるのに、ミレィラは何も怨んでいないかのようだった。生者への嫉妬も、肉体への未練も、まるで感じられない。
「斬りまくりですか?」
「はいっ! 魔物の中でも悪いやつとか、全自動呪殺型の悪霊だとか、いっぱい斬っていきましょうっ!」
珍しく営業トークではなかった。
開き直ったような僕がおかしかったのか、ミレィラは笑い始めた。火花に下から照らされていて、夏休み色で幼い笑顔が弾けて揺れる。
飛び退って剣を納めてくれた。
ミレィラは揺れても乱れることのない黒髪を撫でている。僕は彼女よりも霊に詳しかったから、その意味のない所作が幼くも悲しくも感じた。腕がちぎれることなんて、霊には関係のないことなのに。
「じゃ、お願い。斬りまくり……ふふっ」
後ろ手に指を組んだミレィラは、力いっぱい溜め息をついて細いあごを持ち上げた。
「はぁっ! 私そっか、本当に死んだんだあ」
死後出会う悪い大人の一人目らしく、僕は余韻を待たずに丸鋸を押し込んだ。
血飛沫と火花に違いはないと思う。プラスチックが触れるわけで、ロマンチックもいずれ手で触れるようになるはずだ。喜ぶ人もきっといるだろう。
粘る肉が刃を挟んでねっとりした感じが少しだけする。慣れるまでは分からない。気づいたときは指の骨が吐きそうになり、慣れるとなんだか甘い時間にも思う。脊髄に到達した刃はミレィラの中の軽いクランチな明るさを僕に伝えた。首の骨を切断すると丸鋸は回転するし揺れてるから、刃の上で丸い頭が軽快なノリでビートに跳ねる。見ると僕はだいたい笑う。首斬られてるのにヘドバン一歩手前なんだもん。
ちぎり取るように残りの肉を弾き斬ると、鎧がゆったり背後へ倒れていった。ミレィラは頬の柔らかそうな可愛い子だったし、先に落ちた頭が鎧の下敷きにならなくて良かったなと思った。頸動脈に真っ先に食い込むよう、真横から綺麗に刃を入れられたから、大丈夫なことも知っていた。
分かっていても心が勝手に「大丈夫かな」「良かったな」と思うのだから、我ながらまだ生きている。呵責も失望も全てを無視して、心は勝手に生きてしまう。
「迷うなあ……。これ、苦手なんだよな」
まつ毛に縁取られた真っ黒な目は、光沢が消えてまるで別人だ。愛らしい鼻はツンとして、最期の微笑が名乗る唇なんて造形美だけで飯を食える奴がいそうだ。
亡霊騎士は所属していた騎士団に由来する、解呪の作法を全て済ませて消滅し、デュラハンになる。
ミレィラのいたマヌューラの騎士は、何度思い返しても僕の苦手な作法を必要とする。どれくらい苦手かといえば、ちょっと死んだほうがマシな程度だ。
ミレィラの首と目線を合わせて腹ばいになる。彼女が頬に土をつけているものだから、僕も土に頬を擦る。唇の隙間が薄く開いてくれている。済ませるのは簡単そうだ。
「悪く思わないでくださいね。まあ……デュラハン後に一発目で僕を殺すんでも、良いですけどねぇ」
そっと唇を重ねる。鉄の味がする口中に舌を優しく滑りこませて、一本一本前歯の内側に舌を這わせる。冷や汗が広がり、止まらなくなる。
このとき、首に手を触れてはならなかった。マヌューラの女騎士が求めるのは精神の全てである口づけであり、愛撫ではない。
そして、首を動かしてはならない。揺するとは欲であり、欲ある者の口づけは、マヌューラの騎士に届かない。
ミレィラの頭が動かないよう、細心の注意を払って舌と唇を優しく動かす。もし頭が転がったり傾いたりすれば、また一からやり直し。彼女が消えるまで前歯の裏を正しい順番で何度も舐める。ふわふわしっとりの唇も、こうなると厄介だ。細いあごも小さい頭もリスキーだ。
口づけの時間が長くなるほど、必要な時間の長さを知るほど、やり直しが怖くなる。すでに首が攣りそうで、舌の根も痺れて感覚がない。ミレィラは僕の気も知らずに虚ろな目で見つめてくる。今起きてることも最初から目に浮かんでいたわけで、楽しさのわりに気の重くなる仕事だった。
ミレィラは瞬きもしない。目をつむるよりも目をつむっているし、見つめ合うより僕と見つめ合っている。彼女の目に光が宿ったかと思ったら、薄れ始めた輪郭の奥に山と空の境が透けただけだった。
