第11話 英雄は静かに皿洗いしたい

 目が覚めた時、最初に思ったのは。


 あ、生きてる。


 だった。


「よかったああああああっ!!」


「ぐぇっ!?」


 次の瞬間、顔の上に何か柔らかいものが落ちてきた。

 いや違う。落ちてきたんじゃない。飛びつかれた。


「なお兄! なお兄! 生きてる! しゃべった!」


「しゃべるだろ生きてるんだから! あと近い近い、顔が近い!」


 視界いっぱいにミリィの顔があった。

 目がちょっと赤い。泣いたのかもしれない。


 ……いや、そうだよな。

 あのあと俺、たしかそのまま気絶したんだっけ。


 ゆっくりと体を起こそうとして。


「いっっっっっっっっった!?」


 やめた。


 全身が痛い。

 いや痛いなんてもんじゃない。なんだこれ。体の中に“痛い”が詰まってる。


 腕が痛い。肩が痛い。背中が痛い。足も痛い。

 あとなんか、息を吸うだけで肋骨のへんがじんわり痛む。


「無理。俺もう一回寝る」


「だめだよ! 三日も寝てたんだから!」


「三日!?」


 思ったより長かった。


 しかも三日も。

 俺、そんなにボロボロだったのか。


「まあ、四天王とやり合ってその程度で済んだのは奇跡だがな」


 低い声がして、そっちを見る。


 窓際の椅子に座っていたのはレオンだった。

 腕を組んで、いつもの堅い顔でこっちを見ている。


「おはよう、英雄殿」


「やめろその呼び方」


「では、王都を救った大英雄」


「悪化した!?」


 なんなんだよ朝イチから。


 ミリィがベッドの横で、うんうんと勢いよく頷いた。


「なお兄、いま王都ですっごい有名人だよ!」


「やめてくれ」


「西通りの人たちみんな言ってるもん。『名もなき若き英雄』『四天王を退けた下町の守護者』『あえて敵を殺さず誇りだけを砕いた達人』だって」


「三つ目が一番盛られてる!」


 違う。

 全然違う。


 俺はあの時、人を斬るのが怖くて、斧を壊すのが精一杯だっただけだ。

 なんでそんな“深い思想を持つ達人”みたいな扱いになってるんだ。


 レオンは真面目な顔のまま言った。


「実際、お前はそう見えた」


「見えただけだろ!? 中身は半泣きだったぞ!」


「なお兄、戦ってる時ずっとすごい顔してたよ」


「それたぶん痛いの我慢してただけなんだよな……」


 俺は天井を見上げた。


 ああ。

 平穏が遠い。


 異世界転生したら、もっとこう、最初の町でのんびりスローライフとか、あると思うじゃん。

 なんで俺、王都で四天王にライバル認定されてるんだよ。


「……俺、静かに皿洗いしたいだけなんだけど」


 ぽつりと呟くと。


 ミリィが、なぜかすごく優しい目をした。


「なお兄……」


「お、わかってくれるか?」


「それは無理かな」


「即答だ!」


 その日の昼。


 俺はまだ本調子じゃない体を引きずって、一階へ降りた。


 木皿亭は、いつもよりずっと騒がしかった。


「おおっ、起きたぞ!」

「なお兄だ!」

「英雄様だー!」

「すげえ、本物だ!」

「サインくれ!」


「ないよサイン文化!」


 店にいた客が一斉にこっちを見た。


 やめろ。

 そんな拍手みたいな空気で迎えるな。気まずいだろ。


 ジンとポポとクルスまで、奥の席からぶんぶん手を振っていた。


「なお兄ー!」

「体だいじょぶかー!」

「今度、四天王と戦った時の話して!」


「今度がある前提で話すな」


 怖いこと言うなよ。


 ミリィはそんな店内を見回して、なぜか誇らしげだった。


「木皿亭の常連が英雄なんて、ちょっとすごくない?」


「常連っていうほどまだ住んでないんだけど」


「でももう“なお兄の席”できてるよ」


「嫌な常連認定きたな……」


 しかも見れば、本当にいつも俺が座ってる端の席が空けられていた。

 やめろ。居場所ができるの早すぎるだろ。


「ほらほら、英雄さんは無理しないで座ってて」


「いや、働く。飯代も宿代もあるし」


「ほんとに真面目だな、お前は」


 レオンが呆れたように言う。


「普通はもう少し調子に乗るぞ。名声とか、金とか」


「いらんよ。目立つとろくなことないし」


「そのわりに四天王には啖呵切ってたけどな」


「それはその場の勢いだよ!」


 ほんとに。

 思い出しただけで胃がきゅっとする。


 とりあえず、俺はエプロンを借りて流し台の前に立った。


 皿。

 コップ。

 スプーン。


 うん。いい。

 この感じだ。この地味な作業感。


 戦いとか、英雄とか、そういうのじゃなくていいんだよ。

 俺はこういうのでいい。こういうので。


 桶に手を突っ込み、皿を洗う。


 しゃこ、しゃこ、しゃこ。


 うん。落ち着く。

 泡。平和。最高。


「おお……」

「なんて無駄のない皿洗い……」

「これが英雄の手際……」


「ただの皿洗いに実況つけるな!」


 だめだ。

 全然落ち着かない。


 なんで後ろから見守られてるんだよ。

 皿洗いを。

 そんな“達人の技”みたいに見られても困るんだよ。


 ミリィが肩を震わせて笑っていた。


「なお兄、今のうちに慣れたほうがいいよ?」


「何に?」


「英雄扱いに」


「一生慣れたくない……」

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