第17話 忘れない為に

俺はすぐさま私服に着替えると、余韻もそこそこに速攻で訓練場へと引き返した。


訓練場の入り口に近づくと、何やら奥の方から話し声が聞こえてくる。見れば、ダム先輩が誰かと深刻そうな顔で話し込んでいる様子だった。


「だから! それはキジマさんとかにお願いしてくださいよ」


いつも冷静なダム先輩にしては珍しく、どこか苛立ったように声を荒げている。


「キジマは別の任務だ。お前にしか頼めない」


対する相手の男は、淡々と、だが拒絶を許さない重いトーンで告げた。


「だからって……」


ダム先輩は苦渋に満ちた表情で言葉を詰まらせ、拳をきつく握り締めている。普段の訓練では見せない先輩のただならぬ雰囲気に、俺は足音を潜め、その様子をじっと窺った。


「とにかく、調査は頼んだぞ。 新入りも入れてな」


そう言い残すと、男は交渉を打ち切るようにその場から背を向けた。そして、物陰にいた俺の存在など歯牙にもかけない様子で、そのまま横を素通りして去っていった。


「ビチグソがっ……! こんなの危険すぎんだよ!」


男の姿が見えなくなった途端、ダム先輩は激昂して近くの壁を思い切り殴りつけた。

普段の冷静沈着な姿からは想像もつかない荒れ方に、俺は居ても立っても居られず、思わず足を進めて先輩に近づいてしまった。


「どうかしたんですか……?」


「っ……、もう戻ったのか……」


俺の声に気づいたダム先輩は、ハッと我に返って拳を下ろした。まだ怒りの余韻で肩を小さく揺らしながら、ひどく苦々しい表情で俺を見据える。


「軍が最近増えている怪物化現象と、変死体について調査しろって言われたんだ。……お前を連れて、な」


「新入りも入れてな」という男の言葉が脳裏をよぎる。


 ――任務。


俺は一瞬だけ、ついに来た初任務という響きに心を浮つかせた。だが、次の瞬間、脳裏にあの不気味な怪物の姿が鮮明にフラッシュバックし、一気に顔が引きつった。


「なんで……俺もなんですか?」


実戦経験なんて皆無に等しい。そんな俺が、あの危険な怪物化現象の調査に駆り出される理由が分からなかった。


「『軍人を生み出すのもお前らの仕事だ』。だとよ、上から目線で言いやがって……」


ダム先輩は吐き捨てるように言い、忌々しげに頭をガリガリと掻いた。どうやら、さっきの男に無理やり押し付けられたらしい。


「ちなみに……いつから調査開始なんですか?」


「明日からだ」


「明日!?」


あまりの急展開に、思わず変な声が出た。


「学校のことなら大丈夫だ。戦闘部は任務で行けない場合は欠席にならん」


学校側の心配は要らないらしいが、問題はそこじゃない。心の準備も、実戦用のシェイルの扱いも、まだ何一つまともに固まっていないのだ。俺は明日から始まる急な初任務への不安を胸に、ただごくりと生唾を飲み込んだ。


翌日。


どんよりとした曇り空の下、俺はいつもより重い足取りで学校に向かった。


「おはよーシン。なんかいつもより元気なくね?」


後ろから追いついてきたレンジが、俺の顔を覗き込んでき気さくに声をかけてくる。


「おはよ。……任務に同行することになってさ……」


「それって良いことなんじゃないん?」


「あん時のバケモン関連だぞ……」


ボソッと呟くと、レンジの表情から一気に余裕が消えた。あの凄惨な現場を思い出したんだろう。


「あぁ……あれ。でも、こっちには声掛かってないけど」


「なんか俺だけらしいわ」


「うーん……ま、頑張れ。死なないようにな」


レンジは気の毒そうに俺の肩をポンと叩いた。死んでも生き返るとはいえ、あの怪物相手に死ぬのは御免だ。俺は小さく頷き、憂鬱な気分のまま校門をくぐった。


ダム先輩はどこにいるのかなーと、周りを見回していると、訓練場の入り口前で壁に背を預けて立っていた。


「おはようございます……ダム先輩」


「来たか、早速出発だ」


こちらに気づいた先輩は、挨拶もそこそこにすぐさま歩き出す。


「え、えぇ? もうですか?」


「時間は有限。駅に向かうぞ」


有無を言わせない険しいトーン。

スタスタと前を歩く少し早歩きなダム先輩の背中からは、昨日から続く、何か憎悪のようなドス黒い気配がピリピリと漂っていた。俺は気圧されそうになりながらも、慌ててその背中を追いかけた。


駅に着くと、ダム先輩はスマホを取り出し、そそくさと改札をタッチして中へ入っていってしまった。


「ちょ……ちょっと待ってください!」


「急げ、遅れるぞ」


振り返った先輩に、俺は改札の手前で慌てて声を張り上げる。


「自分、切符買ってないです!」


「あ……」


急いで切符を買い、なんとかホームへと上がる。

電車を待っている間、俺たちの間にはなんとも言えない気まずい空気が流れていた。気まずさもあるが、それ以上に今のダム先輩はどこか落ち着きがなく、やけにソワソワしている。普段の冷静な先輩からは考えられない挙動だ。


俺は思い切って、ずっと気になっていたことをストレートにぶつけてみることにした。


「どうしてそんなに急いでるんですか?」


「被害をこれ以上増やさないためだ」


返ってきたのは、もっともらしい模範解答。確かに少しは納得できたが、先輩のあの尋常じゃない焦り方を見るに、まだ何か別の気掛かりがあるのは明白だった。


「それ以外にもありますよね?」


「…………」


さらに踏み込むと、ダム先輩はピタリと動きを止め、何も言えなくなってしまった。完全に図星だったようだ。気まずそうに線路の先へと視線を逸らす先輩に、俺は静かに言葉を重ねる。