職業者としての一方的な決めつけだけど、僕は今ミレィラのためにセックスより清らかな恥をかいている。残り時間はあとわずかだ。
霊体の馬を駆る音がする。我が子が引きこもりになるってこういう感じだ。すぐに目を輝かせて悪人成敗道中に繰り出すものと思っていたのに。
「ふふふっ、なにもしなくて良いのってこんなに楽しいの? 槍を持って立っていた時とまるで違う。雲を見ているだけで気持ちがいい。あなたもやってみたら?」
ミレィラも触覚的には僕の口づけを記憶しているはずなのだけど、そんな様子は見えなかった。
栗毛の馬上に真っ黒な鎧と長剣の鞘。小脇に抱えられた生首は、親に抱かれた赤ん坊みたいに満面の笑み。
「僕も……? それは、亡霊騎士からデュラハンってことですか。何もしない時間を過ごすってことですか」
「騎士になるならそのほうが良い。あなたがそこで首を斬られるところ見てみたい」
「嫌ですよ! なんでデュラハンになるために騎士になるんですか。非業の死が二回ですよ? 騎士のときと亡霊騎士のとき。絶対嫌だ」
ミレィラが唇を引いて自信満々に笑う。
「私の首を斬るとき、笑ってたくせに。あなたの死ぐらい祈るでしょう。苦しめば良いと思うでしょう」
口ではそう言っても、僕はまだ呪われていない。デュラハンは苦しみを味わわせて呪殺するぐらい簡単だ。亡霊騎士の時点で凄まじい呪いを持った霊体なのだから、僕らに斬られて呪いは強くなる。
呪いなど忘れたように目を輝かせ、ミレィラは頭を首の上に落ち着けた。
「ねぇ聞いて? デュラハンってどうして首を抱えるんだろうと思っていたの。生きてたころと同じ場所にあるほうが戦いやすいし、安定しそうでしょう? 私わかったの」
「どうしてですか」
「ねぇ、もっとちゃんと聞いてよ。馬に乗るでしょ? 馬の身体が弾むと、すごく跳ねるの。首の付け根で受け止めようと思えば、鎧の襟飾りに着地させれば良い。でも、今度は酔うの」
似たような話は何度も、何百人から聞いた気がする。ミレィラから聞くのは初めてだから、彼女の話しかたを楽しむことにする。少女のようで観察は的確で、気づくだけでも喜びに満ちている。この調子で剣を振っていたなら、確かに強くなるだろう。
「ミレィラさんに、他のデュラハンがやってた遊び教えますよ。頭を真上に投げて、手で受け止めるんです。で、投げるときに少しずつ回転を加えて、地面に落とさないようにキャッチするんです」
デュラハンたちのコミュニティでは、できるだけ遠くまで頭部を放り投げ、地面に落とさず受け止められた距離を競う遊びがある。
今のうちに身につけておけば、ミレィラは良いプレイヤーになるに違いない。
「え……? 冒涜じゃないの? 頭を投げるの……」
「気が向いたらやってみてください。中毒性があるみたいです。脳がグッとなって、目がフワッと浮いて、鼻の奥がシュルルルッてなるそうです。頭を投げることがすごく気持ちいいらしいです」
僕は気持ちが分かる。ミレィラは酒を飲んだことがないようだ。デュラハンになるような、情熱を持ち、夢を絶たれて呪いに変わった連中は、まさに頭を投げるのが好きなはずだった。
僕は頭を投げた時の感覚を話した男と、今でもたまに連絡を取っている。ミレィラのことを聞かせたら冷やかされるだろう。
彼は兜をかぶった頭を逆さまにして、机の上でコマのように回すのが好きな男だ。顔が判然としないほどの速度で頭を回しながら名人級の口笛を吹く。音色が近くなったり遠くなったり揺れるのだけど、横でしばらく聞いていると無性に笑える瞬間がくる。霊も命もバカにしやがって……という。
「うん……。私の気が向いたらね」
「うん。おすすめだけど、おすすめしません。始めたやつは頭が悪くなるんだ」
はにかんだミレィラは、また馬を蹴って走らせ始める。漆黒の女デュラハンは、どんな日々と出会っていくのだろう。好奇心が生きているなら、彼女はきっと大丈夫なはずだ。
クトゥヴァルニーリェ・聖《セント》デュラハン増粘場 和田罪人(わだ・つみん) @yarussuyo
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