第21話 汚染ルゲア

カチリ、とボタンを押し込む。


それから数分後、重々しい金属音を立てて扉のロックが解除され、室内に入ってきたのは、防護服のような重装備を着た医者と看護師だった。およそ一般的な病院のそれとはかけ離れた異様な姿で、全員がこちらをどこか警戒している様子だった。


「えー、雨月さん。薬物投与された時の記憶はありますか?」


防護マスクの向こうから、くぐもった声で医者が問いかけてくる。


「薬物投与……あ……あれか。はい、あります」


「投与された際の具体的な内容は覚えていますか?」


「えっと……体が熱くて……頭痛と吐き気……あと、腹痛とダスト痛がありました」


「なるほど……」


医者が顎に手を当てて低く呻く。隣の看護師はすぐメモを取りながら、何やら深刻そうな顔で医者に耳打ちをしていた。その一連の動作が、俺の不安をさらに煽る。


「他に、体の変化を感じる部分はありますか?」


二の腕の筋肉が痙攣している事以外ない。だが、もし下手に変なことを言って「化け物」扱いされたらどうなるか分からない。俺は一瞬だけ躊躇し、


「ない……です」


と、平然を装って答えた。


「ふむ……それでは、また後ほど」


用件は済んだとばかりに医者たちが背を向けかける。


「え……!? ちょ、俺に何があったんですか? こんな独房みたいなところに閉じ込めて!」


慌ててベッドから身を乗り出し、遮るように声を張り上げた。いくらなんでも説明が少なすぎる。すると、医者はめんどくさそうに振り返った。


「あー、言ってなかったですね。ここに運ばれて来る際にかなり大暴れされていたので。安全のために、ここに閉じ込めていたんです」


「大暴れ……?」


記憶にない。あの時、俺は意識を失って、夢で老人に刀で刺されていたはずだ。あの激痛の中で、現実の俺の肉体はそんなことになっていたのか。


「それは……ご迷惑をお掛けしました……」


気まずさと、自分の身体が本当に自分でなくなっていたのかもしれないという恐怖が混ざり合い、俺はそれ以上言葉を返すことができず、ただ小さく頭を垂れるしかなかった。


医者と看護師は事務的な会釈をして、再び重々しい扉の向こうへと出ていった。


カチャリと冷たいロックの音が室内に響く。


「一体……どうなってんだ? 俺の体……」


ぽつりと呟き、ベッドに深く背を預ける。怪物化の薬を打たれたはずなのに、俺は怪物にならずに済んだのだろうか。大暴れしたという記憶のない空白の時間。


考えても考えても、答えの出ない疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡るだけだった。これ以上深く考えてもしょうがない。俺は疲弊しきった脳を休めるため、一度考えるのをやめて寝ることにした。


重い瞼を閉じようとした、まさにその瞬間。

バタン! と、先ほどよりも乱暴に、勢いよく扉が開かれた。


「シン! 大丈夫なのか!」


「ダム先輩……」


そこに立っていたのは、息を荒くし、見るからに焦った様子のダム先輩だった。


「良かった……生きてて……本当に……良かった……」


そう言って、ダム先輩は大きな身体を小さく丸めるようにして、深く安堵の息を吐き出した。その表情には、仲間を、これ以上何かを失いたくないという痛切な怯えと祈りが滲み出ていた。


「ダム先輩……あの後、俺……どうなったんですか……?」


ベッドの上から尋ねると、先輩は視線を落とし、あの時の光景を思い出すように重い口を開いた。


「刺された後か……お前は酷くもがき苦しんでたよ。俺がバシリスクに緊急要請をした途端、お前の身体が巨大化して……かと思えばすぐ元に戻ったり、もう何が何だか分からなかった……」


 巨大化。

先輩の口から出たその言葉に、俺の心臓がドクリと跳ねた。あの時、限界まで引き出した俺の『身体強化』と、身体を内側から作り変えようとした『怪物化薬』の衝突。


あの凄まじいエネルギーのせめぎ合いの最中、俺の肉体は確かに、化け物の一歩手前まで変貌しかけていたのだ。


「そういえば……怪物化の薬の正体は分かりましたか?」


「あぁ、お前のおかげで地道に集めていたのが一瞬で充分なくらい集まったよ。で、薬の正体は『汚染ルゲア』だ」


「汚染ルゲア……?」


初めて聞くその言葉を、俺は困惑しながら口の中で繰り返した。


「様々な種族の血と、死んだ生物から漏れ出るルゲアから作られた物だ」


「ちょ…ちょっと待ってください……中に入っていたのは液体ですよ? ルゲアが液状になることなんてあるんですか!?」


本来、ルゲアとは触れられない光るエネルギーのようなもののはずだ。それが注射器の中に満たされていた、あの禍々しい液体だというのか。


「まぁ待て、まだそこら辺は何も分かっていない。ただ、分かっているのは。種族の暴走化だ」


「暴走化……」


「知ってるか? 器が出来上がってない状態でV3を目指すとルゲアが破損したり体が崩壊するんだ」


「………っ……」


ダム先輩の冷徹な言葉が、俺の胸に突き刺さる。

V3——それはまだ、今の俺には遠すぎる領域。肉体という『器』がその強大なエネルギーに耐えきれなければ、待っているのは自己崩壊のみ。


あの時、俺の体内で起きていたのは、まさにその暴走と崩壊の縮図だったのだ。あの薬は、強制的にルゲアを暴走させ、器を内側から破壊する呪いのようなものだった。


(でも……なんで俺は無事なんだ……?)


器が壊れれば体は崩壊する。現に高架下の男は化け物になった。なのに、なぜ俺は今、人間の姿でここにいる? あの時限界まで引き出した能力が耐えきったのか、それとも……。


そんな疑問を抱いていたら、また重々しい扉が開いた。


「失礼します。雨月さん、本日の食事です」


先ほどの警戒心の強い看護師が、トレイに乗った病院食を運んできた。


「あぁ、もうこんな時間か……4日ぶりの飯じゃないか?」


隣でそれを見ていたダム先輩が、何気なく呟いた。


「4日!?」


「じゃ、俺も飯行って来る」


「ちょ、俺4日も眠ってたんですか!?」


驚愕してベッドから身を乗り出す俺を置き去りにしたまま、ダム先輩は「じゃあな」と軽く手を挙げ、食事を置き終えた看護師と共に病棟から出ていってしまった。


静まり返った独房のような病室に、ぽつんと残された病院食。


丸4日間も意識を失っていたという事実に、俺はただただ唖然とするしかなかった。あの夢での数分間が、現実では4日も経っていたのか。


(4日間も……。じゃあ、俺の体の中の汚染ルゲアは、一体どうなってんだ……?)


残された謎と、少し冷めたスープから上る湯気を、俺は複雑な心境で見つめていた。


「とりあえず食べるか……」


そう口にすると、急に胃の腑が掴まれたように、強烈な空腹感が押し寄せてきた。丸4日も何も胃に入れていないのだ。身体が栄養を欲するのも無理はない。


「ヘベの塩焼きとミシロンの野菜和えか……いただきます」


トレイに並んだ、見慣れた食材を使ったメニューに手を合わせる。


まずは喉を潤すために、付け合わせのスープをスプーンで掬って口に運んだ。


温かい液体が舌の上を滑り、喉を通り過ぎていく。


 だが。


「うっす……」


思わず、たった一言だけ言葉が漏れた。

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