第43話「民事裁判の終わり」
【5日目・寄生虫視点】
重い木槌の音が耳を打った。ドン、ドン、ドン。まるで自分の心臓が床に叩きつけられる音のようだった。老いた裁判官の口が動いている。くぐもった声が脳を揺らしているのに、言葉は一つも頭に入ってこない。いや、入ってこないのではない。理解することを拒んでいる。現実を受け入れた瞬間、自分が本当に終わると認めることになるからだ。
『有責配偶者』。その言葉が刃のように胸に突き刺さった。有責?責任がある?俺が?ふざけるな。浮気くらい、金を使うくらい、誰だってやってるだろうが。長谷川恵が少しでも女らしくして、俺を立てていれば、俺が外に出る必要なんてなかった。全部あの女のせいだろう。なのに、なぜ俺が「有責配偶者」なんだ。
💭直樹|「違う……これは夢だ。間違ってる。全部あの竹山潤、あの弁護士の仕業だ。あいつが裁判官まで買収したに違いない」
正気を取り戻そうとしたが、裁判官の声は止まらない。「婚姻破綻の主たる責任」「精神的損害に対する慰謝料」「財産分与」……意味のわからない言葉が次々と俺を攻撃してくる。そしてついに、耳を疑うような金額が言い渡された。
一瞬、法廷の音がすべて消えた。頭の中が真っ白になる。その金は……一生かかっても触れられないほどの額だった。長谷川恵が稼いだ金は当然俺のものだった。西原詩彩から得た金も、俺のものだった。それなのに、今さらそれを吐き出せと言うのか。それどころか、それ以上を?
血が逆流するような感覚で息が詰まる。振り向くと、弁護人席に長谷川恵がいた。両手で顔を覆っている。その隣で、竹山潤――あのクソ野郎が、彼女の肩に手を置いていた。慰めるふりをして、すべてを手に入れた勝者の顔で。気持ち悪い偽善者だ。俺の女を奪い、俺の金まで奪いやがる。
💭直樹|「許さない……全部俺のものだ。俺があの女を支えてやってたんだ……俺がいなきゃあの女は……」
現実と妄想が混ざり合う。自分が加害者であるという事実は消え、長谷川恵に裏切られた被害者だという歪んだ確信だけが残る。さらに親権まで長谷川に渡ると告げられる。父親であるという唯一の証明すら奪われた。
すべてが終わった。民事は終わった。俺はすべてを失った。いや、奪われた。あの弁護士に。隣に立つ警備員が俺の腕を掴む。その瞬間、意識がはっきりと戻る。まだ終わっていない。刑事裁判が残っている。そして俺の人生も。ここで終わるわけにはいかない。
ふらつきながら立ち上がり、憎悪に染まった目で竹山潤を睨みつける。
お前だけは、必ず俺の手で地獄に落としてやる。
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【5日目・潤視点】
裁判長の判決が、法廷の空気を切り裂くように響いた。予想していた結果だった。私が提示した証拠は明白で、伊藤直樹側の弁護士にできることは何もなかった。長谷川恵がすべての苦痛から法的に解放され、正当な補償を得る瞬間だった。
私の隣で長谷川恵が両手で顔を覆った。すすり泣く声がかすかに聞こえる。これまで押し殺してきた感情が、堰を切ったように溢れ出したのだろう。私は少し迷いながらも、そっと彼女の肩に手を置いた。冷たい法廷の中で、その震える肩越しに、彼女が過ごしてきた時間の重さが伝わってくるようだった。
💬潤|「終わったよ、恵。全部終わった。あなたはもう自由だ」
それは単なる慰めではなかった。法的事実を告げる言葉に近いものだった。しかしその言葉に、長谷川恵はさらに嗚咽を漏らした。私はただ黙って、彼女のそばに立ち続けた。
拘置され、連れ出されていく伊藤直樹の視線が私に向けられた。憎悪と殺意に満ちた目。しかしその視線は、私の中には何の波も起こさなかった。ただ敗北した獣の最後の足掻きにしか見えなかった。お前はもう法の裁きを受けるだけの存在であり、誰かの人生に寄生することはできない。
💭潤|「まだ終わっていない。本当に重要なのはここからだ」
民事裁判は終わった。しかし、私たちの戦いはまだ終わっていない。これからはこの国の法が、あの男が犯した“犯罪”に対して責任を問う番だ。殺人未遂。彼が私たちに向けた明確な脅威。その代償を支払わせなければならない。
傍聴席から西原詩彩がこちらへ歩いてきた。彼女の表情には複雑な感情が浮かんでいたが、すぐに明るい笑顔を見せた。彼女もまた、この勝利を自分のことのように喜んでいた。
💬詩彩|「弁護士さん、いえ、お兄さん!本当に……本当にすごいです!恵さんも、本当におめでとうございます!」
彼女は心から長谷川恵の手を握った。かつては恋敵だったかもしれない二人が、今は同じ傷を共有し、互いの勝利を祝う戦友になっていた。私はその二人を交互に見た。長い長いトンネルの出口が、ようやく見え始めていた。
💬潤|「二人とも、本当にお疲れさま。ただ、まだ安心するには早い。すぐに刑事裁判が始まる。あの男が犯した罪に対する、本当の裁きはこれからだ」
私は再び冷静な弁護士の顔に戻り、二人を連れて次の法廷へと向かった。これで、この忌まわしい因縁の最後の幕を開ける時が来たのだ。
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