第12話 帰還と日常そして旅立ち
洞窟の外へ出た瞬間、空の青さが目に痛かった。
暗く、湿って、血と鉄と魔物の臭いに満ちた洞窟。
その中で死闘を繰り広げた後だからこそ、外の風はあまりにも優しかった。
アリアは胸いっぱいに空気を吸い込む。
「……帰ってきたんだ」
ぽつりと呟いた声は、自分でも驚くほど小さかった。
フレイは肩を回しながら歩いている。
テスタはいつも通り涼しい顔をしているが、足取りはわずかに重い。
ディーンだけは、まるで朝の散歩の帰りみたいな顔をしていた。
ただし、腹の音だけは洞窟の魔物より凶悪だった。
「……なあ、町まであとどれぐらいだ?」
「もうすぐだよ」
アリアが苦笑する。
「ならよかった。そろそろ腹と背中がくっつく」
「さっき洞窟の中で鳴ってたもんね」
「俺の腹は正直なんだよ」
そんな他愛もない会話をしながら、四人はアントスへ戻っていく。
やがて、花の町の入口が見えてきた。
町の柵。
朝日に照らされる屋根。
風に揺れる小さな花壇。
そして、その入口に立つ細い影。
神父――ジョセフだった。
「神父様!!」
アリアは駆け出した。
ジョセフもまた、老いた体に似合わぬ速さで歩み寄る。
「アリア!!」
ふたりは町の入口で抱き合った。
「アリア、心配したよ。怪我は無いかい?」
ジョセフの腕は、昔よりずっと細くなっていた。
子どもの頃、アリアにとって神父は大きかった。
どんな時も守ってくれる、広くて強い背中だった。
けれど今、抱きしめられて初めて気づく。
(いつの間にか、こんなにも小さく痩せていたのね……)
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
それでもアリアは口にしなかった。
代わりに、精一杯笑った。
「はい! 大丈夫です。みんながいてくれたので……心配かけてごめんなさい」
少し涙目になりながら言う。
ジョセフはほっと息をつき、それから後ろの三人に気づいた。
「皆さん……本当にありがとうございました」
涙を浮かべ、深く頭を下げる。
ディーンは少し困った顔をした。
「……そんな泣くほど心配な癖して、よく今回の依頼OKしたな?」
ジョセフは苦笑する。
「アリアはこう見えて頑固で、一度言ったら聞かないんです。それに今回は皆さんもいるとのことでしたので……しかし、だからと言って心配しないわけではありません」
「……そいつは連れ回して悪かったねぇ」
フレイが珍しく素直に頭を下げる。
「しかし、アリアさんのおかげでギルド長も私も無事帰還することが出来ました」
テスタが静かに言った。
「そうなんですか?」
ジョセフが驚く。
「まぁな。アリアがいなかったら、その二人は確実にあの洞窟で死んでいただろうな」
ディーンはさらっと言う。
ジョセフは、涙をこぼしそうな顔で微笑んだ。
「……そうなんですねアリアはお役に立てたんですね。本当に良かった」
その言葉には、アリアへの誇りが滲んでいた。
少しだけ静かな時間が流れる。
それを破ったのは、当然のようにディーンだった。
「さてと、メシに行くか!!」
力強い宣言。
ジョセフが目を瞬かせる。
「え? まずはお休みになられないんですか?」
「アタシらはそうしたいんだけどね……」
フレイはテスタと顔を見合わせ、苦笑する。
「ディーンがもう限界だから」
アリアは呆れつつも、楽しそうに言った。
「分かりました。アリア、私は教会で待っていますので、食べ終わったら帰ってきてください」
「はい!」
「それで、どこの店に行くんだよ?」
待てない男、ディーン・アース。
「はいはい……ちょっと待ちな。ったく、ギルドの横の食堂に行くよ。付いてきな」
フレイが先導し、一行はギルド横の食堂へ向かった。
---
ギルド横の食堂は、外から見ると食堂に見えなかった。
看板もない。
大きな窓もない。
まるで宣伝する気がない建物である。
「ここ食堂だったんだな~」
ディーンが少し驚く。
「まぁ、もともとはギルドの一階にあったんだけどね」
フレイが説明した。
「バカどもが騒いで食堂を壊したりするから、それならいっそって話になって隣に建て直したのさ。だから別に看板なんかなくても、ギルドの連中はどこで飯を食うか分かってるってわけさ」
