第7話 嫌な予感
その後も最悪だった。
ポポに「どっちがパン早食いできるか」と言われて受けたら、子ども相手に本気で喉を詰まらせかけた。
クルスに「指相撲しようぜ」と言われて受けたら、妙に接戦になって、周りに「なんでそこまで本気なんだよ」と引かれた。
やってる俺がいちばん知りたい。
「なお兄、顔真っ赤」
「うるさい、パン急いで食うと普通に苦しいんだよ……」
「大人なのに?」
「大人じゃねえよ高校二年だよ!」
「こうこう?」
「うーん、なお兄語は難しい」
ミリィがけらけら笑っていた。
店の奥ではレオンまで腕を組んで見ている。
「……やはりお前、妙だな」
「妙じゃない普通だ」
「普通のやつはガキ相手に全部接戦にならない」
「それはほんとそうだねぇ!!」
完全に見世物だった。
その日の夕方には、木皿亭の前にいた連中の間で、妙な呼び名までついていた。
「紙一重のなお兄」
「全部ギリギリ兄ちゃん」
「負けそうで負けないやつ」
「ろくなあだ名がねえな!?」
ミリィはついに腹を抱えて笑い始めた。
「だ、だめ、なお兄ほんと面白すぎ……!」
「笑いごとじゃないぞこれ。俺の尊厳の問題なんだぞ」
「でも、なんかすごいよ? 相手が誰でもちゃんと勝負になるの」
その言葉に、俺は少しだけ黙った。
相手が誰でも、ちゃんと勝負になる。
それは、たしかにそうだった。
ミリィでも。
レオンでも。
ガキ大将でも。
俺は毎回、きっちりギリギリまで持っていかれる。
それは情けないようでいて、少しだけ変だった。
少しだけ、じゃないな。
だいぶ変だ。
レオンが低い声で言った。
「もし本当に、どんな相手とでも勝負になるのだとしたら……」
店の空気が、ほんの一瞬だけ静かになった。
その時だった。
外から、どたどたと大きな足音がして、誰かが店の戸を勢いよく開けた。
「ミリィ! 大変だ!」
入ってきたのは、近所の野菜屋のおじさんだった。
顔色が悪い。息も切れている。
「どうしたの?」
「西通りで冒険者と傭兵が揉めてる! しかも、でかい斧持った流れ者が“誰か俺と勝負しろ”って暴れてて……!」
嫌な予感がした。
本日何回目かわからない嫌な予感だが、今度のは少し種類が違った。
ミリィが目を丸くする。
「勝負って……」
「揉めてるって、普通の喧嘩じゃないのか?」
「違う、ありゃまずい。店も何軒か壊されてる!」
レオンの表情が変わった。
「西通りだと?」
木皿亭から、そう遠くない。
俺は反射的にミリィを見た。
ミリィもこっちを見ていた。
さっきまで笑っていた顔が、少しだけ強ばっていた。
「……なお兄」
「言うなよ」
「まだ何も言ってない」
「たぶん、ろくでもないこと言う顔してる」
「でも、放っておけないでしょ?」
放っておけない。
それは、そうだ。
俺は思いきり嫌そうな顔をしたあと、盛大にため息をついた。
「……ほんと、この世界来てから碌なことねえな」
そう言うと、ミリィが少しだけ笑った。
「じゃあ、見に行く?」
「“勝負”って単語は禁止だからな」
「まだ気にしてる」
「一生気にするわ!」
木皿亭の前にいた連中が、一斉に道を開けた。
なんだか、胸の奥が少しだけざわついていた。
ただの喧嘩ならいい。
でももし、そこにいる誰かが軽い気持ちでその言葉を口にしたら。
――俺の平穏な下町生活は、たぶんまた面倒な方向に転がる。
そんな予感だけは、どうしようもなく当たりそうだった。
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