第16話 生き返るんだから良いだろ?

薄暗く人気のない路地裏で、絶望に満ちた男の悲鳴が響き渡っていた。


「はぁ……はぁ……はぁ…………な……なんで俺を狙うんだ! 何もしてないだろ!」


壁に背中を打ち付け、ガタガタと震える男の前に立ちはだかるのは、圧倒的な質量を持つ異形の影。


「あぁ? 俺を見るその目、気に食わねぇんだわ。だから殺す」


不快そうに鼻を鳴らしたのは、タンクトップを着た大柄な魚人の男だった。その鋭い眼光と、人間を遥かに凌駕する体躯から放たれる威圧感が、路地裏の空気を重く支配している。


「あ……あんまりだ! そんなので人を殺して良いわけがない!」


「うっせぇ、人を殺すのに理由なんていんのかよ」


魚人男がそう吐き捨てた、刹那。

空間が微かに歪んだかと思うと、肉を切断する嫌な音が連続して響いた。

怯えていた男の両手、そして両足が、一瞬にして綺麗に切断される。


「イ゙ダぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙ああッ!?」


支えを失った男の身体は、バランスを崩してダルマのように地面をごろごろと転がった。血飛沫を上げながら無様にのたうち回るその姿を、大柄な魚人男は心底楽しそうに見下ろし、嘲笑うかのように言い放った。


「この世界は弱肉強食なんだ。あばよ、人間」


魚人男は、丸太のように太い拳を容赦なく握り締めた。


そして、抵抗する術を失い、蛆のように這いつくばる男のダストに向かって、その拳を体ごと叩きつけ、粉砕した。


激しい衝撃音のあと、路地裏には再び静寂が戻る。


「弱ぇな……人間は脆すぎる。もっと強い人間はいねぇのかなぁ?」


魚人男は退屈そうに首を鳴らすと、近くに停めていた車に乗り込み、そのままアジトへと帰っていった。


車を走らせることしばらく。街から遠く離れた平原に、ぽつんと聳え立つ無機質な鉄の建物。そこが彼らの拠点だった。

魚人男は重い鉄の扉を開け、中へと入っていく。


「戻ったぜぇ、アドミン」


奥の部屋に向かって気怠げに声をかけると、影の中から一人の人物が姿を現した。


「その名前で呼ぶなって何度言ったら分かる」


「別に良いだろ、世じゃアドミンって呼ばれてんだしよ」


魚人男がへらへらと笑いながらそう言い放った、次の瞬間だった。


視界がブレた。そう思った時にはすでに、アドミンは魚人男の懐へと完全に潜り込んでいた。

そのまま、容赦なく鋭い指先が魚人男の胸へと突き刺さる。肉の焼けるような、あるいは抉られるような鋭い痛みが走った。


「良いか? 俺が呼ばれたくないって言ってんだ。お前は大人しく従えよ。俺はいつだってお前を殺せるんだぞ?」


至近距離から、心臓を凍らせるような冷徹な声が響く。胸に指を突き立てられたまま、魚人男は全身から嫌な冷や汗を流し、恐怖で指一本動かせずにいた。


(速すぎる……ゾルトよりも……!)


圧倒的な実力差を前に、心臓が早鐘を打つ。


「あと……お前、無実の民間人殺してるそうだな」


「あ……あぁ……そうだが……」


肯定の言葉を口にした、その刹那。

魚人男の視界の端で、何かがひらりと宙を舞い、ポト、と床に転がった。


「は……?」


ワンテンポ遅れて、激痛が襲う。自分の左耳が綺麗に削ぎ落とされ、地面に落ちていた。


「今回は厳重注意だ。次同じことをしたら殺すからな」


アドミンはそれ以上視線すら合わせず、背を向けて奥の部屋へと入っていった。


残された魚人男は、呆然としながらも床に落ちた自分の耳を拾い上げる。


(今……何された……!? あいつ、さっきまで胸を刺していたはずだ……)


耳を落とされた痛み以上に、その常軌を逸した神速の動きへの恐怖が、魚人男の身体を深く震わせていた。


「ふいっふっふふ……」


隣から、不気味な、漏れ出すような笑い声が聞こえてきた。見れば、両方の瞼を糸で硬く縫い合わせた異様な男が、肩を揺らして笑っている。


「ピアニスト……お前も大概だぞ。いつか殺される……」


耳を押さえながら、魚人男は忌々しげに吐き捨てた。しかし、戦場のピアニストと呼ばれたその男は、縫い合わされた瞼の奥で笑みを深める。


「いえいえ、汚染ルゲアで種族暴走化した民間人が殺し回っているだけなので、私自身は手を下してないですよ」


「その手があったか……それで、その汚染ルゲ……っ!!」


魚人男が言葉を続けようと、再びピアニストに視線を向けた、その刹那だった。


パァン、と軽い音が響いたかと思うと、さっきまで目の前にあったピアニストの頭部が、跡形もなく消し飛んでいた。首から上を失った肉体が、ピクピクと痙攣しながら床へと倒れ込む。

何が起きたのかを理解する暇もなく、どこからともなくアドミンの冷徹な声が低く響き渡った。


「お前らは生き返るんだから良いだろ? これで分かったか? デルト」


姿は見えない。だが、空間の空気を凍らせるその圧倒的な存在感に、デルトは背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「あぁ……ボス……」