「ふ~ん。なんでもいいさ、さっさと入ろうぜ」
ディーンは迷いなく扉を開けた。
中に入ると、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
焼き立てのパン、煮込み肉、香草、スープ。
戦いの後の空腹には、もはや暴力に近い匂いだった。
「いらっしゃい、四人とも」
厨房から、小柄な男性が顔を出した。
背は低く、体つきも細い。
けれど目元は優しく、厨房に立つ姿がとても自然だった。
「君がディーン君だね? 話はギルドの子たちから聞いてるよ」
「あ、どうも」
「僕はディオニ。ここの料理長で――」
「アタシの旦那だ!!」
フレイが割り込んだ。
静寂。
「えぇ!?」
ディーンが、今までで一番というほど驚いた。
「アンタ旦那なんていたのか?……」
「いたら悪いかい?」
フレイが凄む。
「いや、そんなことないぞ」
ディーンが少したじろぐ。
ディオニは苦笑しながら手を叩いた。
「まぁまぁ、落ち着いてよ。料理食べるんでしょ?」
「そうですよ! もうご飯食べましょう」
アリアもすかさず乗る。
「それもそうだね」
フレイも納得し、一同は席に着いた。
アリアはディーンにこそこそ言う。
「……もうディーン、気を付けてよ」
「……あぁ、悪かったよ。つい驚いちまった」
ディーンもこそこそ返す。
そんなやり取りの間に、料理が次々と運ばれてきた。
肉料理。
魚料理。
スープ。
パン。
野菜の盛り合わせ。
「何はともあれ、お疲れさん」
フレイが豪快に笑う。
「今日はギルドのおごりだ。好きなだけ食べておくれ!」
「本当か!! やったぜ」
ディーンの目が輝いた。
そして、フレイはこの発言を後悔することになる。
十人前。
二十人前。
料理が消えていく。
食べている。
飲み込んでいる。
なのに速度が落ちない。
「テスタ、こいつの胃袋どうなってるんだい?」
フレイが呆然と尋ねる。
「……本当に、いつまで食べ続けるのでしょうか?」
テスタも表情こそ崩さないが、声に困惑が滲んでいた。
アリアは諦めたように言う。
「以前も三十人前を軽々平らげていました」
ディーンは三十人前ほど食べ終わり、さらに十人前ほどのデザートを平らげたところで、ようやく手を止めた。
「そろそろ終わりにするか。腹八分目ぐらいって言うからな! 料理うまかったぜ!」
ディオニは笑顔で答える。
「それはよかった。こんなに食べる人は初めてだったよ。よかったらまた来てね」
だが厨房の方を見ると、従業員たちが屍のように倒れていた。
ギルドの料理人でも、この量をこの速度で作るのは重労働だったらしい。
フレイは心の中で誓った。
(こいつに飯を奢るのは、もう絶対にしない)
---
食後。
空いた皿の山を前に、テスタが静かに口を開いた。
「ところで、あの魔物は一体何だったのでしょうか?」
「あんなのアタシも見たことがないね」
フレイも腕を組む。
空気が少し重くなった。
「確か、あの魔物……人の言葉を話していたよね?」
アリアがディーンを見る。
「あぁ」
ディーンは頷く。
「おそらくアイツは、人を食べることによって人間の知性や言葉、それに力や技も手に入れていると思う」
「……つまり、進化してるってことかい?」
フレイが低い声で言う。
「本来なら、魔物が人間を食して進化するなどありえませんが……」
テスタの表情が硬くなる。
「……実際に遭遇しちまったんだからしょうがないね」
フレイはため息を吐いた。
「まぁ、ここで憶測ばかり言っていても仕方ない。今度あの洞窟にあるアリたちの遺体を回収して調べてみるさ」
そしてテスタを見る。
「テスタ。調査の依頼をギルドに出すのと、近隣の町にも注意喚起をしといてくれるかい」
「かしこまりました」
テスタは短く返した。
フレイは空気を切り替えるように、ぱんと手を叩いた。
「さて! この話はここまで」
そして、アリアとディーンへ向き直る。
「アンタ達、今回はよくやってくれたね。二人がいなかったら、あのアリ共に町を滅ぼされていたよ……町を代表して礼を言うよ。本当にありがとう」
