第6話 弟 神崎隼人
遺品整理がこれほど大変だとは思わなかった。
この家は母さんが生まれた家で、田んぼのど真ん中にあるもんだから「田んぼの古城」なんて呼ばれていたらしい。
その家の二部屋をクソジジイは占領していた。
一部屋は元々自分の部屋だとか言っていた。
本当かどうかはわからない。
もう一部屋は、おばあちゃんとの寝室。
おばあちゃんは自分の部屋すら与えられていなかったと思うと、ますますクソジジイが憎くて仕方ない。
たった二部屋、されど大きな二部屋を、四人で片付けなければならない。
「いやぁ、隼人が居てくれて助かった。こんだけ本があったら、父さんだけじゃ腰やっちゃうところだったよ」
クソジジイの部屋は玄関のすぐ隣だった。
『下座の部屋にしやがって!』と言っていたらしいけど、今となってはありがたい。家の外にすぐゴミを出せるから。
そもそも席ならともかく、部屋にまで下座・上座はあるのかな……。
家の外にはもう僕ぐらいの高さになった本や雑誌の山がたくさん出来ていた。
あの日クソジジイの息の根を止めた本達。
みんな埃っぽい湿気をたっぷり吸って、重くなっている。
なかにはワカメみたいになっている雑誌もあった。
母さんと姉貴が掃除機で埃を吸ったり払ったりしてくれているけど、それでも僕の鼻はムズムズする。父さんも時々くしゃみをしていた。
そして父さんは、本や雑誌を一ページも逃さずめくっている。
最初は興味がある雑誌でもあったのかなと、そう思っていた。
でもそうじゃない。
父さんは探しているんだ。何かを。
本や雑誌を運びながら、その間に何かがないかを必死に探している。
さっき僕に感謝を言ってくれたのは本音だと思うけど、きっとそれよりページをめくる事が目的なんだろう。
真夜中にコソコソ探しているぐらいなんだから、よっぽど大事なものなんだという事は想像がつくけど、それが具体的に何なのかは十四年生きた僕の脳みそをフル稼働しても見当がつかない。
もしかしたら皆、自分が探し物をしているのはわかっているけど、他の家族も探し物をしているとは思っていないのかもしれない。
そしてそれに気付いているのは僕だけなのかと思うと、寒くもないのに肩が震える。嫌な考えを頭から追い出して雑誌を移動しようとすると、父さんが慌てた様子で声をかけてきた。
「待った、隼人、それはまだ…………そこに置いておきなさい。向こうで、お母さんと茜を手伝ってやってくれないか?」
「……うん」
父さんは探す手を止めない。
『自動車・バイクの不具合をズバリと解決!』と大きく書かれた雑誌のページをめくっている。車だって一度も買い替えた事がないし、メンテナンスだってほとんどやらないのに。
一体何を探しているんだろう……。
探している物は、何を意味するんだろう……。
だって普段の父さんなら、すぐにビニール紐でキツく縛って「次の古紙回収はいつだったかな」なんて言っているんだ。
父さんだって、クソジジイにひどい事を言われたり殴られたりしてきたんだ。
『思い出だからとっておこう』なんて絶対言ったりしない。
「ん? どうした?」
「……ううん。なんでもない。姉貴達の所に行く前に、顔洗ってくる」
「かゆいか?」
「うん。ムズムズする」
「そうか。そこ、外の蛇口を使いなさい。あとは父さんがやっておくから」
優しい言葉で言っているけど、一人でゆっくり探させてくれって意味なんだろう。もしかしたら父さんが探しているものは、僕に見られたら恥ずかしいものなのかもしれない。それこそ、借用書とかそういう類いのもの。
見られるのが恥ずかしいからコソコソ探しているだけで、実際は姉貴や僕に関係のない、この家の中で関係があるのは父さんと母さんだけのなんて事はないものなのかもしれない。
外の蛇口を使う頻度もだいぶ少なくなった。
昔はおばあちゃんが育てていた花達の水やりでほぼ毎日使っていたらしいけど、今じゃ使う理由すらない。なんなら一年に一度も使っていない。
兄妹がいると夏にビニールプールを広げて、おやつの時間まで水鉄砲片手に戦争ごっこや魔法少女ごっこをやるんだって聞いた事がある。
いつ、どのタイミングで
だからなのか、僕は、外の蛇口があまり好きではない。
『普通』の家と『僕の家』があまりにも違うという事実を見せつけられる象徴の様で。母さんは花を植えて世話をするタイプでもないし、小さなジャングルのようになっている庭には申し訳ないと思いながらも、誰も手入れをしていない。
蛇口をひねり、マスクをポケットへ入れた。
まだまだ冷たい水を手にためて、顔にかける。
少しでもアレルゲンである埃が取れる様に、少しだけ力を入れてゴシゴシ顔をこする。手で顔をなで回して水気を取って、その手をズボンで拭く。
あまり褒められた行動じゃないけど、タオルを持ってくるのも面倒くさいし、どうせこのタバコの匂いが染み付いた服は洗濯に出すからいいやと思った。
「はーやーとー! 手空いてる!? 手伝ってー!」
姉貴の声がして部屋へ行けば、母さんと姉貴で倒れた棚を持ち上げようとしていた。埃も湿気もたっぷり吸ってる棚はだいぶ重いだろうに、二人で頑張ろうとしていたらしい。
「どこに移動させるの?」
「移動はまた後で。とりあえず、元あった場所に戻そうかって話しになったの」
元あった場所。
どこだったっけ……。
そうか、この部屋の入り口から真正面。サイドテーブルの横だ。
その机の横のソファでよくタバコを吸っていた。
この部屋の何もかもに匂いが染み付いて取れないぐらいには吸っていて、姉貴も僕もよく喘息にならなかったと思うぐらい濃い臭いが今でもする。
もうこの部屋自体がタバコみたいだった。
嫌でもこの部屋でタバコを吸っていたクソジジイが浮かぶ。
サイドテーブル、一人がけソファ、棚……。
…………サイドテーブル……?