デルトは生唾を飲み込み、頭部のない消えゆくピアニストの死体を見下ろしながら、ただそう従うしかなかった。





その頃。俺はというと、よりによって授業中に盛大な居眠りをぶちかましていた。


「雨月シン! 起きなさい」


鼓膜に突き刺さる鋭い声と、机を小突く硬い音。その衝撃で、俺の意識は強制的に現実へと引き戻された。


「ふぇい?」


完全に間の抜けた声が口から漏れる。教室のあちこちから、クスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。


「何が『ふぇい』よ。次居眠りしたら廊下に立たせますからね」


先生が青筋を立てて俺を睨みつけている。


「はいはい……」


「はいは一回」


「一回」


「……っ、もう! 教科書の42ページを開きなさい!」


あからさまに呆れ顔になった先生が、再び黒板に向かってチョークを走らせ始める。


俺は小さく息を吐きながら、言われた通りに教科書をめくった。


授業の退屈さもさることながら、ルゲア切れを起こした時に見た夢の残像が、どうしても頭から離れなかった。


あの不気味な木造建築の街。俺の腹を貫いた刀。

そして何より、あの男が最期に口にした「雨月」という言葉。


俺と同じ苗字だ。単なる偶然か、それとも……。


時間はあっという間に流れて、放課後。


俺たちは昨日と同じように、熱気とルゲアの気配が漂う訓練場へと足を運んでいた。


「じゃ、シン。お互い頑張ろうな」


「おん、気を付けろよ」


レンジと拳を軽く合わせ、それぞれの訓練場所へと別れる。あいつもあいつで自分の課題があるんだろう、気合いの入った顔で歩いていった。


俺の向かう先、昨日と同じエリアで腕を組んで待っていたのは、ダム先輩だった。相変わらず隙のない佇まいで、こちらをじっと見据えている。


「来たか」


「今日もよろしくお願いします!」


一歩前に出て、大きな声で挨拶をする。昨日はぶっ倒れて迷惑をかけたが、しっかり休んだおかげで体調は万全だ。


「ゲイル弾はもう出せるな?」


「はい、しっかり制御出来てます。多分」


少し語尾を濁らせると、ダム先輩はフッと小さく鼻で笑った。


「今日訓練するのは、シェイルだ。昨日説明したから分かるな?」


「はい!」


「まずはイメージからだ、ゲイル弾を出せ」


昨日のようなヘマは二度としない。俺はそう自分に言い聞かせながら、深く息を吐き出す。体内のルゲアの蛇口を慎重に捻り、出力を完全にコントロールしながら手のひらの上に集中させていく。


じわじわと形を成したのは、ソフトボールほどの大きさの白色の球体。歪みもない。


「良いサイズだ、そのまま凝縮して硬度を持たせろ」


ダム先輩の鋭い指示が飛ぶ。

言われた通り、俺はその球体をギュッと中心に向かって 凝縮させようと意識を傾けた。しかし、何かが決定的に違う。手応えがスカスカだ。


「違う、それじゃサイズが縮んでいるだけだ。サイズは維持したまま、手でガチッと握れるぐらいまで中に圧縮しろ」


簡単に言ってくれる。

外側の輪郭であるソフトボールのサイズを完璧にキープしながら、その内部だけにルゲアの密度を限界まで詰め込み、硬い殻を形成していく――。


緻密なゲイル弾の形状維持に加えて、極限のルゲア圧縮操作。

一歩間違えれば暴発するか、またルゲア切れで気絶する。昨日覚えたての俺にとっては、かなりの難関技だった。


(これ……苦手……っ!)


じわりと額に嫌な汗がにじむ。脳が焼き切れそうなほどの集中力を要求され、体内のルゲアがごっそりと持っていかれる感覚に襲われた。


「形は成ってるな。次は薄く伸ばしてみろ」


「ど……どうやって……」


必死に形状を維持しながら、掠れた声で訊ねる。


「パンの生地を捏ねるようにやってみろ」


生地を薄く伸ばす、イメージ。

手のひらの上のルゲアを小麦粉の塊か何かに見立て、それがじわじわと引き延ばされていく感覚に意識を集中させる。生地になりきって、均一に、外側へと伸ばされるイメージ。


その感覚を掴んだことで、俺はほんの少しだけシェイルの扱い方が分かってきた。


だが、俺の目の前にあるシェイルは、頼りなくびよんびよんと伸び縮みしているだけで、とてもじゃないが攻撃を防げるような形を成していなかった。


「思い切って伸ばせ!」


「思い切って……!」


出し惜しみは無しだ。俺は言われるがまま、体内のルゲアを限界まで絞り出し、全身全霊でそれを横へと引き延ばした。


「っ! 出来ました!」


手応えがあった。ルゲアの膜が、カチッと硬度を保ったまま綺麗なシールドの形に広がったのだ。


やった、成功だ! そう思ってダム先輩の顔を見ると、先輩は信じられないものを見るかのように、呆然と口を開けてこちらを見ていた。


何でそんな顔をして――そう思った瞬間、妙な違和感に気づく。


右腕から下の感覚が、全くない。動かせない。


引き延ばしたシェイルが制御を失い、自分の肉体を真横に切り裂いていた。操作ミスによる、上半身の完全な切断。


「やらか……した……」


自分の身体が上下に泣き別れ、視界がぐにゃりと勝手に移動して、そのまま地面に落ちた。


次に目が覚めると、視界に飛び込んできたのは見慣れた我が家の天井だった。


だが、死んだめんどくささより、あの土壇場でシェイルの形成が出来たことの喜びの方が遥かに大きかった。


「よっしゃぁぁ!」


ベッドの上で、俺は左拳を天井に向けて力強く突き上げた。

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