深く頭を下げる。
アリアは慌てた。
「そんな、お礼だなんて。みんなの協力のお陰じゃないですか」
「そうだな。一人でも欠けてたら帰ってこれなかったかもな」
ディーンもさらっとフォローする。
そこでテスタが話を変えた。
「ところで、ディーンさんはこれからどうするつもりですか?」
その質問に、アリアの表情が一瞬だけ曇った。
ディーンは少し考えてから答える。
「そうだな……明後日ぐらいには、この町を出ようと思う」
アリアは、少し悲しそうに目を伏せた。
ディーンはそれに気づいていた。
けれど、あえて何も言わなかった。
ここで何を言っても、アリアを傷つけることになる気がしたからだ。
「さて、飯も食ったし。アリア、教会に帰るか」
わざと明るく言う。
アリアも元気を振り絞るように笑った。
「うん!」
「じゃあな、ギルド長、秘書さん」
ディーンは席を立つ。
「おう! 何かあったら言っておくれ。力になるから」
フレイが手を振る。
テスタは静かにお辞儀をした。
ディーンとアリアも手を振り返し、店を出ていく。
少しの静寂。
「……しかし、とんでもない男だったね」
フレイが呟く。
「……何者だったんですかね、彼」
テスタが問いかける。
「さぁね」
フレイは椅子にもたれた。
「でも不思議だねぇ。アイツを見ていると、あの男を思い出すよ」
「あの男?」
「……二十年前、アタシは依頼中に死にそうになったんだ。この時ばかりはもうだめだと思ったね」
フレイは懐かしむように目を細める。
「その時、男が現れて魔物を一掃したんだ。その戦う姿は、まるで鬼神のようだったよ」
「つまり、その方とディーンさんが似ていると?」
「偶然だと思うけどね……そういえば確か名前は――」
その名は、まだ語られなかった。
---
翌朝。
教会の廊下を、アリアは少し急ぎ足で歩いていた。
「ディーンいるー?」
ディーンの部屋をノックする。
だが返事はない。
扉を開けても、部屋にはいない。
「またどこか行ってる……」
今度は神父の元へ向かう。
「神父様ー! ディーン知りませんか?」
「ディーン君なら川の方に行きましたよ」
「分かりました!! ちょっと川まで行ってきまーす」
アリアは明るく走り出す。
「はい。気をつけて行ってらっしゃい」
ジョセフは優しく見送った。
誰もいなくなった教会で、ぽつりと呟く。
「……そろそろですかねぇ。少し寂しいですが」
---
川へ着くと、ディーンは上半身裸で水の中に立っていた。
音も立てない。
水面もほとんど揺らさない。
気配を溶かし、魚の動きを読んでいる。
次の瞬間、腕が水中へ伸びた。
魚を素手で捕まえる。
「ディーン! 朝ごはん食べよー」
アリアが声をかける。
「おぉ、丁度いい。今、食材を獲ってたんだ」
ディーンは魚を籠へ放り込む。
そして草陰の方へ歩いていった。
そこには、山菜、果物、そして――
ビッグボア。
「……うわ~、すごいね。それ朝ごはんで食べるの?」
アリアは少し引いた。
だが、だんだん彼の非常識な食欲に慣れてきた自分もいる。
「おぉ! やっぱり自分の食うものぐらい、自分で何とかしないとな」
(やっぱり一食分なんだ……)
アリアは苦笑しつつも、明るく言う。
「じゃあ帰ろっか!」
「おう!」
二人は教会へ向かって歩き始めた。
アリアは、この時間が好きだった。
ただ並んで歩く。
何か大きな話をするわけでもない。
それでも、十年分の隙間が少しずつ埋まっていく気がする。
「どうした? なんか嬉しそうだな、アリア」
「んーん、別に何でもないよ」
にっこり笑う。
「……そうか」
ディーンも、まんざらでもなさそうに答えた。
---
教会に戻り、食事を済ませた後。
「ディーン君、今日はこれからどうするんだい?」
ジョセフが尋ねた。
「ん~そうだな……まだ次の目的地が決まってないから、ギルドに行ってちょっと聞いてみようと思ってる」
「……」
アリアの顔が少し曇る。
ジョセフは、それに気づいた。
「ではアリア。付いて行ってあげなさい」
「え!? あっ、はい!」
アリアは少し驚きつつも、嬉しそうに返事をした。
「おっ、じゃあ一緒に行くか」
