2-1 パーティの主役


「それじゃあ作戦だけど――」

「ちょ、ちょっと待って!」

 思わず中腰になった私を見上げ、新倉さんは目をぱちくりさせる。少年のような幼い仕草に少しどきりとしたのも束の間、私はごめんと小さく詫びると何食わぬ顔で腰を下ろした。

「どうしたの?」

「ええっと、……その、ずいぶん印象が違うと思って」

「印象?」

「だから……ほら、眼鏡があるかないかで、その」

 いや、これはむしろ前髪のせいか? あの凛々しい眉を前髪が隠し、甘い瞳を眼鏡が隠し、ついでに背中を丸めているから『猫背で暗い地味男』なんてことになったのだろうか。

 だって目の前のこの人は、非の打ち所がないイケメンだ。鼻が高くて口が大きめ、男性的な魅力の滲む秀麗さ。正直陽介さんなんて目じゃないくらいの正統派美男子で、社内の女子がこの事実を知ったらきっと放ってはおかないだろう。

 新倉さんは考えるそぶりを見せ、それから「ああ」と頬を緩める。

「良い方に違っているなら嬉しいんだけど」

「それは、もちろん……」

 折よく私の頼んだエビチリ定食も運ばれてきて、私たちはひとまず箸を取りそれぞれの食事に手をつけることにした。

(でも、復讐って言っても、いったい何をするつもりなんだろう?)

 二股かけられていたことを人事に訴えてみるとか? 多少は陽介さんの出世に響くかもしれないけど、同時に私も捨てられた女だと好奇の目で見られてしまうだろう。

 陰口を叩かれているのだと上司に泣きついてみようか? ……子どものケンカでもあるまいし、正直まともに取り合ってもらえる気がしない。

「大したことをするつもりはないよ」

 私の思考を覗いたみたいに、新倉さんは麺をすすりながら言う。

「復讐って言うと仰々しいし、『仕返し』程度にしておこうか。要はあいつらの鼻を明かして、ちょっと嫌な思いをしてもらって、こっちに危害を加えてこないよう学んでもらいたいってだけ」

「……でも、具体的なやり方はどうするの?」

「うーん、そうだな。あいつらは自分たちのことを世界一幸せな美男美女カップルだと思ってるから、その自惚れを挫いてやれば多少は落ち着くと思うんだよ。たとえば、隠している浮気や借金の秘密を暴露して、二人の仲を険悪にしてやるとか」

 ううん、どうだろう。陽介さんは金遣いの荒い人ではあるけど、私の知る限り借金にまでは手を出していなかったと思う。

 浮気は……他にいないと思いたいけど、果たして断言できるかどうか。それに、もし陽介さんに他の女性がいたとしても、香織にとってその事実は『数多の女を蹴散らして陽介を手に入れた私スゴイ!』に変換されるに違いない。

 そうすると自然、狙うべきなのは陽介さんの方ではなく『香織の借金・浮気』ということになる。……つまり。

「新倉さんが眼鏡を外して、香織を軽く茶化してみたら?」

 なんて、冗談半分の軽口がポロッとこぼれ出してきたのは、少しばかりお酒が進んで気が緩んでいたのもあるだろう。

 早々と食事を終えた新倉さんは丼をテーブルの端へ寄せつつ、

「俺が?」

 と綺麗な瞳をぱちくりと瞬きさせる。

「だって、香織にとって新倉さんは『自分に言い寄ってきたけどフッてやった陰キャ男』なんでしょ」

「まあ、そう言われてたけど」

「そんな人が実はものすごいイケメンで、自分の旦那より格好良いって知ったら、普通の女なら悔しくってキーッてなっちゃうと思うよ」

「…………」

 あれ? 黙られてしまった。ちょっと性格悪い発想だったかな。

 新倉さんは軽く口を押さえ、斜め下へと目を逸らす。お酒のせいか照明のせいか、わずかに赤らんで見える頬は、小さな咳払いをひとつすると徐々に元の色へ戻っていった。

「どうしたの?」

「いや……普通に嬉しかっただけ。そうだな、そんなに褒めてもらえるなら、その方向もありかもしれない」

 言いながらお酒をぐいと飲み干し、新倉さんはメニューを手に取る。私が一杯飲み切らないうちに四杯目に突入しているあたり、どうやらかなりアルコールに強いタイプのようだ。

