政治的思想の四極論――なぜ現代の議論からは「草も生えない」のか

坂条 伸

四極論

 現代の言論空間、特にSNSを眺めていると、奇妙な感覚に襲われることがある。


 法治や人権を掲げる者が、敵と見なした相手には「推定無罪」や「証拠主義」を平然と適用しない。

 「差別反対」を叫ぶ者が、気に入らない相手への人格攻撃を“正義”として肯定する。

 逆に、「愛国」を掲げる者が、自国民の弱者に対しては冷酷な自己責任論を振りかざす。

 右と左に分かれた泥仕合は、どこまで行っても平行線のままだ。なぜ、これほどまでに議論が噛み合わないのか。


 理由はシンプルである。


 私たちが長年使い続けてきた「右翼か、左翼か」という一次元的な二元論が、すでに現実を説明しきれなくなっているからだ。


 ここで一つ、決定的な前提を整理しておかなければならない。

 現代の議論が泥沼化するのは、多くの人が「思想(何を主張するか)」と「視点(世界をどう切り分けるか)」を一緒くたにしているからだ。


 「人権を守るのが左翼で、民族を重んじるのが右翼」というのは、単なる思想のパッケージング(表面的なレッテル)に過ぎない。

 重要なのは、人間が世界を“どの軸で切り分けて認識しているのか”、さらに“自分をその軸のどこへ置いて見ているのか”という【世界認知の座標軸(視点)】である。


 その視点をクリアにするためのモデルが、これから提唱する「四極論」だ。


 この「四極論」は、マルクス経済学者である松尾匡氏の「用語解説:右翼と左翼 https://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html 」をベースに、主観的立場(自分がどこにいるか)というレイヤーを加えて発展させたものである。


 このモデルにおいて、政治的「視点」は次の四極に整理される。


 まず、“右翼”とは世界を「内」と「外」に分け、「内」を重視する「内外軸」の視点である。


 一方、“左翼”とは世界を「上」と「下」に分け、「下」を重視する「上下軸」の視点である。


 そして左翼の視点には、上の立場から下を重視する“上左翼”と、下の立場から下を重視する“下左翼”の二種類が存在する。


 また、この上下軸の視点を持ちながら、「下」ではなく「上(システムや強者)」を肯定する者を“逆左翼”と定義する。


 なお、右翼の敵として語られがちな“逆右翼(外を利する者)”は、独立した極としては存在しない。


 なぜなら、自分自身の立ち位置を「存在しない外側」に置く人間など主観的に存在し得ないからだ。

 それは単に「別の共同体を守る右翼」か「内外軸を重視しない左翼」のいずれかであり、右翼側からの主観的なラベリングに過ぎない。


 この「視点の二軸(内外か、上下か)」と、「主観の位置」を踏まえて、それぞれの特徴と「正義の暴走」のメカニズムを見ていこう。



① 右翼――「内」を守る視点


 右翼は、内外軸(国家・民族・共同体・身内)において「内」を重視する。


 家に鍵をかけるように、共同体へ境界線を引き、内部を守ろうとするのが彼らの認知フレームだ。彼らにとって、それは悪意ある差別ではなく「防衛や区別」の感覚に近い。

 しかし、この右翼の正義が暴走するとどうなるか。「内を守る」という大義がカルト化し、法治や証拠主義といった社会の基本ルールすら無視して、敵(外・あるいはスパイと見なした身内)を苛烈に叩き始める。

 SNSで見られる「あいつは売国奴だ」という狂気的なレッテル貼りがこれだ。



② 上左翼――「上」から「下」を救済する視点


 上左翼は、上下軸(権力・資本・知識・人種など)において「下」を重視しつつ、自らを「上」の立場へ置く。


 彼らは知識人、専門家、エリートとして、上の立場から下を救済・指導しようとする。

 お上品なヒューマニズムを語るリベラルやクリエイターの多くはここだ。

 そして、この上左翼の正義が暴走したとき、最もタチの悪いダブルスタンダードが生まれる。

 「人権」や「差別反対」という高潔な大義名分を振りかざしながら、自分たちの正義に従わない者を「啓蒙すべき愚民」として見下し、苛烈な人格攻撃を“正義の鉄槌”として肯定してしまうのである。



