第4話 だから勝負って言うな

 市場から帰るころには、俺の肩はもう終わっていた。


 野菜。肉。小麦粉。

 ついでにミリィが「あ、これ安い!」とか言って追加した謎の根菜。


 背負いカゴはパンパンで、腕もちょっと震えている。


「お、おい……これ、地味に重いな……」


「大丈夫大丈夫。なお兄、足速いし体力あるし」


「その呼び方いつ決まった?」


「さっき」


 軽い。

 決め方が軽い。


 ミリィは両手に袋を下げながら、ぴょこぴょこと前を歩いている。

 さっきあれだけ全力疾走したはずなのに、なんでそんな元気なんだこいつ。


 俺は歩きながら、頭の中でずっと考えていた。


 あの女神の説明。

 勝負を挑まれて、受けた時だけ発動する加護。


 かけっこのあの異常な接戦。

 あれ、たぶん本当に能力のせいだ。


(ってことはだ)


 簡単な話である。


(“勝負”しなければいいんじゃないか?)


 そうだ。

 戦わなければ発動しない。

 なら日常生活では、もう二度と「勝負」を受けなければいい。


 よし。解決した。


 俺はちょっと元気になった。


「なあミリィ」


「なに?」


「これからは気軽に勝負とか言うの、やめないか?」


「えー?」


 露骨に嫌そうな声だった。


「なんで?」


「いや、なんかこう……俺、ああいうの苦手っていうか」


「この前はノリノリで受けてたのに?」


「それは、ほら、流れってものがあるだろ」


「ふーん?」


 ミリィはくるっと振り向いて、にやっと笑った。


「じゃあ、店に着くまで誰が一番長く“勝負”って言わないでいられるか勝――」


「言うなって言ってんだろ!」


「あはははは!」


 だめだこいつ。

 もう口が勝負でできてる。


 そんなことをしているうちに、木皿亭へ戻ってきた。


 昼前の店はまだ落ち着いていたが、厨房ではもうスープの下ごしらえが始まっている。

 ミリィは買ってきた野菜をてきぱき仕分けしながら、俺に顎で指示を飛ばした。


「なお兄、それ裏口に運んで」

「こっちの肉は涼しいところ」

「あと水汲みもお願い」


「はいはい……」


 言われるままに働いてみると、意外と嫌じゃなかった。


 重い荷物を運んで、桶に水をためて、薪を積む。

 単純だけど、やることは多い。


 文化祭の準備とか、部活の片付けみたいな感じだ。

 こういうのは、わりと嫌いじゃない。


 まあ、ひとつ問題があるとすれば。


「なお兄! その樽、私とどっちが早く運べるか――」


「やらない」


「まだ最後まで言ってないよ?」


「言わなくてもわかる!」


 ミリィが口を開くたびに、俺は反射で止めるようになっていた。


 これが条件反射である。

 たぶんこのまま一週間いたら、“勝”の字が聞こえた瞬間に飛び起きる体になる。


「むー……」


 ミリィは頬をふくらませた。


「なお兄、勝負きらいなの?」


「嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、今はだめなんだよ」


「変なの」


「変でいい」


 俺は真顔でうなずいた。


 そう、変でいい。

 日常生活が全部デッドヒートになるより百倍マシだ。


 すると、店の扉がからん、と鳴った。


「おう、ミリィ。いるか」


 入ってきたのは、昨日もちらっと見た金髪の青年だった。

 背が高くて、姿勢がいい。腰には剣。騎士っぽい服。


 ああ、たしかこの店の常連なんだっけ。


「レオン! おつかれー」


「仕事帰りだ。昼の仕込み前なら少しは暇かと思ってな……ん?」


 レオンと呼ばれた青年の視線が、俺で止まった。


「誰だ、こいつ」


「昨日拾った」


「犬猫みたいに言うな」


「行き倒れてたから助けたの。なお兄っていうの」


「なお兄……?」


 レオンがすごく微妙な顔をした。


 なんだその顔は。

 俺だって昨日決まったあだ名にまだ慣れてないんだよ。


「直央です。相良直央」


「……怪しいな」


 第一声がそれだった。


「初対面で!?」


「王都の下町で、見慣れない男が急に食堂に住み着いている。怪しくない要素がどこにある」


「正論なのが腹立つ……!」


 レオンは腕を組んだまま、じろじろ俺を見た。


 なんだこいつ。

 堅い。めちゃくちゃ堅い。融通が制服の下に置いてきたみたいな顔してる。


「でもさでもさ、なお兄すごいんだよ!」


 ミリィが会話に割って入った。


「今朝、私とかけっこして引き分けたの!」


「は?」


「市場まで!」


「お前と?」


「うん!」


 レオンが、すごく失礼な目で俺を見た。


 やめろ。

 その“いやいやいや”って顔やめろ。


「……ミリィ、お前が手加減したんだろ」


「してないよ?」


「この男に?」


「してないってば」


「ちょっと待てよ、なんでそんなに信じないんだよ」


「見ればわかる」


「見た目判断やめろ!」


 しかし、気持ちはわからなくもない。


 俺だって逆の立場なら信じない。

 小柄な食堂娘と高校男子が全力で走って引き分けました、なんて言われても、「は?」ってなる。


 だが事実なのだ。

 そしてその事実が、俺の胃をじわじわ痛くしていた。


 レオンはふっと鼻で笑った。


「なら、試してみるか」


 嫌な予感がした。


 ものすごくした。


「いや、試さなくていいだろ」


「腕相撲だ」


「聞けよ」


「俺が勝てば、お前は怪しくないと認めてやる」


「認める条件そこ?」


「負けたら、ミリィに近づくな」


「急に重っ!?」


 なんなんだよこの騎士見習い!

 保護者か!


 ミリィは横で手を叩いた。


「いいね! じゃあ勝負――」


「だから言うな!」


 遅かった。


 言った。

 完全に言った。


 俺の背筋に、嫌なぞわっとした感じが走る。

 気のせいかもしれない。でも、たぶん気のせいじゃない。


 レオンが店のテーブルにどかっと肘をついた。


「来い」


「いや、俺は別にやるとは」


「怖いのか?」


「そういう煽り方するタイプかお前!」


「負けるのが怖いなら仕方ない」


「ぐっ……!」


 むかつく。


 めちゃくちゃむかつく。


 体育祭前日に「お前足遅そうだよな」って言われた時みたいにむかつく。


 俺は数秒だけ悩んで、それからため息をついた。


「……一回だけだからな」


「よし」

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