第11話 洞窟の兵 後編
「フレイ逃げろ!!」
ディーンの声は、洞窟の壁に叩きつけられるように響いた。
焦り。
警告。
いつもの飄々とした調子とはまるで違う、鋭く切迫した声。
全員が反射的に振り向いた。
だが――遅い。
黒い影が、揺れた。
次の瞬間、フレイの巨体が横へ吹き飛んだ。
「がッ……!」
まるで大岩を砲弾で撃ち抜いたような音だった。
フレイは洞窟の壁に叩きつけられ、岩壁が蜘蛛の巣状にひび割れる。
寸前。
彼女は【
赤い魔力が一瞬だけ閃き、衝撃を殺した。
それがなければ、命はなかった。
だが、無事とは程遠い。
フレイの膝が崩れる。
盾を支えにしようとして、腕が震えた。
「く……そ……」
そのまま、彼女は片膝をついた。
戦闘不能。
「フレイさん!」
アリアが叫ぶ。
だが、ディーンはフレイへ駆け寄らない。
視線はただ一点。
黒い影へ向けられていた。
それは、先ほどの兵隊アリとは明らかに違っていた。
体長は百八十センチほど。
細長く、鋭い。
鎧も武器も持っていない。
だが、そんなものは必要ないとでも言うように、その外殻は鈍く黒光りしていた。
鎧より硬く、刃より危険。
腕と脚の先端は細く尖り、まるで槍の穂先だった。
そいつは、フレイを吹き飛ばした片手を軽く振った。
埃でも払うように。
なんの感慨もない。
その仕草だけで、今まで戦ってきた魔物とは格が違うと分かった。
(なんだこいつは……今までの奴らと格が違うじゃねぇか)
ディーンの背筋に、冷たいものが走る。
その一瞬を、テスタは待たなかった。
「ッ――!」
声にならない叫びと共に、彼女が動いた。
四本のナイフが空を裂く。
それぞれが目、喉、関節、胴の隙間を狙う完璧な軌道。
その後を追うように、テスタ自身が高速で接近する。
「バカ! やめろ!!」
ディーンが叫ぶ。
だが、もう遅い。
黒いアリは、飛来するナイフを見もしなかった。
ただ、片手を動かす。
カン、カン、カン、カン。
四本すべてが、空中で掴み取られていた。
「――な」
テスタの目がわずかに見開かれる。
次の瞬間、黒いアリの腕がしなる。
まるで虫を払うような一撃。
テスタの身体が地面へ叩きつけられた。
「がっ!!」
肺から空気が押し出される。
背中が岩肌に打ちつけられ、テスタの手から武器がこぼれた。
「テスタさん!!」
アリアが悲鳴を上げる。
黒いアリは、倒れたテスタを見下ろした。
そして指を尖らせる。
槍のように。
狙いは、心臓。
「止めて!!!」
アリアの叫びが洞窟に響く。
だが、魔物が止まるはずもない。
黒い指先が、テスタへ落ちる。
その瞬間。
ディーンが、そこにいた。
「――【
黒いアリの突きが、わずかに逸れた。
力の流れを正面から受け止めず、触れ、流し、軌道を変える。
槍のような指先はテスタではなく、地面へ深々と突き刺さった。
岩が割れる。
黒いアリは、自分の手が地面に刺さっていることを不思議そうに見た。
そして顔を上げる。
そこに、ディーンはいなかった。
テスタもいない。
【
気配を消し、倒れたテスタを担いだディーンは、すでにフレイの元へ移動していた。
テスタをそっと降ろす。
「アリア、二人の治療を頼む」
「え……でも」
アリアは黒いアリを見た。
あの魔物から目を離すことが怖い。
ディーンを一人にすることが怖い。
ディーンは振り返った。
いつもの顔だった。
けれど、どこか違う。
笑っているのに、目が冷えている。
「大丈夫。アイツは俺一人でやる」
アリアには、その表情がいつもより少し怖く見えた。
それでも。
「……うん。わかった」
彼女は頷いた。
自分にできることをする。
それが今、ディーンを助ける唯一の方法だった。
アリアはフレイとテスタの前に膝をつき、両手をかざす。
柔らかな光がこぼれた。
その間、なぜか黒いアリは襲ってこなかった。
ただ、ディーンを見ていた。
観察しているように。
「別に襲ってきても良かったんだが」
ディーンは剣を下げたまま、軽く肩を回す。
「何か待たせちまったなぁ……といっても、言葉は通じねぇか」
少し煽るように言った。
すると、黒いアリが口を開く。
「#$%&¥=――」
「?」
ディーンが眉をひそめた。
次の瞬間、魔物の口から別の音が出た。
「……あぁ、すまない。こちらの言葉ならわかるだろ? 人間」
洞窟の空気が凍った。
喋った。
魔物が、人の言葉を。
「喋れたのかよ……」
「あぁ」
黒いアリは、口元の形を歪めた。
笑っているように見えた。
「ここに来た奴らから学習した」
ディーンの目が細くなる。
「……そうか」
短い返事。
その奥に、冷たい怒りがあった。
「まぁ理由は何でもいい。それより――」
ディーンの足が、床を噛む。
「間合いだぞ」
その瞬間、ディーンが斬りかかった。
剣が閃く。
黒いアリの腕が変形した。
刃のように薄く、刀のように硬く。
ギィン!!