「何があったのか……教えてくれませんか?」


ダム先輩はスッと下を向いて、まるで独り言を言うようにぽつりぽつりと語り始めた。


「10年前に起きたベルマーレ区無差別破壊事件……知ってるか? その時、俺は6歳か7歳だった」


電車の接近を知らせるアナウンスの音に混じって、先輩の低く沈んだ声が耳に届く。


「父さんと母さんと三人で、ペットを見に行く途中だったんだ。俺は、それをかなり楽しみにしていたのを覚えてる……俺が『電車に乗りたい』ってわがままを言うまではな」


語るダム先輩の意識は、10年前のあの穏やかな一日に引き戻されていた。


自宅の玄関で、幼いダム先輩は両親を見上げて声を弾ませていた。


「ママ!パパ! 今日は車じゃなくて電車で行きたい!」


「あら、珍しいわね。電車で行きたいだなんて」


「テレビで新しく始まった戦隊モノが、電車をモチーフにしてるからなんじゃないか?」


「うん! だめ?」


「良いわよ。じゃあ今日は電車で行きましょうか」


いつもと違うお出かけに胸を躍らせ、短い足で一生懸命に駅まで歩いた。


「きっぷ、ダムが入れる!」


「はいはい。ここに入れるのよ?」


ピヨピヨと小鳥の鳴き声が響く改札を通り抜ける。ホーム電車を待っている間も、楽しみで仕方がなかった。


「でんしゃまだかなあ!」


「あと2分で来るぞー」


いーち、にーい、と大きな声で数を数えている間に、待ち望んだガタンゴトンという音が近づいてくる。


「気を付けて乗れよー」


電車とホームの隙間を小さな歩幅でジャンプして跨ぎ、車内へと乗り込んだ。


席に座るとすぐ、シートの上で膝立ちになって窓の外を眺めた。高速で過ぎ去る電柱を目で追ったり、向かい側からすれ違う電車の列車風にビクッと肩を揺らしたり。幼いダムにとっては、見るもの全てが新鮮で楽しい乗車時間だった。


『次は――ベルマーレ区。ベルマーレ区です。お出口は左側です』


「ママ、ひだりってどっちー?」


「お茶碗を持つ方よ」


そんな微笑ましい親子の会話に、周りの乗客たちも少しだけ目元を緩ませて、優しい笑みを浮かべていた。


だがその瞬間、幼いダムの視界の端に、決して存在してはならない歪な影が映り込んだ。


「パパ? あれ、なーに……?」


「どれだー? ……ッ!?」


窓の外。猛スピードで並走する電車のすぐ傍らを、同じ速度で疾走し、今まさにこちらへ飛び掛からんとする巨体の化け物。


「伏せろ!!」


父親が叫び、ダムの頭を無理矢理下へと押し付けた。

直後、鼓膜が破れそうなほどの、金属を激しく引っ掻く耳障りな大音が車内に鳴り響いた。


「……ぱぱ……?」


ほんの数秒前まで車内を満たしていた微笑ましい空気は、残酷なまでに、幼い少年の底知れない恐怖へと染め変えられた。


電車の屋根は紙切れのように引きちぎられて消失し、座っていた乗客も、立っていた乗客も――皆一様に、胸から上が完全に無くなっていた。


凄まじい速度の風が吹き荒れる車内。

その轟音の中、大量の鮮血が、左側へと吹き荒れていた。


血で埋め尽くされている凄惨な車内の中。

鮮明に光るものが見えた。露出した、青白く光る玉――ダストが、無残にも真っ二つに割れていた。それが生物としての「本当の死」を意味するのだと、まだ幼い少年が理解するまでに時間はかからなかった。


屋根を失い、血の海と化した電車は、ガギギギと不気味な制動音を響かせながら指定の駅へと自動停車した。


プシュー、といつもと変わらない音を立ててドアが開く。

その瞬間、決壊したダムのように大量の血が車外へと溢れ出し、ホームの床を一瞬で赤黒く染め上げた。


「パパ! ママ!」


幼いダム先輩がどれだけ喉を枯らして叫んでも、返ってくる声はどこにもなかった。


何が起きたのかも分からず、ただパニックに陥った1両目と2両目の乗客たちが、悲鳴を上げながら逃げるように駅のホームへと雪崩れ込んでいく。


そんな喧騒のなか、少年はただ一人、真っ赤に染まってピクリとも動かなくなった父さんと母さんの身体にすがりつき、必死に、何度も何度も声をかけ続けていた。




そして、現在。

ホームに流れる重苦しい沈黙を破り、俺はぽつりと声を絞り出した。


「酷い話……ですね……。聞いてしまってすみません……」


「いや、良いんだ……俺も忘れない為に話した。忘れない……為に……」


ダム先輩はそう言うと、固く握りしめた拳をゆっくりと解いた。その瞳の奥には、10年経った今でも衰えることのない、昏い炎が揺らめいている。


タイミングを合わせるように、激しい風を巻き起こしながら電車がホームへと滑り込んできた。


かつて凄惨な事件の舞台となり、そして今また新たな怪物の影が蠢く場所へと続く、鉄の塊。

ドアが開くと、ダム先輩はあの日と同じ轍を踏まないと言わんばかりに、確かな足取りでホームの隙間を跨ぎ、電車に乗り込んだ。


「行くぞ、ベルマーレ区に」


振り返った先輩の言葉に、俺はただ黙って頷き、その後に続いた。

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