第8話 喧嘩の規模がおかしい
西通りに着く前から、焦げ臭い匂いがしていた。
木皿亭から走って数分。
王都でも結構賑やかなはずのその通りは、信じられないことになっていた。
「は……?」
俺は思わず立ち止まって、間の抜けた声を出した。
道が、割れていた。
比喩じゃない。石畳が文字通り真っ二つに叩き割られ、周囲の屋台は木っ端微塵になり、石造りの立派な家屋の壁が半分吹き飛んでいた。
砂埃が舞っている。
悲鳴を上げて逃げ惑う人たちとすれ違う。
「いやいやいや」
俺は目をこすった。
「喧嘩ってレベルじゃねえだろこれ! 怪獣でも出たってのかよ!」
「なお兄、あそこ!」
ミリィが砂埃の向こうを指さす。
そこには、小山のような大男が立っていた。
赤黒い、分厚い甲冑。兜の下からは獣のような鋭い目が覗いている。
そして何より目を引くのが、その右手に握られたバカみたいにでかい両刃の斧だった。
大男の足元には、武装した冒険者や傭兵らしき男たちが何人も転がっている。全員、ピクリとも動かない。
「……くだらん」
大男が、低く、地鳴りのような声を出した。
「これが人間の王都か。腕に覚えのある者が集まると聞いて来てみれば、どいつもこいつも小枝のように折れる。退屈で欠伸が出るわ」
ぞわっ、と総毛立った。
なんだあいつ。
どう見ても人間じゃない。いや、ファンタジー世界だから人間以外の種族もいるんだろうけど、そういう次元じゃない。
存在しているだけで、空気が重くなるような圧倒的なプレッシャー。
「魔族……っ!」
俺の横で、レオンが剣の柄に手をかけながら呻いた。
「なぜ王都の結界を抜けて、こんなところに……! あの鎧の紋章、まさか魔王軍の幹部か!?」
「幹部!? ちょっと待て、そういうのって城とかでラスボスが差し向けてくるもんじゃないの!? なんで通りを散歩してんだよ!」
「知るか! だが、このまま暴れさせれば西通りが消し飛ぶぞ!」
レオンが剣を引き抜いた。
「レオン、お前まさか行くのか!?」
「騎士見習いとして、民草を見捨てるわけにはいかん!」
言うが早いか、レオンは砂埃を蹴って飛び出した。
馬鹿野郎! 真面目か! いや真面目だったわ!
「おい、相手を見ろ! 絶対レベルが違いすぎるって!」
俺の制止は遅かった。
「王国騎士団所属、レオン・ハーゲン! 貴様の相手はこの俺がする!」
レオンの剣が、鋭い踏み込みと共に大男の胸元へ突き出される。
素人目に見ても、完璧で綺麗な一撃だった。
しかし。
「――騎士か。少しはマシだといいがな」
大男は、その巨大な斧を片手で軽く振った。
本当に、ただハエを追い払うような動作だった。
ガァァンッ!!
鈍い爆音。
レオンの剣が根元からへし折れ、その衝撃だけでレオンの体がボールのように吹き飛んだ。
「がはっ……!」
レオンは空中で血を吐き、そのまま瓦礫の山に突っ込んで動かなくなった。
「レオンッ!!」
ミリィが悲鳴を上げる。
嘘だろ。
俺と腕相撲で引き分けた(※俺が異常なだけだが)あの堅物騎士が、文字通り一撃で、しかも斧の腹で軽く払われただけで!?