剣と外殻がぶつかり、火花が散る。
黒いアリの反撃。
槍のような指が、ディーンの喉へ伸びる。
「【流水】」
ディーンは身を捻り、手首で軌道を流す。
突きは頬の横を通り抜け、岩壁へ突き刺さった。
その隙に斬り返す。
だがアリは腕を盾のように変え、受けた。
硬い。
何度も、何度も。
洞窟内に金属音が響く。
剣撃。
突き。
流し。
斬り返し。
人間の目では追えない攻防。
その均衡を破ったのは、ディーンだった。
指先で小石を弾く。
【
小石が弾丸のようにアリの顔面へ飛ぶ。
しかし、黒いアリは上体を反らして避けた。
「チッ、これを躱すのかよ!」
だがディーンは笑う。
「……でもよう、体勢が崩れたぜ!」
踏み込む。
斬撃。
だが、黒いアリは崩れた姿勢のまま叫ぶ。
「ギギッ!!」
異様な角度から腕を跳ね上げ、剣を弾き返した。
だが、それもディーンの想定内。
「ハッ!!」
踏み込みの勢いを殺さず、拳を叩き込む。
【
拳が鋼のように固まり、黒いアリの腹部を撃つ。
ガァン!!
金属同士がぶつかったような音。
黒いアリの身体が壁まで吹き飛ぶ。
岩壁にめり込み、破片が散る。
ディーンは拳を軽く振った。
「……硬ぇな」
苦笑い。
黒いアリはすぐに立ち上がった。
腹部を押さえながらも、笑う。
「……ギギッ。今のは効いたぞ」
「そうかよ!」
二人は再び激突した。
---
アリアの治療を受けていたテスタが、かすかに目を開いた。
「……なんなんですか……あの魔物は。あんなの見たことない」
声が震えていた。
「テスタさん、動かないで。まだ治療中です!」
アリアは必死に治癒を続ける。
「……それに、そんなに怯えないで下さい。ディーンが何とかしてくれます」
それはテスタに言った言葉であり、同時に自分へ言い聞かせる言葉でもあった。
テスタは、そんなアリアを見て少しだけ冷静さを取り戻す。
「……確かにそうですね」
視線を戦場へ向ける。
「しかし……あの魔物と渡り合えている彼は、一体何者なのでしょう?」
その問いに、アリアは答えられなかった。
ただ、戦うディーンを見つめる。
「はぁぁ!!」
「ギギッ!!」
高速の攻防。
黒いアリは両腕を槍のように変形させ、無数の突きを放った。
ディーンは【流水】で受け流す。
右。
左。
喉。
目。
心臓。
脚。
しかし数が多い。
流しきれなかった一撃が、ディーンの頬を掠める。
赤い線が走った。
「チィ。このままじゃ埒が明かねぇ!」
ディーンは距離を取った。
黒いアリは片腕を槍にしたまま、口元を歪める。
「どうした? もう終わりか」
「……攻撃が通らねぇなら」
ディーンは剣を下げた。
「通すしかねぇよな」
「何を訳の分からないことを言っている!!」
黒いアリが踏み込む。
槍の腕が一直線に伸びる。
ディーンは、それを迎え撃った。
「【
刃が、外殻を斬った。
いや、外を斬っただけではない。
衝撃が内側へ通る。
硬い殻の奥、構造そのものへ。
黒いアリの腕が、根元から吹き飛んだ。
「ギギッ!! な、なんだ今のは……」
理解できない声。
ディーンは剣を構え直す。
「この技はな、お前みたいに硬いヤツに、ダメージを内部から与えるためにつくられた技だ」
少し肩をすくめる。
「だが、お前ぐらいの細い腕だったら切れちまうみたいだな」
「……そうか」
黒いアリの目が歪む。
「なら、これならどうだ!!」
斬られた腕が、瞬時に再生した。
さらに背中側から二本、腕が生える。
合計四本。
「これならお前も対処しきれないだろう!!」
