#16 嘘、へたくそ
帰宅すると律は自室にこもって頭を抱えた。
どうしてあんなことを言ってしまったんだろうという後悔が襲ってくる。ちゃんと蓮と普通に接することができると思った矢先なのだ。完全に律の八つ当たりで、蓮に非はないのに勝手に立ち聞きだと決めつけて怒鳴り散らした。律は蓮がどんな顔をしていたのかも見ていない。好きだと思う。大事だと思うのに、自覚するほど上手くできない。
気持ちは本当なのに、嘘をついている様な感覚が拭えない。
何度も蓮が壊れてしまう前に戻りたいと修復を試みているのに失敗してしまう。一度壊れてしまったら同じには戻れないのだろうか。割れた茶碗を直しても金継ぎの跡が残ってしまうように、なにもかも元通りなどというのは都合が良すぎる願いなのか。
「このままじゃ……蓮に嫌われる」
呟いた言葉は想像以上に現実味を帯びて律を震わせた。
いままで例え些細な喧嘩をしてもすぐに仲直りしていたが、律がこのままではいくら蓮でも我慢の限界が来るだろう。その果てにあるのは、蓮のいない世界。六歳から数えて十一年、ずっと一緒にいた分、律には蓮のいない世界など想像もつかない。父や修治がずっといたのと同じく、律の世界に蓮は存在していることが当然で当たり前すぎた。それが自分の身勝手で失うとしたら、恐ろしすぎる。
「それは……駄目。ちゃんとしなきゃ。普通に、しなきゃ」
律が小さくなって頭を抱えている間に放りだしたかばんのポケットからはみ出したスマホの画面が明るくなり、通知を知らせていたが音声を切ったままで律は気付きようもなかった。
しばらくして部屋の木戸が遠慮なしにがらりと開けられ、驚いて律は顔を上げた。肩に引っかけたかばんを放り投げ、蓮がずかすかと律に近寄り、しゃがみこんで近い距離を詰めてくる。それだけで律は緊張してしまい、混乱する。なにか言わなくてはならないと思いながら、言葉が出てこない。
「なあ、律。俺、なんかした?」
普段よりも低い蓮の声。かばんを放り投げた仕草に滲む苛立ち。
「して、ない。ごめん……八つ当たり、した」
「そんだけじゃねえよなー? 別に八つ当たりなんてどーでもいいんだよ。最近の律、変。だから、俺、なんかしたんかなって訊いてんの」
「してない。蓮はなにもしてない。僕が悪いだけだから」
少しでも距離を取ろうとしても律の背中はベッドでどうにもならない。蓮の真っ直ぐな視線が律に突き刺さり、痛い。苦しい。
「律が悪いってなに? 俺は律がなんかしたと思ってねーのに悪いって変じゃん」
咄嗟の言い訳を理解できないように蓮は更に距離を詰める。蓮の片手が律の肩を掴む力が痛い。力任せで掴んでいないと現実感がないかのような、縋るような手。誤解を解く機会だというのに、律は蓮の視線を受け止めきれずに目を背けた。──また、壊してしまったらどうしよう。
「律。なんか言って。わかんねーもん。……律がなんか隠してて、嘘ついてんのしかわかんねー」
「嘘ついてないし、隠し事もしてないよ」
どうにか落ち着いて話をできるようにと、律は精一杯の返事をした。しかし、それが裏目に出た。
「嘘じゃん! 嘘なんだよ、それっ! だって、律、俺のこと見ねーし……なんか怖がってっし。──律。俺、勝手に覚えてねえだけで、律のこと殴ったり、した?」
一気に乱れた声が消え入りそうに訊いてきた。
「それはない! 絶対にない! 蓮が僕に手を上げるなんてありえない!」
慌てて律は近い距離のままの蓮を見返して自由な方の片手で引き寄せた。律の想像を超えて蓮は最悪の思い込みをしてしまっている。それだけは否定しなければならないと反射的に手が伸びた。
「……律は、優しいから嘘つく。でもさー……へたくそなんだよなー……」
「違う、馬鹿! 本当に蓮はなにもしてないよ!」
「ガキん時さ。ここきて、初めての誕生日ん時。律、サプライズしようとしてんの隠そうとして嘘ついてんのバレバレだった」
「……え……?」
突然の昔話に不意を突かれて、蓮を引き寄せた律の手が緩んだ。たったほんの一瞬緩んだ力だけで、蓮はやすやすと律の腕から離れていく。ずきり、と律の心が痛む。なにか致命的な間違いをした、と思った時には遅かった。
「いまの律は、律じゃないみてえ。律なのに。無理して律のふりしてる偽物みてえ」
「にせもの……?」
「──俺さあ、律に理不尽に手え上げるかもしんないって否定できねえよ。だって、クソ親父の血ィ引いてっし」
「なに言ってんの!? そんなんないって言ってんじゃん!」
「も、いーよ。嘘つかんくて。俺、律のこと殴るくらいなら……ここ、出てく」
痛いくらいに掴まれていた肩の手も離れて、蓮はふらりと立ち上がるとそのまま部屋を出て行こうとした。
「待てよ、蓮! そんなのないから! 絶対ないから!! 嫌だよ、蓮がいてくれないと困るから待って!!」
追いかけて引きずり戻したいのに、律は立ち上がることもできない。
最悪だ。
全部、自分で抱え込んでめちゃくちゃに振り回した挙句の溝が想像を超えて深く蓮を抉って、嫌われるなどという簡単な自己陶酔の傷にさえならない。蓮がどんな顔をしていたのかも見えなかった。
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