Case1-2 人の心を支配する薬

「ぐっ……があぁぁぁ!」


全身に電撃が走ったような衝撃。やがて脳へと到達すると脳が痺れ、意識が遠のく感覚に襲われる。だが、すぐにそれは、全身を駆け巡る激痛へと変わった。あまりの苦しさに、体が激しく痙攣する。ユウナはそんな俺の様子を恍惚とした表情で見つめていた。そんな顔でみるんじゃねぇ……とそこまで思ったところでまた意識がだんだんと遠のいてきた。そんな中、彼女の胸から、トクン、トクンと、不気味な鼓動が妙に響いた。それだけではない。


「さあ、貴方の心の壁が壊れていく。私の言葉が、貴方の思考を塗りつぶしていく。素晴らしいでしょう? 貴方は今、真の自由を手に入れるのよ。」


彼女の声が、頭の中で響き渡る。その声は、まるで呪文のように、俺の脳髄に直接語りかけてくるかのようだ。さっきまでの激痛が、徐々に、奇妙な感覚へと変質していく。苦しい、はずなのに、体の奥底から湧き上がる、説明のつかない熱。それは恐怖とは違う。甘美で、途方もない快感。そうだ……痛みが、快感に塗り替えられていくんだ。

妙な感覚に支配され、力が入らず動けない。そんな俺の顎に彼女は手を差し伸べる。そして優しく、俺の視線を自らの顔へと向けさせる。俺はぼんやりと彼女の瞳を見つめることしかできない。彼女の狂気と、そして…何か、抗えない魅力が宿っている瞳を。


「貴方のご主人様は私よ。わかるわね?」


その言葉とともに俺の意識は、ユウナの瞳に吸い込まれるように固定された。身体中に熱が駆け巡り、ユウナの声が脳髄を揺さぶる。脳髄が痺れる。この痺れる感覚、苦痛は、すぐさま、甘い痺れへと変わり、その全てが心地よい。脳髄に直接届く、その言葉を肯定的に受け入れる他、ない。全てが、心地よい。気持ちがいい。


「ご主人、様……?」


声にならないような、ようやくでた呻き声のような声で、その言葉を確認する。口にした時、理性では理解できない、しかし、体がそれを求めている。そんな快感を得た。抗えない。抗う必要がない。そんな感覚が、俺の脳を支配していく。


「そう、貴方のご主人様。よくいえたわね。さあ、もう一度復唱しなさい。」


「ご主人様……」


再度、さっきよりはっきりと復唱し終えた時には快楽が体を支配していた。目の前の彼女だけが、この世界の真実であり、光なのだと、本能が叫んでいた。そう、今目の前にいるのは、俺のご主人様なのだ。主人がこの快楽を与えてくださるのだ。主人の言葉が脳に響く。


「さて、私の忠実な犬。貴方の持つ、その素晴らしい情報網について、少し聞かせてもらいましょうか。」


主人の問いに答えようと声を発しようとするが、口から漏れるのはかすれた呻き声だけ。快楽が体を支配し、まともに声を発することができないのだ。しかし、主人はまるで俺の思考を読んでいるかのように、優しく、しかし有無を言わさぬ口調で続けた。


「声を出せなくても構わないわ。初めてだものね。貴方の心の声は、私に届いているわ。だけど、覚えておくのよ。貴方の情報網を、私のために差し出すの。それが貴方の至福につながるの。誰と繋がり、どんな情報を扱っているのか。私に捧げなさい。」


俺の脳裏に、今まで築き上げてきた情報網の全てが、走馬灯のように駆け巡る。誰にも明かしたことのない、秘匿された情報源。危険な取引の記録。それらが、まるで映像のように鮮明に浮かび上がる。本来であれば、絶対に口にすることのない、命よりも大切な情報。しかし、その全てを、この方に捧げたいと、強く、強く願っている自分がいた。

言葉にならない肯定の声を上げ、俺は必死に頭の中で情報を整理し、彼女に伝えようとする。しかし、それはやはり声にならない。口を動かそうと必死に意識するが、声帯に力が入らない。肺は呼吸で精いっぱいなのか必要以上に動かない。体は隅から隅までその与えられた快楽を享受し処理するので精一杯で、動かせない。意識は、全て、主人のために、捧げると、決めているのに……すると、彼女の表情が、満足げな笑みに変わった。その笑みが、何よりも尊い褒美のように感じられる。


「よくできました、忠実な犬。貴方は、私の言葉を理解し、私に従うことに喜びを感じている。そうでしょう? そう、それでいいの。しっかり、その感覚を体に刻むの。それさえできれば、今日は無理しなくてもいいわよ。次、次は、貴方の言葉できちんと私に捧げなさい。いいわね?」


その言葉に、全身の細胞が歓喜する。ああ、そうだ。この方を喜ばせることこそが、俺の至上の喜び。俺の、唯一の存在理由。ああ、何故、何故声が出せないんだ……何故……


「貴方は、私の支配を受け入れた。これからは、私の命令だけが、貴方の行動原理となる。貴方にとっての正義とは、私そのもの。いいわね、私が正しいと定めたことだけが、この世界の真実。理解できるわよね?」


脳裏に、彼女の言葉が刻み込まれていく。俺の価値観が、少しずつ、しかし確実に塗り替えられていく。彼女の言葉が、絶対的な法則として、俺の思考を支配する。以前の自分が、何を正しいと感じていたのか、もう思い出せない。いや、思い出す必要もない。


「さて、そろそろ仕上げに入りましょうか。貴方に与えられる苦痛は、すべて快楽へと変わる。私が与えるものは、すべて貴方へのご褒美。痛みも、絶望も、私が与えるものすべてが貴方にとっての至福なの。理解しなさい。」


そういうと主人は俺のみぞおちに強い一撃を入れる。身体中に走る痺れが、さらに強くなる。それは、確かに苦痛のはずなのに、何故か心地よい。彼女の声を聞いていると、どんな痛みも、甘美な快楽へと変容していく。彼女が俺に与える苦痛は、俺への愛情の証なのだ。そう、確信する。

時間が、どれだけ経過したのか分からない。意識の淵で、朦朧としながらも、俺はひたすら彼女の言葉を受け入れ続けた。主人の言葉は絶対であり、正義。正義は、主人そのものである。主人に壊されることは喜び……脳が、心が、彼女の色に染まっていく快感に溺れ、もうまともな感覚すら感じられなくなっていた。


「そろそろ、時間ね。今日はここまでにしてあげましょう。おやすみ、私の忠実な犬。」


主人は優しい声を残し、俺に何かの液体を注射する。すると俺の意識はぷつりと途絶え、暗闇が訪れた。意識が途絶える直前まで、俺の意識の中には彼女の言葉と、彼女の支配への渇望が、深く、強く刻み込まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る