第9話:定時退社と、ブラック上司の失脚
あの合同演習から数日後、王宮の最奥にある謁見の間には、重苦しい沈黙が立ち込めていた。
玉座に座るのは、グランベルク王国の絶対たる統治者、レオンハルト・ヴァン・グランベルク国王。六十五歳。その鋭い眼光の先には、床に額を擦り付けんばかりに平伏している騎士団長パーシバルの姿があった。
「パーシバル。言い訳はもうよい。我が国の最高戦力であるべき騎士団が、演習で勝手に未開拓エリアへ進軍し、あまつさえ上位魔獣を前にして団長自らが腰を抜かして逃げ惑ったという報告は、すでに上がっている」
国王の低く冷徹な声が響く。
謁見の間の中央には、冒険者ギルドが提出した最新の映像魔導具が設置されていた。そこには、炎を前にして泣き叫ぶパーシバルの醜態と、十七時の鐘が鳴った瞬間に「本日の業務は終了です」と言い残して鮮やかに撤退したナターシャたちの姿が、鮮明に映し出されていた。
「陛下! あれはギルドの小娘どもが私を陥れるための罠であります! 騎士団の栄誉ある戦いを、定時だの残業代だのという下俗な理屈で放棄するなど、断じて許されるべきではありません!」
パーシバルは必死に声を張り上げたが、国王の隣に控えていた高級官僚や、ギルド長のエイドリアンは冷ややかな目を向けるだけだった。
エイドリアンが一歩前に出て、静かに書類を広げた。
「パーシバル殿。我が救命救急部門は、王宮条約に基づき、現場の最高医療権限を行使したまでです。映像を見れば一目瞭然ですが、あなたが出した『戦闘継続』の命令は、肉体的・精神的限界を迎えた騎士たちへの事実上の死刑宣告でした。それを我が部門の救命士ナターシャと、前衛のセドリックが防いだのです。これ以上の労働は人道に反すると判断しての、正当な業務終了です」
「お、お前たちギルド風情が偉そうに……!」
「黙れ、パーシバル」
国王レオンハルトの一喝が、謁見の間を震わせた。パーシバルはびくりと身体をすくませる。
「余が激怒しているのは、お前が無様に逃げたことだけではない。お前が連日、部下の騎士たちに無給での深夜労働を強制し、組織の戦力を内側から削り削いでいたことだ。セドリック副団長から提出された『勤務実態報告書』を読んだぞ。あれほど優秀な男が、過労死寸前まで追い詰められていたとは何事か。根性という言葉は、己の無能を隠すための免罪符ではない!」
国王は玉座の肘掛けを強く叩いた。
「パーシバル・グレンヴィル。お前を騎士団長から解任する。これまでの不当労働、および軍律違反の疑いで、即座に王宮の監査部門による取り調べを受けよ。それから大聖堂の司祭どもも同様だ。正聖女フェリシアを二十四時間連続祈祷で酷使し、倒れ込ませた件、すでに監査のメスが入っている。神の威光を傘に着たやりがい搾取など、このグランベルク王国には不要だ!」
「は、陛下ぁぁぁ!」
パーシバルは近衛兵たちに両脇を抱えられ、引きずられるようにして謁見の間から連行されていった。その背中を見送りながら、エイドリアンはフッと口元を緩めた。
同じ頃、冒険者ギルドの救命救急部門のオフィスでは、ナターシャがペトラと一緒にハーブティーを楽しんでいた。
「あー、今日も平和ですね。パーシバル元団長が失脚して、騎士団の体制もガラリと変わるみたいですし、これで理不尽な緊急呼び出しも減りそうです」
「そうね、ナターシャ。王宮からの監査が入ったおかげで、大聖堂の労働環境も見直されるらしいわよ。倒れていたフェリシアちゃんも、今は大聖堂の療養所でしっかり有給休暇をもらって静養中だって」
「それは良かったです! フェリシアさんには、本当にちゃんと休んでほしかったですから」
ナターシャが胸をなでおろしていると、オフィスの扉が開き、私服姿のセドリックが入ってきた。その手には、王宮の承認印が押された「騎士団辞職およびギルド転職許可書」が握られている。
「ナターシャ殿、エイドリアン殿から連絡があった。私のギルドへの移籍が、国王陛下より正式に認められた!」
セドリックの顔は、かつてないほど晴れやかだった。目の下のクマは消え失せ、本来の健康的な若々しさが満ち溢れている。
「おめでとうございます、セドリックさん! これで名実ともに、あなたは我が救命部門の『前衛チーフ』ですね!」
ナターシャは立ち上がり、満面の笑みで彼を迎えた。
「ああ、感謝する。これからは、滅私奉公ではなく、自分自身と仲間の命を大切にしながら、本当の意味で人々を救うためにこの剣を振るうつもりだ」
セドリックは力強く頷いた。その隣で、ペトラが早速新しい契約書を差し出す。
「はい、セドリックチーフ。これがあなたの新しい労働契約書よ。週休二日、残業代全額支給。明日からの初出勤、期待しているわね」
「了解した。定時内に完璧に仕事をこなしてみせよう」
セドリックが爽やかに微笑む。悪徳な上司は去り、理不尽なブラック労働の鎖は完全に断ち切られた。ナターシャたちの勝ち取った「正当な権利」が、王国の古い体質を少しずつ、しかし確実に変え始めていた。
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