僕はゆっくりと、それを見る。
ない。アレが…………ない。
父さんと母さんが真夜中に何かを探した音は、今でも記録を更新し続けている。だからきっとまるっきりあの日のままというわけではないだろうけど……。それでも、無いわけがない。だってこの部屋の物は今日初めて整理されていて、何一つ捨てられていないんだから。
僕はぐるっと部屋を見回した。
あるはずなのに。
この部屋にしかないアレが……。
ない。
父さんも母さんも必要ないし、姉貴や僕は当然必要ない。
この家ではクソジジイしかそれを必要としないアレが……。
足下に転がってないかと目をやってみても、ない。
まさか……探しているものって…………。
頭のてっぺんから血が重力に沿って垂れ下がるような、ざらっとした寒気がきた。僕は、僕たちは、とんでもない事をしているんじゃないか。
この遺品整理は、本当に遺品整理なのだろうか……。
「え……っと、あ、あそこにやればいい?」
「そうそう」
「…………わかった」
いち、にの、さん! と姉貴のかけ声で棚を起こした。
クソジジイが頭をぶつけたこの棚はひどい有様だった。
ガラス戸は粉々に割れていて、なんとか棚にしがみついて割れずにいたガラスには乾燥して真っ黒になった血がこびりついていた。
クソジジイのだ。
おばあちゃんの写真立ては下敷きになっていたのかフレームがへこんでガラスが割れている。クソジジイが働いていた時の何かの記念だか、賞を取ったかでもらったであろう分厚くて透明な時計が転がっている。
最後の最後まで、いや死んだ後もと言うべきなのかもしれないけど、よけいな物ばっかりあると思った。
「いたっ!」
足裏に突然、チクリと痛みが走った。
壁に手をついて、靴下を脱いでみるとじわじわと血があふれている。その赤に染まらない透明な物、ガラスが犯人だった。
「隼人?」
「わ! 血出てる! 救急箱持ってくるから、もう隼人は部屋入るの禁止だよ!」
パタパタと姉貴は駆けていった。
母さんは僕の足を見て、血の色を頼りに刺さったガラスの数を見てくれていた。どうやらこのガラス片一つだけだったらしく「茜が戻ってきたら取るから、もう少し辛抱してね」と優しく声をかけてくれた。
「大げさだよ……僕一人でも出来るよ」
「念のためよ。ねぇお父さん、ガラスが飛び散ってるから、今日はこのガラスを片付けて終わりにしても良いんじゃないかしら。初日ですし……」
玄関の引き戸の向こう、母さんに声をかけられた父さんがカエルみたいに跳ねたのが、すりガラス越しに見えた。
きっと声をかけられるだなんて思ってなかったんだろう。
それか、探し物に集中しすぎたか。
「そ、そうだな……って隼人、その足どうしたんだ」
「部屋のガラスが刺さっちゃったんですよ。茜が救急箱持ってきてくれてます」
「そうか……そうだな、まずはガラスを片付けよう。怪我しちゃ整理どころじゃない。よし、掃除機と箒で父さんがサッとやっちゃおうか」
きっと、よその家が見たら「穏やかな家」に見えるんだろう。
こんな時でも母さんは部屋の中を見回していて、父さんもガタゴト大きな音を立てながら掃除機を引っ張ってきて部屋をキョロキョロ、姉貴は救急箱を抱えて僕の足元で母さんと処置をしようとする手が度々止まっていた。
僕だけだ。
片目だけなのに、目線が別の方向に向いているのは。
僕だけだった。
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