2026年5月28日 12:35 編集済
一への応援コメント
この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。この作品は、「後悔する人の話」でも「誰かともう一度会う話」でもないと思います。読み終えて最後に残るのは、もっと小さくて、もっと確かな、あるズレの「かたち」なのかなと思いました。◇礼子は、この作品のなかで何度も「混ぜる」という動作の手前に立ち止まります。冒頭、彼女はスプーンに手を伸ばしません。中盤、混ぜなければと頭で思います。それでも手は動きません。十六年前の回想では、「もう来なくていい」という言葉を——この作品のなかで、たぶん一番はっきりした選択の言葉を——発したあとも、スプーンを持った手は止まっていました。終盤、ついにスプーンを取ります。それでも、混ぜません。何もしていないときも、頭で思ったときも、言葉にしたときも、手を伸ばしたときも、行動の大きさに関係なく、身体は「混ぜる」まではたどり着かない。そこに、「混ぜない」という、動きの止まった「かたち」を感じました。◇そのあいだ、鉄板だけは止まりません。「鉄板は自力で熱を持ち続ける。誰かが手を加えなくても、熱は仕事をやめない。」礼子が何かをしようとしていても、していなくても、この一文は変わらないと思いました。焦げの匂いはかすかに漂い始め、やがて濃くなり、端の米は黒くなった。「まだ食べられる。でも、もう取り返せない部分が生まれた。」礼子の身体と鉄板は、同じ場所、同じ時間に並んでいます。でも、この二つは噛み合わない。礼子の身体がどういう状態であっても、焦げは進み、それがどこまで進んでも、身体は混ぜる動作へたどり着かないように感じました。◇この作品が描いているのは、一言で言うと、「選んだとき」も「選ばなかったとき」も、身体はおなじ「混ぜない」かたちへ落ち着いてしまう。なのに目の前の鉄板は、その身体と関係なく、誰かが手を加えなくても変化を積み上げていく。その二つが、最後まで噛み合わないまま隣に置かれている。そういうことなのかなと思いました。十六年という時間と、午後二時十七分から二十二分という五分間。スケールが全然ちがうこの二つの時間が、終わりの一文「いつかと同じように。同じ手つきで、同じスプーンを、握ったまま。」でひとつに重ねられるような気がします。この一文は、礼子の身体がどれだけ時間を跨いでも同じ「かたち」へ戻り、その外側で変化だけが積まれていくこと、その断絶をそのまま宣言しているように受け取りました。◇後悔でも諦めでも無力でもなく、ただ「噛み合わないことが起きている」という事実のかたちで、この作品は終わっているような気がします。読み終えたあとに何かがじわりと残るとしたら、それはその噛み合わなさが、最後の一文のあとも静かに続いているせいではないかと思います。
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一への応援コメント
この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。
この作品は、「後悔する人の話」でも「誰かともう一度会う話」でもないと思います。
読み終えて最後に残るのは、もっと小さくて、もっと確かな、あるズレの「かたち」なのかなと思いました。
◇
礼子は、この作品のなかで何度も「混ぜる」という動作の手前に立ち止まります。
冒頭、彼女はスプーンに手を伸ばしません。
中盤、混ぜなければと頭で思います。それでも手は動きません。
十六年前の回想では、「もう来なくていい」という言葉を——この作品のなかで、たぶん一番はっきりした選択の言葉を——発したあとも、スプーンを持った手は止まっていました。
終盤、ついにスプーンを取ります。それでも、混ぜません。
何もしていないときも、頭で思ったときも、言葉にしたときも、手を伸ばしたときも、行動の大きさに関係なく、身体は「混ぜる」まではたどり着かない。
そこに、「混ぜない」という、動きの止まった「かたち」を感じました。
◇
そのあいだ、鉄板だけは止まりません。
「鉄板は自力で熱を持ち続ける。誰かが手を加えなくても、熱は仕事をやめない。」
礼子が何かをしようとしていても、していなくても、この一文は変わらないと思いました。
焦げの匂いはかすかに漂い始め、やがて濃くなり、端の米は黒くなった。
「まだ食べられる。でも、もう取り返せない部分が生まれた。」
礼子の身体と鉄板は、同じ場所、同じ時間に並んでいます。
でも、この二つは噛み合わない。
礼子の身体がどういう状態であっても、焦げは進み、それがどこまで進んでも、身体は混ぜる動作へたどり着かないように感じました。
◇
この作品が描いているのは、一言で言うと、
「選んだとき」も「選ばなかったとき」も、身体はおなじ「混ぜない」かたちへ落ち着いてしまう。
なのに目の前の鉄板は、その身体と関係なく、誰かが手を加えなくても変化を積み上げていく。
その二つが、最後まで噛み合わないまま隣に置かれている。
そういうことなのかなと思いました。
十六年という時間と、午後二時十七分から二十二分という五分間。
スケールが全然ちがうこの二つの時間が、終わりの一文「いつかと同じように。同じ手つきで、同じスプーンを、握ったまま。」でひとつに重ねられるような気がします。
この一文は、礼子の身体がどれだけ時間を跨いでも同じ「かたち」へ戻り、その外側で変化だけが積まれていくこと、その断絶をそのまま宣言しているように受け取りました。
◇
後悔でも諦めでも無力でもなく、ただ「噛み合わないことが起きている」という事実のかたちで、この作品は終わっているような気がします。
読み終えたあとに何かがじわりと残るとしたら、それはその噛み合わなさが、最後の一文のあとも静かに続いているせいではないかと思います。