第10話  洞窟の兵 中編


 アントスの西側にある洞窟は、町からそう遠くない場所にあった。


 山肌にぽっかりと空いた穴。

 入口の周囲には草木が生い茂っているが、洞窟の口だけは不自然なほど暗い。朝の光を浴びているはずなのに、その奥は墨を流し込んだように沈んでいた。


 ディーンは洞窟の入口に立ち、奥を覗き込む。


「しかし、こんだけ暗くちゃなんも見えないぞ」


 すると、フレイがにやりと笑った。


「テスタ!」


「はい」


 返事と同時に、テスタが鞄から小さなランタンのようなものを取り出した。

 金属の枠に透明な石がはめ込まれている。火を灯す場所は見当たらない。


「なんだそれは?」


 ディーンが首を傾げる。


「こちらは光の【魔道具まどうぐ】です」


 テスタは淡々と説明を始めた。


「本来、光の魔法を使うには光属性の術式や詠唱が必要になります。しかしこの魔道具は、魔力さえあれば術式も詠唱も必要ありません」


 テスタが魔力を流すと、透明な石が白く輝いた。

 やわらかな光が洞窟の闇を押し返す。


「へぇ……凄いな。外にはこんな物があるんだな」


 ディーンは素直に感心した。


 テスタは少しだけ目を瞬かせる。


「……ご覧になったことがございませんか?」


「あぁ。ウチの里には、こんなすごいのなかったなぁ」


 即答。


 テスタは沈黙した。


(形は違えど、似たような魔道具はどこにでもあるはずなのですが……)