「でも、茶化すってのはちょっとな。俺はあの人好きじゃないし、また変な誤解されるようなことになったら困るかも」

「そっか。そうだよね」

「うん。だからそこはちょっと捻って、チーム戦に持ち込みたい。自分たちが見下していた奴らが、自分たち以上に幸せそうにしてたら、それこそあいつらにとっては『キーッ』て奴になるんじゃないかな」

「うん、……ん?」

「そういえば来月、あいつらの結婚記念パーティがあるんだっけ。……ちょっと失礼」

 新倉さんの手が伸びてくる。

 きょとんとする私のこめかみ辺りへ、長くごつごつした指が触れ、思わず目を瞑った瞬間、眉間の重みがふわりと消える。

「よし」

 ぼやける視界の中にちらつく、彼の笑顔――そして、その手が持っている私の眼鏡。

「これでいこう。眼には眼を――美男美女カップルには美男美女カップルを、ってね」

 ど……どういうこと!?

 唖然とする私を前に、新倉さんは目尻を下げて、いたずらっぽく笑ってみせた。





 結婚お祝いパーティは、有名なイタリアンレストランを一棟丸ごと貸し切って開催された。

 豪華なビュッフェにお洒落なインテリア、窓の外からは海辺に輝く美しい夜景も見えて、参加者たちも思い思いに楽しい時を過ごしているようだ。

「わーっ、可愛いドレス! それにその指の、婚約指輪ですか?」

「超綺麗だし高級そう! 宝石も大きくて香織さんにぴったり!」

 白い左手の薬指に光る美しいダイヤモンド。

 目一杯駄々をこねて買ってもらった、有名ジュエリーブランドの新作だ。お値段がかなり張っていたため、陽介にはだいぶ渋られたものの、こうして我が手に輝くところを見ると買わせて正解だったと思う。

(やっぱり私には良いものが似合う)

 後輩女子の羨望の眼差しを心地よく受けながら、前川香織――改め、田崎香織はほくそ笑む。

 勝ち続けた人生だった。小さい頃から周りを見ても自分より優れた女はなく、どんな男でも声をかければ必ず手中に落ちてきた。

 そのせいで同性からは恨みを買いやすい趣向にあるが、香織としては女からの評価など気にするものではない。それに今回、職場の中で最も優秀な男を捕まえ、無事に結婚まで漕ぎ着けたのだから、もはや彼女の人生において怖いものはほぼないと言っていい。

 夫である田崎陽介は社内でも有数の出世株だ。見た目も俳優やアイドルほどではないものの中々のイケメンだし、若干運動不足ではあるが体つきもまだまだスマートだ。

 今だってほら、香織の選んだオレンジ色のドレスに合わせて、陽介はグレーのパーティスーツをきちんと着こなしている。彼の周りにいる同僚と比べれば、その魅力は一目瞭然。逢子のような地味な女にはもったいない、香織にこそ相応しい夫であると言えるだろう。

(……そういえば、逢子は?)

 今日のパーティを一番見せつけなければいけない女の姿が見えず、香織はドレスの裾を引き摺りながらきょろきょろとレストランを見回す。

 場所も日時もしっかり教えた。絶対来てねと言質も取った。

 しかしどうやら、会場の中に逢子の姿はないようだ。

「ねえ、陽介。逢子は来ないの?」

「逢子? ああ、道がちょっと混んでるらしくて、遅れて来るって連絡あったよ。あと新倉も」

 新倉? 誰だっけ。

 ワンテンポ置いてあの陰鬱な眼鏡面が頭をよぎり、へっ、と馬鹿にしたような笑いが漏れてしまう。

 ああ、あいつか。新倉淳紀――あの陰気な猫背男。オタクっぽいからパソコンにも詳しいだろうと思い、適当に声をかけて仕事に利用してやったんだっけ。

 最近は頼み事をしてもそっけない態度を取るようになってきたから、少し躾をしてやりたくて周りに噂を流したのだけど、結局淳紀の側から文句を言われることはとうとうなかった。やはり陰キャには抵抗するだけの知識も度胸もないようだ……と。

