2-2 ついでに恋も始めよう
胸倉を掴んでもなお逢子の方へちらちら目を向ける陽介に、香織は小さく舌打ちすると自ら司会を呼びつけた。今日のパーティでは余興の一つとして、田崎夫妻にまつわるちょっとしたクイズを用意してある。勝者には簡単な商品(入浴剤の詰め合わせだが)も出るし、これが始まれば風向きはきっと戻ってくるに違いない。
「ああー、皆さん、こちらにご注目ください。これよりクイズ大会を始めます! 優勝者には豪華景品もありますので、是非ご参加を……」
華のない司会の声に呼ばれて、それでも半数程度の参加者が香織の方へと顔を向ける。逢子と淳紀は一番後ろの席に腰かけて、どうやらクイズには参加せず観戦するつもりのようだ。
薄暗い電灯の下で二人肩を並べながら、淳紀は柔らかな笑みを浮かべしきりに逢子に話しかけている。逢子の方はあまり表情が晴れないようだが、それでも時折彼の方を見上げ、ふわっ、と緩やかに微笑んでいる。
薄桃色に潤む唇が、甘えたようにその名をかたどる。――淳紀、と。
(面白くない)
何をとろけた顔をしているんだ。もっと傷つけよ。俯けよ。お前の元彼とそれを奪った女が、今目の前で幸せになろうとしているんだぞ。
ギッと奥歯を噛みしめながら、香織は隣の陽介を見上げる。誰に見せても恥ずかしくない、自慢の夫――だが、飛べない鳥が空を見上げるようにぼんやり遠くを眺めるその姿は、淳紀の堂々とした立ち振る舞いと比べるとあまりにも頼りなくて。
(面白くない――)
心の中に怒りと苛立ちが静かに降り積もっていく。
(面白くない。面白くない。面白くない!!)
ぱらぱらと乾いた拍手が聞こえ、クイズ大会が終わったことに気がついた。やっと終わりかとでも言いたそうに参加者はそれぞれの輪へと戻り、食事を取りに行ったり、飲み物を頼んだり、元のまったりとしたパーティの空気へ戻っていく。
そして一部は当然のように各々のグラスを手に持つと、末席に座る逢子と淳紀の元へと歩み寄っていった。話の内容までは聞こえないものの、はにかむ逢子の表情を見る限り、どうやら奴らにとって不快なやりとりというわけではなさそうだ。
結局大きな盛り上がりもないまま緩やかに時は過ぎ、定刻を迎え婚約祝いパーティはお開きとなった。
最後に締めの挨拶を行う陽介の間延びした声を聞きながら、香織は左手の薬指に光るダイヤモンドに爪を立てた。
*
「あー、面白かった!」
「なんだかドッと疲れたよ……」
街灯の照らす公園の中を二人並んで歩きながら、私は大袈裟でもなく自分の胃の辺りを押さえてみせた。
陽介さんと香織の結婚祝いパーティも終わり、すっかり日は暮れて夜景も綺麗な夜の横浜の港沿い。
パーティに参加した男性社員たちから二次会へのお誘いを受けたけれど、正直これから飲みに行けるほど私はタフな人間じゃなかった。身体も心もへとへとのくたくた。きっと目の前にベッドがあったら、化粧も落とさずドレスも脱がずに三秒で眠ってしまうと思う。
新倉さん――改め、淳紀も誘われていたのだけど、彼の方もまた「逢子を駅まで送るから」なんてあっさりお断りを告げて、私たちは二人で先にレストランを後にした。まっすぐ駅へ向かっても良かったけど、二人とも気持ちが浮ついていて、少し夜風に当たろうと言ってこの海辺の公園へ寄り道したのだ。
「前川香織のあの顔見た? 傑作だったな。あんなに露骨に悔しがってくれるとは思わなかった」
「そんな顔してたの? あの香織が? 私、全然見る余裕なんてなくて」
「すごかったよ。パーティの主役を完全に奪われて、もう『キーッ』って感じ。悔しさが燃えてたね」
「そ、そうだったんだ。でも私たち、何もしてないようなものだったけどな……」
私たちのしたことといえば、ちょっとおめかししてパーティに参加しただけ。むしろ、いつもの根暗丸出しスタイルでお邪魔する方が良くない気もするけど、香織は一体何をそんなに悔しがったのだろうか。