 少なくとも、村や町なら照明用の魔道具くらいは珍しくない。

 それを“見たことがない”と言い切るのは、かなり異常だった。


「失礼ですが、どちらの里か教えていただけませんか?」


「ん? フィニス」


 その名を聞いた瞬間、ディーン以外の三人が顔を見合わせた。


 アリアは首を傾げ、フレイは眉をひそめ、テスタは記憶の中を探るように目を細める。


 誰も、その名を知らなかった。


「アンタ一体……」


 フレイが口を開きかける。


 だが、それをディーンが遮った。


「おい、さっそく魔物が来たぞ」


 その声は、ひどく静かだった。


 三人は一斉に洞窟の奥へ視線を向ける。


 闇の中から、影が揺れた。


 現れたのは十体の【ゴブリン】。

 小柄な体に醜い顔。手には粗末な棍棒。こちらを侵入者と認識したらしく、黄色い目をぎらつかせて襲いかかってきた。


 だが――最初に動いたのは、ゴブリンではなかった。


「……まず一体」


 声は、ゴブリンたちの背後から聞こえた。


 次の瞬間、一体の首から血しぶきが上がる。

 テスタがそこにいた。いつ移動したのか、誰にも見えないほど自然に背後を取っていたのだ。


「やるねぇ! テスタ。アタシも負けてられないね!!」


 フレイが前へ出る。


 円盾を構え、まるで馬車のような勢いでゴブリンへ突っ込んだ。

 盾の縁がゴブリンの胸を押し潰し、そのまま壁へ叩きつける。


 ぐしゃり、と嫌な音。


 続けてフレイは潰れたゴブリンの手から棍棒を奪い、近くの別個体の頭を容赦なく叩き砕いた。


「すっ……すごい」


 アリアが思わず呟く。


 その視線がディーンへ移った時、彼の周囲を囲んでいた四体のゴブリンの首が、同時に落ちた。


 速すぎて、剣筋が見えない。

 ただ、結果だけが残っている。


「アリア」


 ディーンが声をかける。


 アリアは瞬時に銃を構えた。


「うん。大丈夫」


 その返事と同時に銃声。


 ゴブリンの眉間に穴が空き、後ろへ倒れる。


「……眉間に一撃か。やるじゃねぇか、アリア」


「任せてよ!! 私だってやれるんだから」


 少し自慢げに胸を張る。


「……だけど」


 ディーンが言いかけた時だった。


 アリアの背後の横穴から、ゴブリンが三体飛び出してきた。


「え? きゃっ!!」


 振り返るより早く、投げナイフが飛ぶ。


 三本。


 それぞれがゴブリンの頭に正確に突き刺さった。


「お、さすがにやるな~」


 ディーンが感心しながら視線を向ける。


 ナイフを投げたテスタは、何事もなかったように丁寧にお辞儀をした。


「恐縮です」


「テスタさん、ありがとうございます」


 アリアが駆け寄る。


「これで全部かね?」


 フレイもゆっくり歩み寄った。


「この程度の奴らが原因じゃないよな?」


 ディーンが尋ねる。


「そうさね……この程度ならCランクパーティーで十分対処が可能さ」


 フレイは答える。


「おそらく原因は別にあります。もう少し奥へ行かなければなりませんね」


 テスタも同意した。


「じゃあとっとと――」


「先に行こうか」


「先に行きましょう」


 ディーンとアリアの声が、ぴたりと重なった。


 フレイが微笑みと呆れの混じった顔をする。


「……アンタら、ずいぶん仲良しだね」


 アリアは「えへへ」と照れた。

 ディーンはすっと視線を逸らす。


「……早くいくぞ」


「話を逸らしたね」


「逸らしましたね」


 フレイとテスタの呟きが、妙に揃った。


 ---


 一行はさらに洞窟の奥へ進んだ。


 光の魔道具が照らす石壁は湿っている。

 ところどころに水滴が垂れ、足元にはぬかるみもある。


 奥へ行くほど空気は重くなった。


「しかし、ここは空気が悪いな~」


 ディーンがぽつりと呟く。


 だが、他の三人にはいまいち伝わらない。


「あんまり変わらないと思うけど……ねぇ?」


 アリアがフレイとテスタに視線を送る。


「そうだねぇ。特に何も感じないね」


「そうですね。わたくしも」


「そうか……ウチの里が空気が綺麗だっただけなのか?」


 ディーンは首を傾げる。


 フレイが目を細める。


「さっきも言っていたけど、アンタの里って……」


 言いかけて、彼女は止まった。


「……本当に間が悪いね」


 その視線の先。


 闇の中に、新たな影があった。


 アリアが息を呑む。


「なに……あの魔物?」


「あり得ないね……」


 フレイが苦笑する。


「武器を……魔武器を持っているなんて……」


 そこにいたのは、二足歩行のアリだった。

 体長は約百四十センチ。黒い外骨格。節のある手足。


 だが異常なのは、その姿ではない。


 鎧を着ている。

 そして、マスケット銃を構えていた。


 銃装備のアリが十体。


 その後ろには、刀、斧、槍を装備した同型のアリが四十体。