 カラン、とベルの音がして、レストランの扉が開く。入ってくるのは男女のようだが、どちらも見慣れない様相だ。

 長い髪を軽くまとめた、華奢で色白な若い女。淡い黄色のパーティドレスはシンプルながら花のように可憐で、結びそこねた後毛が首筋に浮くのが艶かしい。

 そしてその隣を歩く、背の高い男といったらもう。まず足が長い。腰が高い。ウェストはぎゅっと引き締まっていて、肩幅が逞しくがっちりしている。黒ベースのパーティスーツなのに妙に華やいで見えるのは、男の容姿が眼を見張るほど凛々しく艶めいているからだろう。

 甘ったるい垂れ目を引き締めるつり眉に、顔にメリハリを持たせるような筋の通った綺麗な鼻。アイドルというより俳優のような、胸騒ぎするほどの存在感――。

(芸能人並のイケメンじゃん……あれ、誰……?)

「すみません、今日は貸切なんです」

 店員の一人が小走りへ駆け寄ると、男女はそれぞれ顔を見合わせる。それから親しげにくすっと笑い、男の方がスマホを掲げてみせた。

「きちんとご招待いただいています。……新倉淳紀と、椿木逢子です」

 ざわっ、と。

 室内にどよめきが走る。どうやら彼らに眼を奪われていたのは香織だけではなかったらしい、「新倉と椿木さん?」「嘘だろ、あれが?」と、社員たちが口々に噂し合う声が聞こえる。

(嘘でしょ)

 だって香織のよく知る二人は、分厚い眼鏡で顔を隠し、いつも陰気にうつむいている辛気臭い弱者だったはずだ。

 だが、あそこにいる二人は違う。堂々と、あるいは楚々とした、洗練された立ち姿。寄り添う姿は映画やドラマのワンシーンを切り取ったようで、誰が見ても彼らを陰キャと馬鹿にすることはできないだろう。

(まさかあいつらが、あんなにキラキラした……美男美女だったなんて)

 と、そこまで考え香織は我に返り、慌てて首を左右に振る。馬鹿馬鹿しい、なにが美男美女だ。あんなのただのドレスマジック。眼鏡がない分ましに見えるだけで、本質的には何も変わらない……はずだ。

「新倉くんと椿木さん? 二人とも普段と全然違うねぇ!」

 すでにすっかりお酒が入って上機嫌な課長が、どよめく皆の合間を縫って淳紀たちの元へ歩み寄る。

「どうも、課長。俺たちそんなに違いますか?」

「見違えたよ! 新倉くんいつも猫背だから、こんなにスタイル良いとは知らなかったし、椿木さんも眼鏡を外すとこんなに美人だったなんて」

「い、いえ、そんな……」

 逢子は小さく縮こまりながら、恥ずかしそうに淳紀の影に隠れる。その姿を慈しむように優しい眼差しで見下ろし、「逢子は恥ずかしいみたいで」と彼女をその背に庇い立つ。

(あの二人、付き合ってるの!?)

 いや、そんなはずはない。実際、ついこの間まで逢子は陽介とマトモなオツキアイをしていたわけで、彼女の性格を考えれば二股なんてできるはずがない。

 しかし、二人が纏うあの雰囲気は紛れもなくカップルのそれだ。互いを気遣いあい、いたわり合い、時折にこと微笑みあう……幸せそうな恋人同士の姿。

 編集長から酒を勧められ、両手でおずおず受け取る逢子を、同僚の男どもがやにさがった目で眺めている。さっきまで香織の指輪とドレスに夢中だった後輩女子たちは、今や淳紀の方に向かって秋波を送るのに必死だ。

 面白くない――と、思うのは当然のことだろう。

 だって、今日は自分の婚約お祝いパーティ。世界の主役はいつだって、田崎香織であるべきだ。

「よ……陽介! 陽介!!」

「うわっ、えっ、何?」

「何? じゃないよ、あれやるよ! クイズ大会! 用意してきたんでしょ!」

「え? あ、ああ……」


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