第2話「場違いな会場」


日曜日の朝。


俺はクローゼットの前で固まっていた。


「……着るものがない」


いや、正確にはある。


あるけど、ない。


スーツは一着だけ持っていた。


入社した時に買った黒いスーツ。


三年間着続けたせいで少しヨレているし、ネクタイも微妙に古い。


鏡の前に立つ。


「……就活生か?」


思わず自分で言った。


なんか違う。


テレビで見る株主総会って、もっと大人の場所だ。


高そうな腕時計をした人たちがいて、何百万とか何千万とか投資してる人が行く場所。


俺みたいな「優待につられて1株だけ買った人間」が行っていい場所なのか。


今さら少し不安になった。


でも――


「せっかく休みだしな」


そう言いながら家を出た。


電車に揺られて四十分。


会場のホテルに着いた瞬間、俺は立ち止まった。


「……でか」


ガラス張りの高級ホテル。


入口の前には黒い車が並んでいる。


スーツ姿の人たちが次々と入っていく。


時計を見る。


まだ開始三十分前。


なのに人が多い。


「帰るか……」


本気で思った。


ここまで来ておいて情けないが、完全に場違いだ。


俺はコンビニコーヒー片手に来る場所じゃない。


踵を返そうとした、その時だった。


「株主総会はこちらです」


案内スタッフの女性に笑顔で言われた。


「あ、はい……」


反射的に返事してしまった。


終わった。


逃げ道が消えた。


受付へ向かう。


前に並んでいる人たちは、慣れている感じだった。


受付票をサッと出して、会釈して入っていく。


そして俺の番。


受付の女性が笑顔で言った。


「株主番号をお願いします」


俺は紙を渡した。


なぜか少し緊張していた。


「ありがとうございます」


笑顔。


……あれ?


普通だ。


俺が1株か1000株かなんて気にしてない。


少しだけ肩の力が抜けた。


受付を済ませ、中へ入る。


広い会場だった。


椅子がずらっと並んでいる。


前の方では何人かが談笑していた。


俺は目立たない後ろの席に座ろうとして――


「若い人は珍しいね」


声をかけられた。


「え?」


隣を見る。


白髪のおじさんだった。


六十代くらいだろうか。


優しそうな顔をしている。


「株主総会は初めて?」


「あ、はい」


「そうかそうか」


おじさんは笑った。


「どれくらい持ってるんだい?」


その質問に、一瞬固まった。


普通こういう時、みんな何て言うんだ?


「100株です」とか?


「1000株です」とか?


でも嘘ついても仕方ない。


「……1株です」


言った瞬間、終わったと思った。


絶対笑われる。


だが――


おじさんは数秒黙ったあと、突然吹き出した。


「はははは!」


「す、すみません……!」


「いやいや違う違う!」


おじさんは腹を抱えて笑っていた。


「正直でいい!」


「え?」


「そういう人、好きだよ」


そう言って笑った。


その瞬間だった。


会場の空気が少し変わった。


ざわざわしていた声が止まる。


視線が前へ集まる。


壇上の横の扉が開いた。


「……来た」


おじさんが小さく言った。


そして現れた。


黒いスーツ姿の男。


年齢は四十代後半くらい。


歩いているだけなのに、不思議なくらい目が離せなかった。


東陽テクノ社長――神崎修司。


その人を見た瞬間。


なぜか俺は、少しだけ背筋を伸ばしていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る