 合計五十体。


 まるで軍隊だった。


「驚いてる場合じゃないぞ。構えろ」


 ただ一人、ディーンだけが冷静だった。


 その声で、全員が我に返る。


 最前列の鉄砲アリが、一斉に発砲姿勢を取った。


 引き金に指がかかる。


 その瞬間。


 ディーンの指先から、何かが飛んだ。


 小さな影。

 石だ。


 弾かれた小石が銃身に吸い込まれ、内部で噛み合いを狂わせる。


 暴発。


 爆音と火花が洞窟内に響いた。


 すかさずテスタが動く。

 投げナイフが鎧の隙間へ飛び込み、五体の【鉄砲アリ】を同時に仕留めた。


「ディーンさん、今のは?」


 テスタが尋ねる。


「今のは小石を弾いただけ。ウチでは【はじき】って呼んでるけど、技というほどのものじゃないな」


 そう言いながら、ディーンは次々と石を弾いていく。


 小石は銃口へ、関節へ、兜の隙間へ。

 正確に飛び、敵の動きを止める。


「さっすがディーン。私も負けてられないね」


 アリアは嬉しそうに二丁の銃を構え、応戦を始めた。


 銃声が洞窟内に反響する。


 鉄砲アリが減ったところで、後方の近接部隊――【兵隊アリ】が前へ出た。


「ここはアタシの出番だね」


 フレイが盾を構え、突撃する。


 片手剣が一体の腕を斬り落とし、円盾が別の個体の胸部を粉砕する。

 だが兵隊アリはただの魔物ではなかった。


 連携を取る。


 槍が距離を作り、斧が側面を狙い、刀持ちが隙を突く。


「鬱陶しいねぇ……ディーン! こいつら連携を取ってきやがる! 気を付けな!」


 アリを薙ぎ払いながら、フレイが叫ぶ。


「あぁ! 分かってる!」


 ディーンは返事をしながら、歩法を変えた。


 【家伝体術かでんたいじゅつえん】。


 蛇のように、うねる。


 直線ではない。

 右へ行くと見せて左へ。

 前へ進んだと思えば、半歩で斜め後ろへ流れる。


 敵と敵の間を滑り抜け、囲まれるより先に隙間を作る。

 そして通り抜けざまに斬る。


 一体。

 二体。

 三体。


 止まらない。


 一方、フレイは少し苦戦していた。


 兵隊アリたちは統率を取り、しつこく彼女を囲む。

 武器の扱いも雑ではない。むしろ訓練された兵士に近かった。


 アリアとテスタは、即席で二人一組の形を作っていた。


「アリアさん! 私の動きに合わせて援護をお願いします!」


「はい!」


 テスタが疾走する。


 影のように敵の懐へ入り、急所を切る。

 アリアはその軌道を読み、テスタを狙う敵の関節や目を撃ち抜いていく。


 切る。

 撃つ。

 逸らす。

 仕留める。


 二人の連携で、アリの数は目に見えて減っていった。


 しかし。


 フレイを囲む兵隊アリの数は、まだ多い。


「いい加減にしな!!!」


 洞窟内に、フレイの怒声が響く。


「魔力解放!」


 次の瞬間、フレイの周囲の空気が爆ぜた。


 兵隊アリが吹き飛ぶ。

 炎のような赤い魔力が彼女の身体を包み、その装備を変化させた。


 赤い鎧。


 片手剣と円盾が、真っ赤に燃える。


「【戦乙女の炎鎧ヴァルキリードレス】――」


 フレイが踏み込む。


 燃える剣がアリの鎧ごと胴を焼き切り、盾の縁が別の兵隊アリを灼熱で叩き潰す。


 そこからは一方的だった。


 炎が走る。

 鋼が溶ける。

 外骨格が炭化する。


 そして――最後の一体が崩れ落ちた。


 静寂。


「……終わった~。もう私動けない」


 アリアがその場に座り込みそうになる。


「このアリたちが原因だったのかな?」


「恐らくそうだろうね……」


 フレイは周囲に転がる魔武器を見て、少し寂しそうな顔をした。


「アイツらの装備、どこかで見たことのあるものばかりだったからね」


 ディーンはその表情に気づきながらも、あえて話題を変えた。


「それにしても、アンタのその装備すげぇな」


「お、そうかい」


 フレイは笑う。


「コイツはね、アタシが魔力を流すと能力が解放される特別製の装備なんだ。でも消耗が激しいから、あんまり使わないけどね」


「確かに……最後に拝見したのは五年ほど前でしょうか」


 テスタが言う。


「そんな前だったかい? まぁいいさ」


 フレイは肩を回した。


「これで任務完了だよ。さぁ町に帰ろう」


「私もうヘロヘロです。早く帰ってゆっくりしたい」


 アリアが歩き出す。


 テスタも続き、フレイも剣を収める。


 ディーンだけが、ふと足を止めた。


 空気が変わった。


 さっきまで誰もいなかった場所。

 そこに、黒い影が一つ。


 音もなく。

 気配もなく。

 まるで闇から染み出したように。


 ディーンだけが、それに気づいた。


 振り向きざま、叫ぶ。


「フレイ逃げろ!!」


 ---



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