四本の腕が同時に襲いかかる。
だが。
ディーンは、もう懐にいた。
「多けりゃいいってもんじゃないだろう」
【家伝斬術・通し】。
一本目の腕が落ちる。
「ギギッ! まだだ!!」
残りの腕が連続で突き出される。
ディーンは【家伝体術・蜿】で滑るように躱す。
蛇のように。
流れの間を縫うように。
斬る。
二本目。
斬る。
三本目。
「クソォォ!!」
黒いアリが残った腕を振りかぶる。
全力の一撃。
ディーンは半歩で躱し、懐へ潜った。
「これで終わりだ!!」
アリの攻撃を剣で防ぎながら、肘を腹部へ叩き込む。
【
外殻の硬さを無視して、衝撃が内部へ走る。
内側が砕ける音がした。
黒いアリの口から、血しぶきが噴き出す。
「バ、バカな……私が……負けるとは……」
その身体が、崩れ落ちた。
黒い外殻が岩の床にぶつかり、鈍い音を立てる。
ディーンはしばらくその死骸を見下ろしていた。
「……お前、結構強かったぜ」
それだけ言った。
---
「ディーン!!」
アリアが駆け寄ってくる。
「ディーン、勝ったんだね?」
「あぁ、まぁな」
ディーンは軽く頷く。
「それより、二人は?」
「アタシらなら大丈夫さね」
フレイが壁にもたれながら言う。
顔色は悪いが、声には力が戻っている。
「何とか歩けるぐらいには回復しました」
テスタも静かに答える。
ディーンはアリアを見た。
「流石だな、アリア」
「えへへ」
アリアは照れる。
「またイチャついてるね~」
「……そうですね」
フレイとテスタが少し呆れたように言った。
「そ、それより!」
アリアは慌てて話題を変える。
「ディーン、あの魔物は何だったの?」
「確かに、あれは何だったのでしょう?」
テスタも表情を引き締める。
ディーンは困ったように頭をかいた。
「俺に聞かれてもなぁ……」
少し考える。
「おそらくだが、アイツはここに来たヤツらを食って、言葉を学んだり戦い方を覚えたんだと思うぜ?」
テスタの顔色が変わる。
「そんなの、あり得ません!!」
だがフレイは、周囲を見渡していた。
洞窟の床。
壁。
先ほど倒したアリの装備。
「……なるほどね。だから遺体が一つもなかったんだね」
「ま、そういうことだ」
ディーンは短く答える。
重い沈黙が落ちた。
行方不明になった冒険者たち。
戻ってこなかった理由。
残らなかった遺体。
その意味を、全員が理解してしまった。
アリアがぱん、と手を叩いた。
「考えても分からないことは後にして、今はとにかく帰りましょう」
その声で、空気が少し変わる。
フレイが息を吐き、そして笑った。
「……それもそうだね。帰ろう。アタシたちの町に」
皆が頷く。
帰る。
生きて帰る。
それが今、何より大事だった。
だが次の瞬間。
グオオオオオオ――。
洞窟内に、獣の唸り声のような音が響いた。
アリア、フレイ、テスタが即座に戦闘態勢を取る。
しかし、ディーンだけが申し訳なさそうに手を上げた。
「……すまん。今のは俺の腹の音だ」
沈黙。
フレイが肩を落とす。
「ほんとアンタは……」
テスタが小さく呟く。
「締まりませんね」
アリアだけは嬉しそうに笑った。
「帰ったら、たくさん食べようね♪」
「あぁ。頼む」
そうして四人は、洞窟をあとにした。
暗く重い洞窟の空気から抜け出し、外の光へ向かって歩く。
その背中を、もう魔物が追うことはなかった。
---
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