第3話 異世界人のフィジカルどうなってんの
異世界の朝は早い。
そして、床が硬い。
「いっっっっっった」
目を覚まして最初に口から出たのは、それだった。
木皿亭の食堂の隅。毛布を一枚借りて床で寝かせてもらったのだが、現代日本の柔らかいベッドに慣れきった高校生の体には、石の床と同レベルの硬さの木の板は厳しすぎた。背中がバキバキに痛い。
「あ、起きた? おはよう!」
厨房の方から、ミリィが顔を出した。
昨日の夜と同じ、栗色の髪を揺らして元気いっぱいだ。エプロン姿が板についている。
「おはよう……背中痛い……」
「床だもん、しょうがないよ。でも、外で寝るよりマシでしょ?」
「それはそう。昨日はマジで助かった。スープ、めちゃくちゃ美味かったし」
「えへへ、でしょ? おじいちゃん直伝の味だからね!」
ミリィはえっへんと胸を張った。
昨日の夜、俺はあの一杯のスープと黒パンで、文字通り命を救われた。マジで美味かった。五臓六腑に染み渡るとはあのことだ。
「さて、働かざる者食うべからず! 恩はきっちり体で返してもらうよ!」
「言い方。でもまあ、当然だな。何すればいい?」
「買い出し! 朝市に行って、今日の分の野菜と肉を仕入れてくるの」
「了解。荷物持ちだな」
ミリィが差し出してきた大きめの麻袋と背負いカゴを受け取る。
そんなに重くはないが、これに食材がパンパンに詰まったら、小柄なミリィには結構な重労働だろう。なるほど、男手が必要なわけだ。
「よし、じゃあ行くよ! お店から中央広場の市場の入り口まで、どっちが早く着くか勝負ね!」
「……ん?」
俺は麻袋を肩に担ぎながら、ミリィを見た。
「勝負?」
「そう、勝負! 負けた方が今日の皿洗い全部やるってことで!」
ミリィは無邪気に笑って、店の外を指差した。
いやいや。
俺は一瞬、苦笑いしそうになった。
俺は高校二年生の男子だ。対するミリィは、たぶん中学生くらい。身長だって俺の肩くらいまでしかない。
しかも俺は、一応これでも元・陸上部だ。中距離走メインだったとはいえ、足の速さにはそれなりに自信がある。
(小柄な女の子相手に、本気で走るのも大人気ないな……)
まあ、適当に手を抜いて、最後は華を持たせてやろう。
皿洗いなんてどうせ手伝うつもりだったし。
「わかった、いいぜ。その勝負、受けた」
「言ったね? よし、じゃあ……よーい、どん!」
ミリィが店の扉を飛び出していった。
俺は「はいはい」と余裕ぶりながら、その後を追って走り出す。
――そして、三分後。
「はぁっ! はぁっ! はっ、はあっ……!!」
「ちょっ、お兄さんっ、意外とっ、早いじゃん……!!」
俺は、王都の石畳を全力疾走していた。
手加減?
そんな余裕、一ミリもなかった。
「おまっ、ミリィ、足、速すぎ……っ!」
「そっちこそっ! 昨日、行き倒れてたのにっ!」
おかしい。
絶対におかしい。
俺は今、間違いなく現役時代のベストタイムに近いペースで走っている。
風を切る感覚。地面を蹴る手応え。どれをとっても完璧だ。少し足の速い高校生どころか、県大会に行けるんじゃないかってくらい仕上がっている。
なのに。
どうして、隣を走る15歳の女の子(エプロン姿)を追い抜けない!?
「そこっ、どいてーっ!」
ミリィが器用に人混みをすり抜けていく。
俺も負けじと後を追う。並ぶ。前に出ようとする。
だが、俺がペースを上げれば、なぜかミリィも同じだけペースを上げてくるのだ。
俺が半歩前に出れば、ミリィが半歩追いつく。
ミリィが前に出れば、俺の体に謎の力が湧いてきて半歩追いつける。
ずーーーーっと、真横。
完全な並走状態。
(なんだこれ!? 異世界人ってデフォでこんなにフィジカル強いのか!?)
だとしたら俺の「足にはちょっと自信ある」なんて、この世界じゃ最底辺のスライム未満じゃないか!
「ああっ、見えたっ! 市場の門……っ!」
「負けるかぁぁぁっ!!」
謎のプライドに火がついた俺は、最後の気力を振り絞ってラストスパートをかけた。
ミリィも「負けないっ!」と歯を食いしばって加速する。
そして。
「「ゴーーーーーーーールッ!!」」
ダァン! と、俺とミリィは同時に、市場の入り口にある木の柱にタッチした。
「はぁっ……はぁっ……げほっ、ごほっ……!!」
「はあーっ、はあーっ……うう、疲れ、た……っ」
完全に同時だった。
写真判定でも同着になるレベルの同時。
俺は膝に手をついて、肩で息をした。心臓が口から飛び出そうだった。肺が痛い。マジで死ぬかと思った。
横を見ると、ミリィも地面に座り込んで、めちゃくちゃ息を切らしている。
「はぁっ、はぁっ……引き分け、かー……」
ミリィが悔しそうに笑った。
「お兄さん、やるね。私、逃げ足だけは下町で一番なのに」
「はぁ……はぁ……お前こそ、なんだその……化け物じみたスタミナと、スピード……」
「ひどっ! レディに向かって化け物って!」
いや、化け物だろ。
元陸上部の全力疾走と完全に互角って、どういうバグだよ。
(……いや、待てよ)
俺は乱れた息を整えながら、ふと、あの白い空間での会話を思い出した。
『誰かがあなたに明確な勝負を挑み、あなたがそれを受けた時、相手との実力差は紙一重まで圧縮されます』
『必ず、ギリギリになります』
……ん?
ギリギリになる。実力差が圧縮される。
それってつまり。
「もしかして俺、能力のせいで無駄に苦戦させられた……?」
「ん? なんか言った?」
「いや、なんでもない……」
俺はがっくりと肩を落とした。
相手が格上なら、紙一重まで強くなれる。
だとしたら、相手が格下だったら?
俺の方が本来は足が速かったのだとしたら?
(実力差が圧縮されて、俺までレベルが下がってたのか……!?)
なんてクソみたいな能力だ!
俺は心の中で、あの腹立つ笑顔の女神に向かって中指を立てた。
「じゃあ、引き分けだからお皿洗いは半分こね! ほら、息整ったら市場入るよ!」
「……ああ、わかったよ」
ニコニコ笑うミリィの背中を見ながら、俺は重い足を引きずった。
異世界生活二日目。
俺のチート能力は、どうやら日常でも容赦なく発動するらしい。
先が思いやられるどころの騒ぎじゃなかった。
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