第8話:合同演習、そしてブラックの崩壊


セドリックが騎士団へ退職願を提出してから数日後。王宮からの突然の要請により、騎士団と冒険者ギルド救命部門による、忘却の黄昏回廊での合同演習が実施されることになった。


表向きは共同戦線の構築だが、実態は違った。度重なる失態で立場を失いかけた騎士団長パーシバルが、ギルドの鼻を明かし、セドリックの引き止めを画策するために仕組んだものだった。


「ふん、ギルドの軟弱者どもめ。現場に法律だの残業代だのを持ち込むなど片腹痛いわ! 今日は本物の騎士の根性と組織力を見せてやる!」


ダンジョン地下三階の大広間で、パーシバルは相変わらず傷一つない豪華な鎧を揺らし、数十名の騎士を前に息巻いていた。騎士たちは連日の無給居残り労働で泥のように疲弊していたが、その目は恐怖で支配されている。


その騎士団の列から少し離れた場所に、ギルドの救命チームが控えていた。

軽量の特製魔導衣をまとい、救急カバンを点検するナターシャ。そして、その隣には、すでに胸ポケットにギルドへの転職届の写しを忍ばせた副団長セドリックの姿があった。


「セドリックさん、準備はいいですか? 今日は合同演習という名のただの付き合いですから、適当に安全第一でいきましょうね」


ナターシャが小声で語りかけると、セドリックは苦笑いを浮かべた。


「ああ、分かっている。パーシバル団長は手柄を焦っている。おそらく、想定以上の無理な進軍を試みるはずだ」


セドリックの予想は最悪の形で的中した。


パーシバルは「演習の成果を見せる」と称し、本来の安全区域を大きく越えて、ダンジョンの未開拓エリアへと騎士団を突き動かした。疲労困憊の騎士たちが罠の解除を誤り、最悪の警報が鳴り響く。


部屋の天井が崩落し、中から現れたのは、通常の魔物を遥かに凌駕する巨体を持った上位魔獣「ヘルハウンド・ロード」だった。三つの首から地獄の炎を吹き出すその怪物の乱入に、戦場は一瞬でパニックに陥った。


「な、なんだあの怪物は! 演習の計画にはなかったぞ!」


パーシバルは真っ先に腰を抜かし、豪華な鎧をガタガタと震わせた。


「盾を持て! 防壁を築け!」


セドリックが叫ぶが、連日の過労で判断力の鈍った騎士たちの対応は遅れた。魔獣の吐き出した猛烈な炎が前衛を直撃し、数名の騎士が悲鳴を上げて吹き飛ばされる。


「助けてくれ! 誰か、私を守れ!」


後方へ無様に逃げ惑いながら、涙目で叫ぶパーシバル。

その大混乱の最中、ナターシャは極めて冷静にポケットから懐中時計を取り出した。カチ、カチと時を刻む針を見る。


現在時刻、十六時五十五分。


「セドリックさん。定時退社の十七時まで、あとちょうど五分です。これを過ぎるとまたあの無能な団長への請求書作りにペトラさんの手が煩わされます。五分で片付けましょう。私は残業をしたくありません」


「了解だ、ナターシャ殿! 五分あれば、全員を救ってここを断つ!」


セドリックの瞳に、騎士団にいた頃の怯えはなかった。すでに彼の心は、効率と安全を重んじるギルドの救命前衛チーフとしての誇りに満ちていた。


「救命部門、前衛出動! 私が魔獣の視線を釘付けにする! ナターシャ殿は負傷者の救護を!」


セドリックは鋭い踏み込みとともに、魔獣の正面へと躍り出た。過労から解放され、ここ数日たっぷり睡眠をとった彼の身体は、かつてないほど軽く、キレに満ちていた。魔獣の鋭い爪を紙一重でかわし、大剣の一撃でその姿勢を崩す。


「素晴らしい身のこなしです、セドリックさん! ハイ・ヒール!」


ナターシャはその隙を見逃さず、戦場へ突入した。彼女の固有スキルが発動し、倒れた騎士たちの額に次々と緑の光を灯していく。


大聖堂のような無駄な詠唱は一切ない。ただ最速で、最も効果的な位置へ、潤沢な魔力を送り込む。炎で焼かれた騎士たちの皮膚が瞬時に再生し、呼吸を取り戻していく。


「動ける方は私の指示に従って後方へ! 命を粗末にする命令には従わなくて結構です!」


ナターシャの凛とした声に、騎士たちは一筋の光明を見た。

セドリックが完璧に魔獣の猛攻を足止めし、ナターシャが最速で負傷者を安全圏へと引っ張り出す。それは、精神論と根性だけで戦ってきたパーシバルの騎士団では決して真似のできない、合理的で美しい、完璧な救命連携だった。


魔獣がセドリックの執拗な一撃に怯み、大きく距離を取ったその瞬間。


ゴーン、ゴーン、ゴーン――。


王都の方角から、夕方を告げる十七時の鐘の音が、ダンジョンの入り口を通じて微かに響いてきた。


ナターシャはピタリと足を止め、手元にあった救急カバンをパチンと心地よい音を立てて閉めた。


「十七時になりました。本日の業務は終了です。お疲れ様でした」


ナターシャは清楚な一礼をすると、未だに地面を這いつくばって泣いているパーシバルを一瞥もせず、セドリックに向かって歩き出した。


「セドリックさん、定時です。帰りましょう。今日は美味しいタルトを買って帰る予定なんです」


「ああ。今日も良い仕事ができたな、ナターシャ殿」


セドリックは大剣を鞘に収め、爽やかな笑みを浮かべた。二人は唖然とする騎士たちと、呆然と口を開けているパーシバルをその場に残し、サッサと撤退の途につくのだった。業務時間外の労働は、彼らのホワイトな流儀には存在しないのだから。




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