第22話 三廻星
二日後。
俺は無事に隔離病棟を退院することが出来た。
身体の他の部位に異常は見られず、ひとまず元の生活に戻れることになったのだが……たった一つだけ、明確に取り返しのつかない変化があった。
「何食っても薄いな……」
退院祝いのつもりで、コンビニに寄って買った俺の好きな揚げ物。いつもなら口に入れた瞬間にジューシーな脂と濃い目の塩気が広がるはずなのに、今はまるで、味の抜けたガムを噛んでいるかのように味気ない。
「美味い物も味わえないじゃん……最悪だぁぁぁぁ!」
誰もいない帰り道、俺は頭を抱えて深く絶望した。
美味しい物を食べるということは、ただの栄養補給じゃない。人によってはそれ自体が生きる希望になり得る、人生の重大な楽しみのはずだ。それが汚染ルゲアのせいで、根こそぎ奪われてしまった。
人間の姿は保っている。だけど、俺の身体は確実に『あの薬』に蝕まれて変質してしまっていた。
家に帰る道を歩いていると、ウィーンという羽音を立てて、街頭広告や速報を流す飛行型スクリーンが俺の目の前を横切っていった。映し出されているのは、代わり映えのしないいつものニュース番組だ。
「またこれかよ……邪魔くせぇ……」
手で払いのけるようにして歩みを勧めようとしたが、スピーカーから流れてきたキャスターの声に、思わず足が止まった。
『アドミンの存在は確認出来ませんでした。続いてのニュースです。なんと! 新たなオールドロストテクノロジーが発見されました! 一廻星の古代文字である日本語と呼ばれる物で、「荷電粒子ライフル」と呼ばれる武器が発掘されました!』
『おや、一廻星とはなんですの?』
コメンテーターの呑気な声に、キャスターが興奮気味に言葉を続ける。
『すみません、言い忘れてました……。最近の研究で判明したことがありまして、今の文明は三廻星(みかいせい)と呼ばれ、人類は二回も滅んだことがあるんだそうです!』
「……っ!?」
世界の根幹を揺るがすような事実が、まるで明日の天気予報でも伝えるかのような軽いトーンで街中に響き渡る。
一廻星の古代文字日本語。そして、人類は過去に二回も滅び、今の俺たちの文明は『三廻星』であるという衝撃の事実。
味覚を失った絶望に沈んでいた俺の頭に、世界のあまりにも壮大で不穏な謎が、容赦なく飛び込んできた。
『これでやっと、空白の数千年が明らかになりそうですねぇ』
『ですね! これからもオールドロストテクノロジーが見つかることを願いましょう!』
そんなやり取りを最後に、お馴染みの軽快な音楽と共にCMを流しながら、飛行型スクリーンは気ままに空の彼方へと去っていった。
残された俺は、その場に立ち尽くしたまま、スクリーンの消えた青空を見つめていた。
「オールドロストテクノロジー……爺ちゃんの部屋にあるあの刀も同じかな……」
そういえば、前にニュースで別のオールドロストテクノロジーが発掘された時も、同じように街が騒がれていたのを覚えている。その時に見つかったのは、『拳銃』と呼ばれるロザストとは構造の違う遠距離武器だったはずだ。
そして、刀。
爺ちゃんはいつも、あの武器を『刀』と呼んでいた。
さらに言えば、あの夢で、俺の胸を容赦なく突き刺してきたあの老人が手にしていたのも――間違いなく、同じ形をした『刀』だった。
(日本語、一廻星、そして刀……。全部、繋がってるのか……?)
ただの偶然にしては、あまりにも出来過ぎている。俺の身体に起きた異変と、夢の老人の言葉、そして世界に隠された歴史。それらが一線に繋がり始めたような、奇妙な胸騒ぎが止まらなかった。
「あぁもう! 過去に戻ってみてぇ!」
わけのわからない世界の謎と、失われた味覚へのストレスから、思わず大声でそんな願望を叫んでいた。
頭をガシガシと掻きむしりながら歩いているうちに、気づけば見慣れた我が家の前に着いていた。
ガチャリとドアを開けて中に入る。リビングからは、いつものように母が動画の音声を大きめに流しながら、熱心に料理を作っている気配がしてきた。
『今回作るのは、蒸し鳥のちらしポテトの冷たい半熟トンカツ盛り合わせ味噌チョコレ——』
スピーカーから流れる、明らかに不穏極まりないレシピの解説。
「あら? 帰ってきちょったいね」
俺の足音に気づいた母が、お玉を片手にひょこっと顔を覗かせた。
「なんか変な物作ろうとしてなかった?」
「気のせいよ気のせい! ほら、さっさと風呂入り」
あからさまに視線を逸らし、何事もなかったかのように鍋にお玉を戻す母さん。そのいつも通りのマイペースな姿を見て、張り詰めていた肩の力が少し抜ける。
だが同時に、俺が4日間も意識不明で隔離病棟にいたというのに、あまりにも普段通りすぎる態度に少し拍子抜けした。
(入院のことは心配しないんだな……)
心の中でそう呟きながら母の背中を見つめていると、母は振り返りもせずにフッと笑った。
「入院のことは心配しないんだなって顔してんね、バレバレよ」
「なんで毎回分かるんだよ……」
別の能力か何かか。顔に出ていたと言われればそれまでだが、この母親には昔から、考えていることを一瞬で見透かされている気がする。
服を脱ぎ捨てて、湯気が立ち込める風呂場へと足を踏み入れる。
隔離病棟に入院している間は、毎日味気ないシャワーだけで済まされていた。まともに湯船に浸かるのは、あの汚染ルゲアの事件から実に一週間ぶりのことだ。
並々と温かいお湯が張られた浴槽に、ゆっくりと身体を沈めていく。
「あぁぁ……染みるぅ……」
じわぁっと、お湯の熱が4日間大暴れして強張っていた筋肉と、疲れ切った神経を芯から解きほぐしていく。あまりの心地よさに、思わず骨まで溶けてしまいそうな感覚に陥った。
味覚を失った絶望も、飛行型スクリーンが告げていた世界の不穏な謎も、今この瞬間だけは温かい湯気の中に消えていく気がした。
目を閉じ、温もりを噛み締めるようにして、俺は深く長いため息をついた。
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