③ 下左翼――「下」から権利を要求する視点


 下左翼もまた世界を「上」と「下」に分けるが、自分自身も「下(弱者・大衆・労働者)」に属していると認識する。


 当事者としての立場から、実利的な権利を要求したり、上にある既得権益を引きずり下ろそうとしたりする。本来的な労働運動などがこれに当たる。



④ 逆左翼――「上」の階層・システムを肯定する視点


 逆左翼は、「上下軸」で世界を見ながら、「下」ではなく「上」へ価値を置く。


 強者、勝者、競争、あるいは統制システムそのものを絶対化し、下を切り捨てる。新自由主義的な自己責任論や、強権的な全体主義はここへ収まる。



◇歴史の「思想レッテル」に騙されるな:ナチスの本質


 この「視点と正義の切り分け」を導入したとき、初めて歴史の真実がクリアに見えてくる。その最たる例が、ナチス・ドイツである。


 一般的な歴史の教科書(思想のパッケージ分類)では、ナチスは「極右」とされる。

 しかし、彼らの世界認識の「視点」の本質を解剖すれば、彼らは明らかに右翼ではなく「左翼の変質」なのだ。


 ナチスの代名詞である人種主義(レイシズム)を、単なる「身内か、外か」の区別(右翼の視点)だと思ってはならない。

 ヒトラーの世界観は、アーリア人を頂点とし、その下に日本人、さらにその下にユダヤ人……と配置する、徹底的な【ピラミッド型の階層分け(上下軸)】であった。

 彼らは当初、世界恐慌に苦しむ「下(アーリア人労働者)」を救済・指導するという、典型的なポピュリズム――すなわち「上左翼」の視点によって支持を広げた。

 しかし、一度彼らが政権を握り「上」の権力に立つと、その視点は牙を剥く。

 国家システムそのものを絶対化し、「下の救済」よりも「上による統制」を優先する「逆左翼」へと変質したのだ。

 そして、自らが作り上げたシステムに都合の悪い存在を、「排除すべき最下層」として圧殺した。


 スターリニズムも全く同じ構造である。


 「下のため」と掲げた運動が、自らが「上」に立った瞬間、システム維持のために下を切り捨てる怪物(逆左翼)へと変貌する。

 これこそが、上下軸(左翼)の視点が暴走したときに陥る「反転の罠」なのだ。



◆違うチェス盤の上から石を投げ合うな


 現実の政治的論争が永遠に噛み合わないのは、善悪の戦いをしているからではない。

 自分が「内外」の争いをしているのか、それとも「上下」の争いをしているのかを互いに自覚していないからだ。


 右翼(内外軸)の人間は、共同体を守るために「境界線を引きたい(区別・排他)」だけなのだが、左翼(上下軸)の人間はそれを自分たちの文脈である「上が下を差別している(階層化)」と脳内で翻訳して激怒する。


 逆に、左翼が「人権(上下軸における弱者救済)」を叫ぶとき、右翼の目にはそれが「共同体のルールを壊す外部からの侵略(内外軸)」に見えて警戒を強める。


 その上、双方の「正義」が暴走し、ダブスタやルール無視を平然と行うものだから、言論空間は地獄と化す。


 本当の意味で建設的な対話を望むのであれば、「相手が間違っている」と糾弾する前に、切り分けなければならない。

 今、自分を突き動かしているのはどの「視点」の、どの「立場」なのか。そして、自分が信じる「正義」は暴走していないか。


 四極論とは、政治思想の優劣を決める理論ではない。


 人間がそもそも別の座標軸で世界を認識し、それぞれの正義に狂っているという事実を冷徹に突きつける、“世界認知の地図”なのである。

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