やっぱり、夫になる陽介さんより淳紀の方が格好良かったから? 確かにあの会場での彼はちょっと場違いなくらい魅力的で、香織以外の女性社員もきゃあきゃあ目を輝かせていたけれど……。
「……まあ、確かにちょっと目立ち過ぎたかもな。どいつもこいつも、あんなに簡単に手のひら返してくるとは思わなかった」
遠くに浮かぶ船を眺めながら、淳紀はぽつりと呟く。
「もうちょっとこう、カップル感を出していっても良かったな。田崎たちに変な噂を流されることはもうないだろうけど、今度は別の面倒事が寄ってくるかもしれない」
「面倒事って?」
「だから……いや、まあ、いいや。とにかく、何かあったら俺に相談しろってこと。ここまで一緒にやってきたんだ、俺たちもう仲間でしょ」
なんだか少年漫画のような、無邪気で可愛い言い回し。私がくすっと肩を揺らすと、淳紀は困ったようにはにかむ。
海の向こうに見える大きな観覧車の輝きが、緩やかな回転とともに少しずつ色を変えていく。遅い時間でも灯の消えないまばゆいほどのビルの明かりが、真っ暗な夜の水面を目が痛むほど照らしている。
その光に吸い込まれたみたく、私は足を止めていた。潮の混ざった風が吹き抜け、崩れた髪をますます乱す。ほつれたところを手で押さえようとすると、視界の端から別の手が伸びてきて、武骨な指に似合わない繊細さで飛び出たピンを押し込んでくれた。
「どうしたの」
「ううん」
夜闇の更に奥を見つめて、私は小さな声で言う。
「これで、終わったんだと思って」
通り過ぎていく大きな船の脇から広がる緩やかな波に、今までの記憶が淡く浮かんでは音もなく弾けて消えていく。
大好きだった陽介さん。優しくて格好良くて仕事ができて、私の手を引っ張りながらたくさんのことを教えてくれた人。
オレンジのドレスに身を包んだ綺麗な婚約者を隣に並べ、彼は何度も、何度も何度も、私の方を振り返っていた。
今となっては彼の本当の気持ちなんてわからない。ただ私にできることといえば、過去の思い出に感謝しながらはっきり別れを告げることだけ。
これでよかった。
そう。それだけは間違いない。
「逢子?」
淳紀が目を丸くしたのは、私が彼の手を握ったからだ。
ロマンチックな握り方とは違う、手首を鷲掴みにするような――そして私は戸惑う彼に気づかないふりをしたまま、海へ向かって、彼の手ごと自分のこぶしを突きつけた。
「……ざまあみろ!」
どこへも反響しない声が、暗闇の波へ飲まれていく。
ざざ、と波の音。それから、左手を掲げられたままの淳紀が突然、
「ははっ」
と肩をゆすって笑い出した。
「そ、……そんなに笑わないでよ。確かにちょっと、あの、子どもっぽかったかもしれないけど」
「いや、違う。いいんだ。ただその、ちょっと、あまりにも可愛いから」
くつくつと肩を震わせ笑いをこらえる淳紀の横で、私は拗ねたように頬を赤らめる。なんだか急に恥ずかしくなってきて、掲げた右手もおずおずと自分の元へ引っ込めた。
でも、彼の手を離そうとした指は流れるように絡めとられて、手のひらにはあっという間に淳紀の熱が戻ってきた。今度は武骨な手首じゃない。指と指。――まるで、恋人同士のように絡まる、私の指と淳紀の指。
「逢子」
低い声。
緩く笑む唇。
甘すぎるほど甘い眼差しが、奥へ私を閉じ込める。
「復讐が終わったついでに、新しい恋も始めてみない?」
とめどなく響く波の音。でも、淳紀の言葉だけは何に邪魔されることもないままはっきりと耳に届いて。
逃げ道なんてあるはずもなく――探すことすらしないまま、間抜けに開いた私の唇に彼の唇が重なった。
おわり
復讐。されど人生は続く 雪静 @yuki_shizuka
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