「ふん。やはり脆い」
大男は退屈そうに首を鳴らした。
「俺は四天王『裂城のグラド』。ただ純粋な闘争を求めてここまで来たというのに。誰か、俺とまともな勝負ができる奴はおらんのか!」
グラドの咆哮が、王都の空気を震わせた。
四天王。
その単語を聞いて、俺の頭の中で警報が鳴り響いた。
(やばい。やばいやばいやばい。ガチのやつだ)
ただの喧嘩じゃない。災害だ。
しかも脳筋の戦闘狂タイプ。一番タチが悪いやつ。
俺は震える足に力を込めた。
「ミリィ、逃げるぞ! レオンを引っ張って、木皿亭まで戻るんだ!」
「でも、あいつら……!」
ミリィが視線を向けた先を見て、俺は息を呑んだ。
崩れた屋台の陰。
腰を抜かして震えている子どもたちがいた。
ジン、ポポ、クルスの三人だ。
さっきまで俺と石投げをして遊んでいたクソガキどもが、顔を真っ白にして、大男の威圧感に声も出せずに固まっている。
「あいつら、野次馬しに来て逃げ遅れたのか……!」
グラドの目が、その子どもたちに向いた。
「チッ、ネズミばかりだ。目障りな」
グラドが斧を片手で持ち上げる。
ただ振り下ろすだけで、あの距離なら風圧と飛散する瓦礫で子どもたちなんてミンチになる。
「やめろおぉっ!!」
飛び出したのは、ミリィだった。
「おい、ミリィ!?」
ミリィは子どもたちの前に立ち塞がり、両手を広げた。
細い腕。震える足。
それでも、彼女は逃げなかった。
「この子たちは、関係ないでしょ……っ!」
グラドの動きがピタリと止まった。
そして、酷薄な笑みを浮かべた。
「ほう? 少しは骨のあるネズミがいるらしい。だが、弱者が強者に逆らうのは勇気ではない。ただの無謀だ」
斧が、高く振りかぶられる。
影がミリィたちを覆い隠す。
俺の頭の中は、真っ白になった。
(逃げろ。足には自信があるんだろ。お前はただの高校生だ)
理性がそう叫ぶ。
当たり前だ。あんな化け物、どうにかできるわけがない。
でも。
『ごはんくらいは出してあげる』
『働いたらごはん!』
『じゃあ、勝負ね!』
この世界に来てから、俺を助けてくれたのは。
俺に笑いかけてくれたのは、誰だったか。
(……くそっ)
俺は、気づけば走っていた。
陸上部の本気。
ミリィとかけっこをした時よりも、ずっと速い、俺の人生で最速のスピード。
グラドの斧が振り下ろされる寸前。
俺はミリィと子どもたちの前に滑り込み、グラドを思いきり睨みつけた。
「……おい、でかぶつ」
声が震えなかったのは、自分でも奇跡だと思った。
グラドが斧の軌道をぴたりと止め、面白そうに俺を見下ろした。
「ほう。また一匹増えたか」
「ガキ相手にイキってんじゃねえよ。そんなに退屈なら、俺が相手してやる」
「なお兄……! だめ、死んじゃう!」
後ろでミリィが叫ぶ。
うるさい。俺がいちばんそう思ってるんだよ。
足はガクガクだし、心臓は口から飛び出そうだし、今すぐ土下座して謝りたい。
だが、俺にはひとつだけ、「最強にはなれないが、一方的には負けない」クソみたいな確信があった。
俺は、わざと挑発するように口角を上げた。
「なんだ? 俺みたいなただの一般人相手じゃ、ビビって手が出せないか?」
「……小僧。貴様、俺を誰だと思っている?」
「知るか。デカい斧持った迷子の脳筋だろ。さっきから聞いてりゃ、まともな勝負ができる奴がいないとかほざいてたな」
俺は、指をビシッとグラドに突きつけた。
「俺とお前。どっちが強いか」
俺は大きく息を吸い込み、木皿亭で一番聞きたくなかったあの単語を、今度は自分から叩きつけた。
「――勝負だ」
一瞬の静寂。
グラドの目が大きく見開かれ、直後、その顔に歓喜の笑みが広がった。
「カカカカカッ!! いいだろう! そのふざけた減らず口、いつまで叩けるか試してやる!!」
グラドが斧を構え直す。
「いいだろう人間! 俺が直々に相手をしてやる! 勝負だ!」
その言葉が、響いた瞬間。
俺の体の中で、何かがカチリと音を立てて切り替わった。
――さあ、女神様。
あんたが言った言葉、嘘じゃないだろうな。
最弱の高校生と、最強の四天王。
絶対に勝てないはずの、泥沼の紙一重勝負が、幕を開けた。
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