ディーンは特に何も気づかないまま笑う。
二人はギルドへ向かった。
---
ギルドの受付で、ディーンは尋ねた。
「ギルド長か秘書さんはいるか?」
「あ、ディーンさん! 先日は本当にありがとうございました! ギルド長かギルド長秘書ですね~」
受付嬢が確認しようとした、その時。
「私に何か御用ですか? ディーンさん、アリアさん」
背後からテスタが現れた。
「あ、テスタさんこんにちは」
アリアが挨拶する。
「いや、ちょっと聞きたいことがあってな」
「それでしたらギルド長室へ行きましょう」
二人は案内された。
ギルド長室では、フレイが大きな椅子に座っていた。
「……それで今日はどうしたんだい?」
「別に大したことじゃないんだが、明日旅立とうと思ってるんだ。でも、どこに行ったらいいか迷っててな~」
「そうだね~。なんかあるかい、テスタ?」
「……そうですね」
テスタは少し考える。
「ディーンさんは修行が目的とのことでしたので、とりあえず交易都市トラーニュを目指してみてはいかがですか?」
「トラーニュ?」
「はい。トラーニュは様々な人が行き来する港湾都市です。ディーンさんの欲しい情報が手に入ると思います」
「……なるほどな。行ってみるか」
ディーンはあっさり決めた。
「そうかい。他にアタシらにできることはないかい?」
「いや、大丈夫だ。世話になったな」
「世話になったのはこっちの方さね。短い間だったけど、アンタといて楽しかったよ」
「俺も楽しかったぜ。じゃあまたな」
ディーンは手を振る。
アリアも頭を下げ、二人はギルドを後にした。
---
その日の夜。
教会の聖堂で、アリアは一人悩んでいた。
(もうすぐディーン行っちゃうのかな……いやだなぁ。もっと一緒にいたい)
胸の奥が苦しい。
(……そうだ! ここで一緒に暮らすっていうのはどうかな?)
すぐに首を振る。
(いやダメだ。そんなこと言えない……!)
両手を胸元で握る。
(いっそのこと、私が――)
「アリア」
声をかけられ、肩が跳ねた。
「こんな遅くにどうしたんですか?」
ジョセフだった。
「え!? あっ、その……」
言葉に詰まる。
ジョセフは穏やかに微笑んだ。
「……彼と一緒に行きたいのでしょう?」
「!? 神父様、どうして?」
「何年あなたと暮らしていると思っているんですか。分かりますよ、それぐらい」
「……神父様」
「彼と共に生きたいのでしょう? なら、彼に付いていきなさい」
アリアは焦って首を振る。
「行けません! だって私は……この教会のシスターで……」
「大丈夫ですよ」
ジョセフは優しく言った。
「実はあなたは、教会の正式なシスターではありません。お手伝いをしてもらっているだけです」
「え? そうなんですか?」
「……そうです。だから安心して行ってきなさい」
アリアはジョセフに抱きついた。
「……神父様、ありがとう」
涙がこぼれる。
ジョセフも目に涙を浮かべていた。
「……アリア、大きくなりましたね。12年前、教会の前にいた子が、こんなに綺麗に育つなんて」
背を撫でる手が優しい。
「体に気を付けるんですよ」
「……はい!」
こうして、夜は更けていった。
---
翌日。
町の入口。
ディーンは荷物を背負い、アリアを見る。
「ホントにいいのかよ、アリア」
「うん! 大丈夫。ディーンを一人にしておけないもん!」
張り切った声。
ジョセフは二人を見守っていた。
「二人とも、気を付けて行ってきてください」
「おう」
「はい」
二人の声が重なる。
「神父様ー! いってきまーす!!」
アリアの元気な声が、朝の町に響いた。
二人は歩き出す。
花の町アントスを背に。
次の目的地、交易都市トラーニュへ。
ジョセフは、二人の背中が見えなくなるまで見送っていた。
「……しかし、アリアの為とはいえ嘘をついてしまいました」
そう呟き、懺悔の形をとって教会へ戻る。
静かな祈りの中で、彼は目を閉じた。
――そして、一か月後。
神父ジョセフは、何者かによって殺害された。
---
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